暇つぶし日記
思いつくままに記してみよう
 



 

 

日常生活が朝晩2回服用する抗癌剤に規定されていて今は6時半に起き夜は12時には就寝するという甚だ「健康的な」生活である。 かなり酷い癌だから定年生活3年目に入っていてブラブラにはかなり慣れては来ていたけれどこうなると今は療養専一に励まなければならない。 「なければならない」ということがつけくわえられればブラブラの空気に曇りがでる。 無理なことはするな、病院から与えられた厚い病人マニュアルの記述に従って自分の病状の変化に気を付けて何かあればすぐ緊急ダイアルで大学病院の医師に連絡するようにとそのブラブラさも犬の首輪のような枷をつけられているブラブラ生活である 

ブラブラと何もしないで一生暮らすのが自分の夢だった。 ある意味ではそれが叶っている。 けれどそれはただ一面的で、実際は胃の中で居座っている癌が表面的にぶらぶらさせるような体裁を作っているだけだ。 それではこのブラブラが本当に好きなようにしていられるブラブラかということになると、では突然スキポール空港まで行ってチケットを求めチリの南の荒涼とした砂漠に立ちたいだのニューヨークのMOA美術館で何日か過ごしたいだのと思い立ったらすぐにでかけられるかというと日程と金には問題がないものの体調が許さないことは明白であるから自分の中ではそのブラブラにはやはり癌という主人が犬の首輪の紐をひっぱるようなことになっている。 このご主人様の言いつけを守り周りの自分の置かれた状況を考えブラブラしていろということだ。 犬と違うのは首輪をといて紐から離れられないこともないけれどそれをするかしないかということになると今はまだ首を垂れて「限られたブラブラ」の中で生活することを選ぶという諦観のような、湿った見えない布の下で過ごすことを選ぶ。

子供のころ、5つの頃だっただろうか、だから1955年ごろだ。 伯父が結核で隔離病棟やサナトリウムに収容されるほどでもなく比較的裕福だった農家の末っ子の祖父はこの長男の結核治療のために当時まだ新しかったアメリカ製の高価な薬を手に入れるのに闇のルートも使わないと手に入らないこともあり家産のかなりの部分を費やしており伯父を個室に入れるほどの金はもうなかったから何人かと共同の病室に入れ付き添いの母と自分も一緒に病室で寝泊まりしていた。 伯父は鉄製の頑丈なベッドに横になり我々はその下に押し込まれた畳1畳程のベッドを夜には引き出してそこで寝泊まりしていた。 付き添いの家政婦を雇う病人もいたのだろうが殆どがそれぞれの女の家族が付き添いで寝泊まりをしたり通いであったりした。 子供の自分は4階建てほどの病院のビルが生活の場というより遊び場であり出入りできるところは自分の領域だった。 同い年の子どもはいなく、遊び友達もないからあてがわれた絵本をどこかで眺めたり当時は大阪市内の百貨店ぐらいでしか見ることのなかったエレベーターを使って屋上に上がり洗濯物がはためく向うにまだ田舎が続く田畑やため池のある景色を眺めて過ごした。

田舎の村から5歳のこどもが病院に住んで遊ぶというのは日頃走り回っている野原や山、藪から離れて大人の世界に混ざるという事で階下のボイラー室や共同の炊事場を覗きそこで動き回る大人たちを眺めるのも悪くなかった。 日頃は田畑で働く人々や納屋で縄を編んだり農具を手入れする祖父を見る程度だったのでその違いには見ていて飽きなかった。 そこに一人の大学生が療養していて子供に興味を持ったのだろう。 絵本だけを眺めている自分に暇にあかせてひらがな、カタカナに漢字を教え、簡単な算数まで手ほどきをしてくれたのだという。 1955年6月という日付が写真の裏にみえるが名前は書かれていない。 この学生の手ほどきで字のついた絵本は読めるようになり翌年近くのカトリック系幼稚園に入り毎日「きらきらぼし」を英語で訳も分からず歌わされた。 それから25年経ってグロニンゲンのグロートマルクとで夜星空を眺めていて突然キラキラボシの意味が頭の中に広がり感動したことを覚えている。 小学校に入った時は初めての通知簿に、授業が面白くないからと言って隠れて漫画を読むのはいただけない旨のことが書かれている。 まだ他の子どもたちには漢字の混ざった漫画は読めなかった時期のことだ。 親はそれ以後は漫画を買ってくれなかった。 「見る」漫画は買ってくれなかったが「読む」本は必要以上に与えられた。 だから今でもこの名も知らない大学生にこのことを感謝している。

広いモダンな市民病院の中でも一階は人通りが多いからそんな子供には一番面白いところで、受付、待合ホール、薬局カウンター、売店、それにつづく医科の診療室等々人々が忙しく行き交ったり病人はノロノロと介護器具に頼って移動し待合ホールのいくつもあるベンチでは老いも若きも静かに順番を待つ。 今はやたらとこういう場所は老人で溢れているけれど当時はそれほどでもなかったのではないか。 そんな中で眼についたのはノロノロでもなく普通に慣れた風にパジャマや寝間着、夏にはステテコで歩き回るオッサンたちだ。 どんな病気か知らないけれどベッドに始終横になっていなければならないわけでもなさそうで元気に見える。 病室ではそんなオッサンたちがさすが麻雀はないけれど将棋や碁をするのを見ている。 またブラブラとのんびり何をするでもなく自分の庭を見て回る風に歩き回り、待合室ホールのベンチにこしかけ暫く彼方此方を眺めてはやおら腹巻から何かを取り出して今では考えられないけれどベンチの前に置いてある灰皿に向かって新生、いこい、光や高いものではピースなどの煙をのんびりと吹かしていた。 今日のニュースでは肺がん患者の90%は喫煙者で、フィルターに空気が入るように定められた細かい穴を指が触れるあたりに作って空気が入らないように意図的にしたとして禁煙推進団体がタバコ会社を訴える裁判を始めたと報道されていたが当時、60年前は病院の待合室に灰皿がいくつも備えられているのが普通だった。 このオッサンたちのことを思い出したのは自分がそのオッサンになっているからだった。

もし自分が今の病状で日本で癌治療を受けるなら多分入院ということになるだろう。 そして軽い副作用があるとしてもそれ以外は日常生活には支障がなく一日中ブラブラする毎日となり今は喫煙も飲酒もとめられているから出来ないもののこれらのオッサンたちに混ざって無駄口を叩き、行き交う看護婦の胸や尻に遠慮のない視線を注いでは年金が減ったことに文句を言う者たちの仲間になるだろう。 合理的かつ経済的、そして普段の生活の中で闘病できるようなシステムの環境では病院でブラブラするのではなく家庭でブラブラする毎日を送り、我が家が病院となったような環境で見えない犬の首輪をつけられてそこを猫の散歩のように毎日ブラブラと過ごすことになる。



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