うなぎの与三郎商店

目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、教育・古典・語学・芸能など。タイトルは落語「うなぎ屋」より。

再説・元の木(もく)ネット

2017-07-17 23:00:00 | 教育 教育政策・行政論
【再説・元の木(もく)ネット】

《学習指導要領解説に領土問題に関する記述が追加され、教科書検定や学校現場での授業等に影響が及ぶという報道があった。教育、特に国民教育(普通教育・義務教育・初等中等教育)においては相変わらず学問的担保より政治力学が優先される現状を巡る随想。〔追記〕2014-02-01一部修正。〔2017-07-17追記〕2014-01-31の記事「元の木(もく)ネット」(2014-02-01一部修正)を大幅に加筆修正した上で再掲》

1.学習指導要領解説に領土問題に関する記述が追加されることになったという〔注1〕。だから何だよ、「解説」って誰だよ、という気持ちが沸き起こったが、少し立ち止まって考えてみる。

 私はこれまで、指導要領の「解説」なんてのは“マニア”向けのガイドブックだと思っていた。教員採用試験では参考書・問題集が発達したお陰で「解説」なんかなくても勉強できないことはない。それなのに、改訂期でもないこの時期〔2014年1月〕にわざわざ記述を追加し、公告したということに文科省の気合を感じる。領土問題はもちろん、「解説」についてボケ倒すふやけた頭の不届き者、つまり私のような者たちにカツを入れるための改正だろうと考える。

2.学習指導要領の戦後史を振り返るとき、1958年の学校教育法施行規則の一部改正を外すわけにはいかない。指導要領を文相による公示と位置付け、法的拘束力を持たせた改正である。

 その経緯について、元文部官僚のかわいそうな打ち明け話がある。

日教組は、宗像〔誠也〕教授が唱えた「国家は教育内容に介入できない」という命題を掲げて、文部省が進める社会科の改革、道徳の時間の特設、全国学力調査の実施など一連のカリキュラム政策に対し、総抵抗運動を展開した。こうなると、行政当局も放置できない。そこで、文部省は学習指導要領の法的拘束性という法律論でこれに対抗した。つまり、学習指導要領は法令の一種であって、法的拘束性を有するから、学校はこれに従って教育課程編成を行わねばならないと指導したのだ。法的拘束性の理論は、文部省が好んで言い出したことではない。日教組が宗像理論を楯に学習指導要領への反対運動を強めたがゆえに、やむをえず持ち出した法理論である。〔注2〕


 あまりにもかわいそ過ぎて涙😂が出る話である。この涙は今の教育現場でも脈々と受け継がれているのだろう。学校現場や教科書執筆者の間ではさっそく上意下達の「お家芸」、秘伝の「萎縮劇」(自主規制)が始まった〔注3〕。確かに、法的拘束力なんか持ち出す必要はない。戦前・戦後一貫してこの種の忖度が「現場」の空気であり伝統だったのだろうから。

3.話は少し変わる。上意下達すなわち「汲んで知る」といえば、古今著聞集の一節が脳裏に浮かぶ。「娘の幸運を祈願した母と詠歌を納受され玉の輿に乗った娘」には、娘の幸せを一心に願いつつ焦る母と、そんな母の思いを知ってか知らずか、終始おっとりした娘が出てくる。

 夜を徹して祈る母の膝で眠る娘。その不甲斐なさを嘆く母。と、急に目を覚ました娘が歌を詠む——

身のうさをなかなかなにと石清水おもふ心はくみてしるらん〔私の身のこのつらさは全く何と言ったらよいのでしょうか。石清水の神様はこの私の切ない気持ちを汲みとって下さいますでしょう〕〔注4〕


 苦しい現実とじかに格闘するのではなく、石清水の神がすべてを見通し、自分の気持ちを汲みとって御加護下さるに違いないという健気な信仰心の表現である。その強靱さに驚きと感動を覚えないではいられない。実際、娘の歌を聴いた母は恨みごとを言わなくなる。石清水からの帰りがけ、娘はさる雲客に見初められ、正妻として迎えられる。

 なんか知らんが、とにかく教育関係者の鑑である、と思う。

4.先の指導要領解説の話に戻す。一連の動きを見る限り、教育内容や授業づくりにおいて「専門家」であるはずの研究者や教員が、管理人に過ぎない文相や文部官僚の指し示す印籠の御威光に屈しているかのようである。もちろん、教科書検定がそうであるように〔注5〕、これは決して文相や文部官僚の暴走などではない。「多くの専門家」による協働作業という原則(建前)は堅持されている。

 しかし、単細胞の私は「黄門様」(ごとき)に土下座する「帝」や「関白」の姿を想像してしまう。対等な立場で相互にリスペクトし合う温厚な挨拶はあって当然だが、「専門家」に対する黄門マウンティングや黄門土下座はさすがにまずいだろう……。

 そんな中、各地の教育委員会はどのように振る舞うか。

 上意下達の総本山つまり教育委員会が上になびき、上の意を汲み下に指導・助言・援助するのは火を見るよりも明らかである——というか、虎の威を借りた狐のように、虎でもめったにやらない横暴をほしいままにするに違いない。

 そもそも、教育長や委員の選考に関して「地域ボス」やその手下、あるいは「事なかれ主義者」どもの台頭を阻止するしくみが不十分なこの組織を私はあまり信用していない。事務局に至っては匿名性に埋もれて「政治屋」に成り下がる権威主義者の巣窟であると本気で思っている。

 ただ、先ほどの記事中には「子どもの見方が一面的にならないよう、歴史的経緯を踏まえ、今まで以上に様々な立場に注意して教えなければ」、あるいは「多様な見方を提供するために議論させるなど、教員の力量が問われる」という現場の教師の言葉があって〔注6〕、それを読んだときには見逃してはならない確かな明かりを見る思いがした。

5.余談だが、学校法人(私学)には創業一族のヌルい権威主義が蔓延し、ママゴトにもならないなんちゃってファシズムが横行しているところがある。こんなもん、規制を取っ払い、「リアル政治」や「リアル経営」をぶつければ一発で吹き飛ぶ茶番だろ。

 だから学校経営者がリアル政治の旨味にありつこうと接近しすぎて破綻した/する/しつつある姿は、哀れを通り越して滑稽である。……誰のことを指すかは大した問題じゃない。

おまけ

〔「ボケて」より〕

6.少し話を進める。教育内容の専門性について、教育基本法第2条(教育の目標)には「教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする」とある。旧法にも「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」とある。

 文面で見る限り「学問の自由」は一貫している。教育の世界でわざわざ「学問の自由」を強調するのにはそれなりの理由がある。

 歴史をみて思うのは、「教育」は政治的な駆け引きの道具であって、学問探究や人格形成の場ではなかったこと。たぶん今もそうである。特に国民教育(普通教育)の世界には、学問の自由の制限(教授の自由の制限)について、行政解釈と司法判断の華麗なる協働がある。よく引き合いに出されるのが旭川学力テストの最高裁判決。

普通教育の教師には一定の範囲で教授の自由が保障されるが、生徒に批判能力がなく、学校や教師の選択の余地がなく、教育の全国的水準の確保の要請があるので、完全な教授の自由を認めることはとうてい許されない。(旭川学力テスト事件・最高裁大法廷判決・昭和51年5月21日・判例時報814号33頁)


 発達への配慮と水準確保という大義名分のもと、行政(文科省)の介入を後押しする判決である。いや、それどころかそもそも教育と学問は別物だった。初代文相・森有礼からして「教育」を学問から明確に分離していた〔注7〕。

7.教育と学問の分離に関して、教育行政の側の強引な押しがあっただけではない。それを受容する私たちの側にもその論理を支えるメンタリティがあった。

 その点に関し、私の中に長らく引っかかっていたエピソードがあって、それをいつ、どこで読んだ(聞いた)のか手がかりがつかめないでいた。「会田雄次」の言葉だという手がかりがかすかにあるが、そこから先に進めずにいた。

 つい先日のこと、Googleにめぼしい言葉を投げ込んでみると、ネット上に公開されている研究論文(執筆者は教育系の大学院生)の中にその一節が引用されているのを発見した。孫引きになるが、該当箇所を転載する。

むかしの大学の理念といいますと、ちょうど密教みたいなもので、私なんかが高等学校にはいったとき、とたんに壬申の乱というのを習わされた。いままで習ったこともない壬申の乱について、それは天武天皇の策謀だ、万世一系などはぜんぶ誤りであるというようなことを、先生のほうが何の説明もことわりもなしにダーッと講義するわけですね。すると私どもがどう感じたかというと、自分はエリートだという意識です。大事をうちあけられた。自分はエリートだ、そしてそういう国家への奉仕感というか、つまり使命感です。おれたちにはわかるけれどもほかのやつにわからしてはいけないんだという、思いあがりともいえますけれども、エリート意識ですね。〔注8〕


 積年のわだかまりがすっきりと晴れたような気持ちである。ネット様々だ。

8.エピソードに注目すると、ここで重要なことは「大事をうちあけられた」ときにそれまで事実をひた隠しにされてきたことに対する憤りではなく、むしろ高揚感とともに「エリート意識」が育まれたという点である。それは同時に、当時(戦前)の初等教育(国民教育)の実態やそれを担う教員に何が期待されていたかを端的に表している。

 もしこんな「普通教育」で済むのであれば、そこで教育活動を行う教員がわざわざ大学で学問をかじる必要はない。全国津々浦々に浸透した小学校ネットワークの現場を担う教員は、「教員トレーニングセンター」で短期促成栽培されるとすぐに現場に入り、「指導要領解説」及び"教職マニュアル"並びに管理職や地方教育行政当局の指示を仰ぎながら、「自分の利益を謀るは十の二三にして、其の七八は国家必要の目的を達する道具」〔注9〕として日々の勤務に精進すればよい。教免による教職の専門性の担保は無用の長物。むしろ、物言う教員を生む"リスク"を招くため徹底殲滅の対象である……。

9.教育と学問の乖離を象徴する類似のエピソードとして、さらに新制大学発足時の教官の任用を巡るものがある。

 院生の頃、何かの機会に旧高等師範学校からどれくらいの「教官」が新制大学の教官として任用(採用)されたかという歴史研究を参照したことがあった。こちらも現在では出典を失念しており、正確なデータを明記できないのが残念である。

 ただ、おおよその内容は覚えている。それは旧制高等学校・大学の教官が基本的にはそのまま新制大学の教官へ(極めて円滑に)シフトしていたのに対し、師範学校系列(恐らく高等師範だったと思う)の「教官」が半数近く(あるいはそれ以上?)「落選」していたという事実である。つまり、高等師範学校(あるいは師範学校)で行われていたのが「学問」とは名ばかりの、学問の名に値しない「教育」であったことを雄弁に語るデータだった〔注10〕。

10.教育内容に介入する者の専門性が担保されず、政治力学のバランスゲームの中で物事(教育政策)が決まっていく流れは決していいことではない。古い文献であるが、宗像誠也の『教育行政学序説』の巻頭言ほどの認識が今でも妥当であると思う——「私は、教育行政とは権力の機関が教育政策を現実化することだ、と考えている。そして、教育政策とは権力に支持された教育理念だ、と考えている。ここに教育理念というのは、教育の目的と手段と、内容と方法の総体を意味し、そこには当然なんらかのイデオロギーが貫いているわけである」〔注11〕。

 この意識が欠落したまま、"イデオロギーに染め上げられた戦後教育史"の捉え直しが行われた場合、新たなイデオロギーを生むだけだと思うのだが。evidence baseがIdeologie Free!だとthinkingするのはあまりにもpureでnaiveである——ルー大柴が紛れ込んでしまった。

11.「神話」を教えられた人々と「真理」を享受できる人々との間に溝が深まり、お互いの情報・知識・教養に「互換性」がなくなると、私たちは「2つの国民」に分裂してしまう。もちろん、かつてエリート層と庶民層を隔てていた情報格差は、情報ツール(インターネット)の普及とともに解消されている(はずである)。しかも、9割以上の国民が中等教育を享受し、高等教育への進学率も5割を超える時代である。仮に「国民の分裂」があったとして、それは専ら本人の自己責任である。勝手に「神話系」に進み、「神話」と一体化した者が、その喜劇的な結末を自己責任の延長上で引き受けるだけのことである。

 ここでちょっとしたクロ歴史の話を。私は十代の終わり頃、太田竜の1970年代の著書にハマっていた。当の御本人(太田)はその頃(80年代半ば過ぎ)既に"ユダヤの陰謀"だの"爬虫類星人"だのといったヨタに通じる芳香を発し始めていたようである。知らぬは田舎の宅浪生ばかり。

 成人式を終えて大学に入った私を待っていたのは、トラウマになっても仕方のない太田竜の「現在」の姿だった。再度念を押す——勝手に「神話系」に進み、価値観を一体化させた者は、その喜劇的な結末を自己責任の延長上で引き受ける他ない。

 しかし、それでもやはり近年の一連の動きを笑ってやり過ごすことができない。多少風変わりな人物が滑稽な物語に自己を同一化させ、自爆する分には構わない。私が危惧するのは、どうやら太田大先生も裸足で逃げ出すトンデモ神話が全員に強制されることである。

12.神話の創作に意欲的な権力者は、泣けない、笑えない、感動できない与太話を日夜製造ラインに乗せ、私(たち国民)に愛と笑いと感動を迫る。たとえば、晋三やガースーの顔面を3秒以上見つめて感涙にむせぶなど、まともなチンパンジーやミジンコなら絶対にできない鬼畜の所業である。それなのに、ホンキで晋三劇場、ガースー劇場が日夜垂れ流され、私(たち国民)は感動を強要されている。

 確かに、下位の者の忠誠心を強化するには、上位の者がなるべく無意味なことをなるべく理不尽な形で強要し、受容させるのが効果的・効率的である。その際、直接的な暴力を使ったりせず、下位の者の意欲を引き出しつつ、自発的・主体的に受容させるのが理想である。

 そのように考えると、(教育行政の話に戻るが)教育内容に対する政府・文科省や教育委員会の介入の程度や内容が無意味かつ理不尽で、そして何より不気味なくらい朗らかであればあるほど、かえってその「本気度」がうかがえる。

13.会田雄次は戦前・戦中の庶民層とエリート層の「教養の乖離」を指摘したつもりかもしれない。しかし、改めて読み返してみると、エリート層がそれまでの「神話」を何ら消化(あるいは昇華)することなくそのまま自らの内側にため込んでいたらしいことが気になる。

 ということは、教養を巡って社会階層が分離していたのではなく、エリートであれ庶民であれ、国民一人ひとりが自分の内に雑多な教養を未分化・雑居状態のままため込み、ふらついていたのではなかったのか。そのふらつきを狙って官製「神話」が「法的拘束力ときどき暴力のち拷問」を伴って猛烈にアタックしてくる。まともに処理できる奴なんか滅多にいない、会田を含めて。

 欧米的な教養を備えながら翼賛に邁進できた戦前・戦中の知識人、特に旧制高校的な教養人が持っていたアンビバレントな教養とメンタリティは、属性と言うより本質そのものだったのかもしれない。

14.「やつら」は本気だ。陳腐で安易な神話を臆面もなく製造し、私(たち)に迫って恬として恥じぬ為政者は本気である。奇妙な言語と文法、倫理と論理、シリアス喜劇で迫ってくる為政者は、本気で私たちの「命」や「魂」を求めている。晋三のくせに、ガースーのくせに、なまいき極まりない。

 かといって、「神話」の愚劣さ、馬鹿馬鹿しさを冷笑する「(自称)知識人」の反応はあまりにも無力である。

 物事が動くのはどんなときか。人が、システムが変わるのは。例えばこの世の春を謳歌した「アベイッキョウ(安倍一強)」、こいつを崩壊させた/させる/させるかもしれないのは結局何か。市民運動か、野党か、自民党内反主流派か、財界か、バカ自身か。「結局は特権階級の権力闘争だ」というのではあまりにも空しい。

15.冷笑で何かを語ったつもりにならず、かといって野次でフラストレーションを解消したりせず、己の「場」を見極め、そこから戦略・戦術を練り上げていくこと。

 さしあたって私の場合は、自分の置かれた「場」、教員でも研究者でも行政担当者でもない一介の予備校講師という「場」の利点を生かすことを考えよう。「神話」の内部にいると「神話」であることに気づくことさえ難しい。しかし、外部からはそのバカさ加減は一目瞭然であり、「バカじゃん」「ハダカじゃん」と気楽に言える(だろう)。

 これは知識や教養の量や質の問題ではなく、ポジションの問題である。私はたまたま教育行政の当事者や学校関係者、公教育への関与を目論む市場の思惑、アカデミズム等々とは別なところでものを考え、発言している。もちろん、どの業界も部外者はハエのようなものだし、またハエ自身もポジショントークに慣れきってしまうと腐った定型文しか発することができなくなる。しかし、業界内の日常的なヘンタイぶりを普通に「おかしいじゃん」と思って眺めている人間が至近距離(ただし敷地外)にいることだけは、日々発信するに十分に意味のあることだと考える。

 その影響力について、中学生の息子のYouTube動画再生数にははるかに及ばないけれど。


1.「『尖閣・竹島は領土』明記 4月の教科書検定から適用」朝日新聞デジタル2014-01-28 13:33。
2.菱村幸彦『戦後教育はなぜ紛糾したのか』教育開発研究所、2010年、19-20頁。
3.「『執筆の自由度が低下』 出版社など懸念 中高教科書指針『尖閣・竹島は領土』」朝日新聞デジタル2014-01-29 05:00。
4.「古今著聞集」(巻第五 和歌第六 173)(『新潮古典集成 古今著聞集 上』西尾光一・小林保治校注、新潮社、1983年、227頁)
5.「文部科学省には、検定の審査に係る教科用図書に関し調査審議を行う審議会として教科用図書検定調査審議会が置かれています。文部科学大臣の諮問機関である教科用図書検定調査審議会では、検定申請された図書が教科用図書として適切であるかどうかについて、教科書検定の基準に基づいた専門的・学術的な調査審議が行われます。審議会から答申が行われると、文部科学大臣はこの答申に基づいて検定の決定又は検定審査不合格の決定を行います。
 審議会の委員及び臨時委員は、大学教授や小・中・高等学校の教員等の中から選ばれ、調査審議に当たります。また、専門の事項を調査する上で必要があるときは、審議会に専門委員が置かれ調査に当たります。さらに、文部科学省の常勤職員である教科書調査官も調査に関わります。教科書調査官は大学の教職の経歴等をもつ人から採用されています。
 このように審議会における審査には、多くの専門家による様々な角度からの調査の積み重ねが反映されるようになっています」(文科省HP「教科書検定制度の概要」4.「2)教科用図書検定調査審議会の答申に基づく検定」
6.注1参照。
7.山住正己『日本教育小史―近・現代―』岩波書店(岩波新書)、1987年、48頁。ところで、森有礼には浅からぬ因縁がある。私が中学生の頃、部活動(剣道部)の練習と称して私たち部員数名は防具を着けたまま(顧問にも断らず勝手に)ときどき校外にランニングに出かけた。無断で外出したのは、途中でアイスクリームやジュースを買い、手頃な休憩所として重宝していた遺跡の前でそれらを堪能するつもりだったからである。その時の石碑に刻まれていたのは「森有礼生誕の地」。中学生の私はその人物名を見て「ユーレイって、変な名前だなあ」と思っていた。やけにインパクトがあった。「ユーレイ」に再会するのはそれから7、8年後。大学で受講した「日本教育史」の授業の中でのことだった。
8.「現代教育の病理」シンポジウム(上)会田雄次発言、『自由』1966年7 月号(自由社)所収——山本剛「旧制高等学校生徒の精神形成史研究―旧制高等学校の学科課程を通して―」(早稲田大学大学院教育学研究科紀要 別冊20号-1、2012 年9月)からの引用。
9.山住、前掲書、49頁。
10.あまりにも大ざっぱな記述のため、若干の補足。
 大田堯『戦後日本教育史』(岩波書店、1978年)に、旧教員養成系諸機関の大学昇格に絡む問題として、次のような指摘がある。
「教官スタッフの貧困さも、各大学・学部共通の悩みであり、1949年度のある資料〔原注:「(新制大学学芸学部または教育学部)教官の審査状況」1949年(「戦後教育資料」ⅴ-10)〕によれば、新制大学の教官として申請した旧師範・青年師範の教官のうち、昇格審査に合格した者は57%にすぎなかったという数字が残されている。研究業績の不足のためである。それは80年間にわたって教員養成機関に「学問」の必要を認めなかった教育政策の一歴史的帰結ともいうべきものであった」(160頁)
 当時参照したのは、原注にある「(新制大学学芸学部または教育学部)教官の審査状況」だったと思う。
11.宗像誠也『教育行政学序説(増補版)』有斐閣、1969年、1頁。

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