うなぎの与三郎商店

目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、教育・古典など。タイトルは落語「うなぎ屋」より(文中敬称略)

カビふたつと、かわいそうな校長及び教委

2017-10-16 23:00:00 | 教育 学校・教職・授業論
【カビふたつと、かわいそうな校長及び教委】

《教師に追い詰められた生徒が自殺した問題について》

 教師の「指導」によって自殺に追い込まれた生徒がいる。昨日流れてきたニュースが頭から離れない。

中2が自殺、「教師の指導や叱責でストレス」 福井
 福井県池田町教委は15日、町立池田中学校で2年の男子生徒(当時14)が今年3月に自殺したと発表した。担任と副担任から厳しい指導や叱責(しっせき)を繰り返され、精神的なストレスが高まったことが大きな要因だと結論づけた。内藤徳博教育長は「大変深く反省している。学校の対応に問題があった」と謝罪した。〔中略〕
 調査委員会の報告書によると、生徒は昨年10月以降、宿題提出の遅れや生徒会活動の準備の遅れなどを理由に、担任や副担任から繰り返し叱責を受けた。今年に入っても、役員を務めていた生徒会を辞めるよう担任から叱責され、副担任の執拗(しつよう)な指導も続いた。〔後略〕〔朝日新聞デジタル2017-10-15 23:43 下線は引用者による。以下同じ〕

「聞いた人が身震いするくらい怒られていた」 中2自殺〔続報 記事抜粋〕
 調査報告書は男子生徒の自殺の理由を「関わりの深い担任、副担任の両教員から立て続けに強い叱責(しっせき)を受け、精神的なストレスが大きく高まった」「一方で、指導叱責について家族に相談したが、事態が好転せず、絶望感が深まり、自死を選択したものと考えられる」と判断した。学校実施のアンケートで複数の生徒が、男子生徒が死にたいと言っていた、などと回答したことも明らかにした。
 報告書によると、生徒会副会長だった男子生徒はマラソン大会の運営にも携わっていた。だが昨年10月、校門前で担任から大声で、準備の遅れを怒鳴られた。目撃した生徒は「(聞いた人が)身震いするくらい怒られていた。かわいそうだった」と話したという
 昨年11月、宿題を出していない男子生徒が、理由を生徒会や部活動のためと答えると、副担任は「宿題ができないなら、やらなくてよい」と言った。生徒は「やらせてください」と土下座しようとしたという。
 今年も生徒会の開催日に、担任から大声で「お前辞めてもいいよ」としかられたり、宿題の未提出の理由を副担任にただされ、過呼吸の症状を訴えたりしていたという。
 報告書は、男子生徒は「まじめで優しい努力家だが対人関係が器用でない一面がある」とし、担任らが「よく観察すれば、厳しい指導が不適切だと気づくことはできた」と記した。
 その上で、担任が生徒指導について副担任と協議したり、上司や同僚に報告したりなど、問題解決に向けた適切な行動をとらず、副担任と一緒に厳しい叱責を繰り返したと指摘。土下座や過呼吸の件なども家族に知らせず、その結果、「生徒は逃げ場の無い状況に置かれ、追い詰められた」と結論づけた。〔朝日新聞デジタル2017-10-16 05:13〕


 誤報である。本文中に「担任」「副担任」等の文字が散見されるが、「ゲロ」と「ウンコ」の間違いだろう。「指導」の文言も同じ。一般的な手法としても、亡くなった生徒への個別的な対応としても、何ひとつ正当なものがない。「殺害」の間違いである。そもそも、この事案を学校教育の文脈で語ること自体が完全な誤りである。教育長が「反省している」「問題があった」などと責任者を僭称し、意味のない言葉を垂れ流している。その「謝罪」しぐさは、生徒と遺族に対する二重三重の冒瀆であり、いやがらせ以外の何物でもない。

 教育は「離陸面と着陸面が違う通過儀礼」〔注1〕であり、人生に傷をつける過程である。言いかえるなら、子どもたちの尊厳を保ちつつ傷をつける営みである。昨日覚えたマニュアルを今日ドヤ顔で語る/語れる/語ってしまう未熟者、未熟であるにも関わらず実践してしまう粗忽者が迂闊に手を出せる領域ではない。

 ある医師の言葉を思い出す。
 
 私は医療を行って生業を立てているものであるが、常々医療行為というものが人権を侵害することなしに遂行出来るはずがないと考えている。すなわち医療行為はそれそのものが人権を侵害する行為であり、その行為が行えるということは、医療側と患者側の暗黙の諒解(りょうかい)がそこに存在するから成立しているのであると考えるのである。〔注7〕


 この医師は、医療行為が「所詮は人権を侵害している」〔注2〕のであって「もしこれが両者間(医療側と患者側)に諒解が成立していなければ完全に傷害罪を構成する」〔注3〕とも言っていた。

 学校教育も同じである。

 先ほど私は未熟な教育関係者を「粗忽者」だと言った。「粗忽者」ならまだ人畜無害である。目を噛んで死ねばいい。しかし、生徒を自殺に追い込んだ「ゲロ」と「ウンコ」は「粗忽者」ではない。「犯罪者」である。「ゲロ」であり「ウンコ」でありながら犯罪「者」。たいした出世である。亡くなった生徒と遺族に対する四重、五重の冒瀆であり、いやがらせである……。

 話を戻すと、この事案は担任と副担任の個人的な力量、資質能力の問題にとどまらない。カビふたりがカビのままで担任・副担任を続けられた学校の湿度と閉鎖性・密閉度の問題、学校組織の不全・不備の問題であり、究極のところ校長の問題である。さっそく被害者ヅラをするか、校長。そして教育委員会。困った「部下」の後始末に奔走するかわいそうな役回りを引き受けるつもりか。

 亡くなった生徒に哀悼の意を表する、などと軽口をたたくことは、私にはできない。朝、寝ぼけた顔の息子と朝練のために早出する娘を見送りながら、そう思う。


1.「荒川強啓デイ・キャッチ!」(TBSラジオ)の「ボイス」コーナー「デイキャッチャー」における宮台真司の言葉。「芸術のためにモラルを破ってもいい?」2016-12-09放送。「人を傷つける仕事」2016-12-21で取り上げた。
2.柴田二郎『病いに医者いらず かしこい患者になるために』小学館(小学館文庫)、1999年、171頁。
3.同前、175頁。
4.同前、172頁。
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