憂太郎の教育Blog

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応用行動分析は中学校の生徒指導にも有効である~その3

2012-01-29 19:39:58 | 生徒指導論
 生徒指導のアイテムとして、応用行動分析の手法が有効ではないかという議論の3回目である。
 前回の終わりで述べたことであるが、応用行動分析は「言葉」を必要としない。だから、教師は「言葉」に頼らなくてもいい。すなわち、生徒指導場面で、どうやって生徒を説得したらいいのだろう、というあれこれ戦略を練る必要性はない。あるいは、生徒との相談を通して、指導のなかで生徒自身に気づかせるといった発想を持つ必要性もない。もちろん、カウンセリングの手法で教師は傾聴的態度に徹し生徒の自己解決に導く、なんていうのとも違う。これらはすべて「言葉」が介在している。つまり、「言葉」の力によって、生徒の問題行動を改善しようとするといっていいだろう。しかし、応用行動分析は、字義の通り、行動を分析してその行動を変容させることで、行動の問題を解決するという方法をとる。
 その具体的なやり方として「嫌子出現による弱化」だけではなく「好子出現による強化」もあるということを今回は提案する。

 「好子出現による強化」で、いちばんお手軽で教育的なのは、「ほめる」ことだ。生徒が良い行動を取ったときに「ほめる」。ただし、それは「良い行動」のときだけ。教師のなかには、おかしな勘違いをして、何でもかんでもほめればいいと思っている教師がいるが、それでは生徒の行動は強化されない。あくまでも「良い行動」のときだけである。では、良い行動でないときはどうするか。それは、ほめない(これを「好子消失による弱化」という)。
 ほめ言葉はたくさん持っているにこしたことはないが、繰り返すが「言葉」は重要ではない。「言葉」以外のどういうかたちであれ教師が「ほめる」ことが生徒に伝わればいい。私の経験として、どんなに重度の知的障害を持っている子どもであっても「ほめる」ことは伝わる。だから、「言葉」に頼らなくてもいい。子どもへの賞賛の気持ちを教師が持ってそれを伝えようと思えば、それはちゃんと伝わる。
 何か「ほめる」ことに対して、特段の教育技術が必要なのではないかと思っている教師がいたりするけど、そんなことはない。強いて言えば、「良い行動」が出現したときに、すぐにほめるということくらいである。即時評価がよい。けれど、これも普通中学校の生徒指導であれば、多少時間をおいても大丈夫だ。繰り返しになるが、生徒が「良い行動」をしたときに、きちんと教師が「ほめる」ことを実践するのが「好子出現による強化」の実践ということである。
 では「ほめる」ほかに、お手軽な実践としては何があるか。私は、教育現場で「好子出現による強化」の実践として有効なものとして「ごほうび」をあげたい。小学校の低学年であれば「がんばりシール」みたいなものである。つまり、「ごほうび」(=好子)を与えることで、行動を強化しようというやり方である。…で、ここの提案にはいると、大方の教師はひく。どうもこれは教育的ではないと直感的に思うようだ。ここが、応用行動分析が普通中学校で浸透しない原因のひとつだろうと私は考える。
 では、なぜ、大方の教師はひくのか。多分、子どもをエサで釣ろうとしている風にみえるのだろう。そういうのは教育的でないと。それに、子どもの内面性に全く頼っていないということもあるだろう。ここらあたりは、心理学の議論になってしまうので深くは立ち入らないようにしたいが、応用行動分析は、子どもの「行動」の変容を目指しているのだから、子どもの内面は関係がない。あくまでも「行動」なのだ。
 いずれにしても、この教師が教育的ではないと直感的に思ってしまう点については、心理学の専門的な議論だけではなく、教育現場で教師が議論するところだろう。例えば「がんばりシール」は是か非かといった議論である。
 話を「ごほうび」に戻して考えていこう。先述のとおり私は、行動の強化のために与える「ごほうび」は教育的であるという立場である。ただし、その「ごほうび」がちゃんと教育的な「好子」になっていることが前提である。
 たとえば、「良い行動」をしたときに与える「ごほうび」がアメ玉だったらどうか。これは教育的ではないので、採用はできない。ここについては、異論はないだろう。私も、そんな「ごほうび」の提案をしているのではない。
 じゃあ、アメ玉の代わりに何を与えるか。話題にしている「がんばりシール」ならどうか。けれど、よくよく考えればわかることだけど、いくら低学年の子どもだって、「がんばりシール」それ自体に価値がないこと自体は、わかるだろう。(そのシールが金粉でできていたり、1枚100円のAKB48シールだったら別であるが、それはアメ玉と同様になってしまうので教育的ではないだろう)。つまり、子どもに「がんばりシール」を与えても、実はそれは「好子」ではないのだ(ただし、そのシールが例えば、その子どもの好きなキャラクターシールだったりすれば、それは立派な「好子」になりえる。つまり行動が強化される。小学校1年生の通信教育の附録あたりにシールがついていたりするが、こういうのも同様な行動をねらっているといえる)。
 「好子」ではなければ、行動は強化されないから、実は「がんばりシール」を与えても、子どもの行動には変化は生まれないのである。
 では「がんばりシール」というのは何なのか。「がんばりシール」の実践例として、その数を競わせるという実践がある。これはどうか。私は、これは教育的ではないと思う。多くの教師も、これは悪い実践だと思うのではないか。つまり、「がんばりシール」のもらった数を学級内で競わせることで、「がんばりシール」は「好子」に変化する。応用行動分析でいればこれも「好子による強化」の実践といえるが、やはり教育的ではないだろう。
 では、良い実践例とはなんだろう。
 それは、「がんばりシール」をポイントと考えるのである。10ポイント(シール10個)でその子どもの「好子」が出現するシステムとすればいいのである。もちろん「好子」は教育的なものがいい。てっとり早いのは教師の賞賛だろうが、それ以上の「好子」はいくらもある。このポイントによって「好子」が出現するのを「トークンシステム」という。

 と、いうことで、「ごほうび」まできました。
 次回は、この「トークンシステム」ほか、さまざまな教育的な「ごほうび」について提案していきます。