暇つぶし日記
思いつくままに記してみよう
 



 

テレビガイドを見ていて Telstar - The Joe Meek Story がBBCテレビの深夜映画にかかると出ていた。その Telstar という曲にビリビリというか白黒映画のSFものに反応するように曳かれて本作を観た。 思い起こしてもそれを演奏したグループ、作者もしらず、またそれがイギリス発だった、ということさえ知らなかった。 アメリカ製だとおもっていたものがイギリス製だったのだ。

Telstar

https://www.youtube.com/watch?v=WPDvsLSnUGc

小学校6年生の時、学校の放送部員で月曜朝の全校一斉の朝礼の折、マイクとそれに連なる長いコードを放送室から伸ばして設定し、ラジオ体操ではSPレコードをプレーヤーに乗せダイヤモンドやサファイヤ針ではなく鉄のレコード針を交換し皆がラジオ体操第一で体を動かしているのに自分は台に上がって600人ほどの児童に向かう体育教師の背中を眺めつつ一人機械の調整ダイヤルを回していた。 昼の給食事には音楽や校内の情報を放送室から流すキューをだしてもいた。 そしてそんな時期に家のラジオから聞こえて来た「テルスター」に魅了された。 これは後年シャドウズやヴェンチャーズでも聴かれる。 

テルスターはアメリカの放送衛星の名前で、ガガーリン、スプートニク、ソ連の女性宇宙飛行師などと並んで当時人工衛星は子供の空を眺める眼を遙かなものにしていた時期だった。 けれど直にこの後ビートルズ、ストーンズが席巻し衛星中継で「All You Need Is Love」も映像付きで流れてくるのだが、テルスターはそれよりも前の1963年のことだった。 不思議な響きは放送の雑音、機械的な、当時まだ名前もなかった、いまから考えるとシンセサイザーの走りの機械から流れるメロディーにエレキギターが被さったもので、そのサウンドには痺れた。 その響きは70年代にはムーグ、コーグや他のシンセサイザーに続き次々に開発され80年代にははシンセは日本から多く世界に輸出されることになっていた。

本作のことを知ろうと映画データベースを牽いてもなかったので アメリカのIMDbサイトに次のように出ていたのを牽く。

http://www.imdb.com/title/tt1068669/?ref_=nv_sr_1

そして次のようなものもネットで見られた。

音楽映画『TELSTAR:THE JOE MEEK STORY』(2008)のオリジナル・サウンドトラック。監督はガイ・リッチー監督の大ヒット映画『Lock, Stock, and Two Smoking Barrels』に出演したことで有名な新鋭、Nick Moran。そもそも本作品はロンドンのWEST ENDで上演されたミュージカルだが、その脚本を担当、本映画では脚本、さらに監督を務めることに。1960年代に実在した世界初のインディーレコード会社の音楽プロデューサーで数々のブリティッシュ・ポップのヒットを生み出したJoe Meek(イギリスのフィル・スペクターともいわれる)の実話を元に作られた作品でJOE MEEK役を演ずるのはミュージカルでも評判のよかったCon O'Neill。Dirty Pretty ThingsのCarl BaratもGene Vincent役で登場! ブリティッシュ・ポップ・ファンは必見の本作品、音楽も60年代のUK POP満載。 

小学生の自分が耳を傾ける洋楽にイギリスもアメリカもなく全てがアメリカだと思ったのも無理はない。 後年ビートルズ、ストーンズが席巻するようになりアメリカ、イギリスの違いを認識するようになるのだし大学に行く頃には Who や Kinks, Ledzeppelin に Free、 Cream や Kingcrimson に Queen を聴いていたのだから考えてみるとパックスアメリカーナの世界ではあるけれど旧宗主国イギリスのポップカルチャーにおける位置はかなりなものだ。 ジミ・ヘンドリックス もイギリスに行って花咲いたのだからある意味、アメリカの黒人ジャズメンたちが50年代にパリに行ったこととも対比され得るだろうか。 それにそのころ自分の頭に刷り込まれていた ヘレン・シャピロ の歌声もずっとアメリカ人だと思っていたものがイギリスの少女で近年 You Tube で若きビートルズを従えて歌う画像を見て驚いた。 ヘレン・シャピロは登場しなかったがビートルズとすれ違ったりビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの名前が出たりするのが本作に見えた。 バンドのメンバーが他のバンドに移籍し、それが後年あれになり、、、というのも示されるし近年BBCで観るコメディアンたちがトルナドㇲのメンバーであり、ことに本作で太ったドラマーを演じるジェイムス・コーデンを観たのは嬉しかった。 コーデンは今イギリスで鍛えたキャラクターでアメリカのザ・レイト・レイトショーのホストを勤めているのはコメディアンとして現代イギリス的なユーモアを彼のアクセントと共にアメリカに持ち込んでいる。

自分の小学生のころの印象と、それが作られ、そこでヒット曲を創り上げていくプロデューサー、ジョー・ミークの最期の何年かを伝記にしたものだ。 いまでこそ西ヨーロッパではおおっぴらにゲイがその存在を社会の中でその居場所を広げているのだが60年代のイギリスではなんとも鬱陶しく映るのだろうか、まだ日陰ものなのだし犯罪者まがいにも扱われもするするのだ。 けれどその鬱屈が、勃興するノスタルジックなロカビリーがとも相まって生み出されるサウンドに63年の日本で自分が魅了されたのには不思議な気がする。 中学から高校にかけてはこの種のポップスは消えてグループ・サウンズ全盛となり、おかげでこの後、80年代だろうか自分がまだ嵌り込んでいるモダンジャズは日本では沈んだ。 日本でも「邦楽」ポップスが消えカリフォルニアを真似、折衷したJ-Popが席巻し折からのCD売り場のスペースを独り占めにして演歌は老人だけのものになる。

60年代初頭の録音「スタジオ」やエージェントの動きが面白かった。 あのサウンドがこんなちゃちなスタジオで、あんな風に、ということなのだがそこでのポップ・シーンがロカビリーからロックに急激に移行したというのがミークの悲劇、それに自分のアーチストを束ねられなかったこと、資金投資の大雑把さ、テルスターがフランスの映画音楽をコピーしたものだという難癖が終焉に向かう引き金になっているようでドラッグからパラノイアとなり錯乱となると結末はこの時期からセックス・ドラッグ・ロックンロールの先駆けを示すものだしその先がヘミングウェーやカート・コバーンと同じく猟銃を口に咥え、、、、ということだ。 そこには これもアメリカ製だと思っていたミークの「Jhonny, remember me(1961)」が響く。



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