暇つぶし日記
思いつくままに記してみよう
 



 

一昨日大学病院で胃と肝臓のぐあいをみるのに腹に3つ穴を開けてそこからカメラを通し様子を見て、また腹膜やまわりから体液や組織のサンプルをとって検査に回すという簡単な手術を受けた。 早朝病院に入り手紙に書かれた順路に沿ってセクションの受付で確認し病室にいくとベッドが二つあって一つを指されそれが手術後に明日まで過ごすベッドだと言われていた。 結局順調にスケジュールが動き遅れることもなかったので念のために手術の前に予約してあった夕食を摂っただけで本当は病院に泊まるという面白そうな経験をしたかったのだが泊まる必要がないと言われ追い出されるようにしてスゴスゴ帰宅したのだが、先ず、ここに来て看護人から説明をうけ、一応大学病院一般についてのパンフレットがあるので後で目を通しておいてくれと言われそれを手渡されて1時間ほど待つ間に自分の持って行った本を読んだりこのパンフレットを開けたりしていた。

パンフレットを開けて最初のページに「Welkom in het LUMC (ライデン大学医療センター病院へようそこ)」という文字と一緒にこちらを向いて笑っている見覚えのある顔が覗いていた。 義妹の娘である。 この5年ほどこの大学病院で看護人として働いており今は肝臓、腎臓の重病患者を扱うセクションにいるように聞いていた。 10年ほど前に舅、姑が同時にこことは別の病院に入院していたことがある。 チーズで有名なハウダの病院でそこに見舞いにいくと当時はそこで新生児のセクションで働き始めていたこの姪が休憩中に彼女の祖父・祖母のところによく来ていた。 電気工の男と結婚した頃だろう。 結婚式とそのパーティーには大勢の人が集まり遅くまで生バンドで踊り楽しいものだった。そのときには新郎新婦が踊る横で彼らの2つぐらいになる長男がひょこひょこ歩いていたのではなかったか。 今ではそれも小学校の上級生、3つ下には次男がいて生まれた時から障害を持ち成人はできないだろうといわれている娘がこのあいだ6つになった。 頭を固定され特別な車椅子に酸素ボンベが常備されており生まれた時から言葉を発せずコミュニケーションはこちらから動く彼女の視線を探り微かな表情をみて一方的に想像するだけだ。 外観は普通の娘と変わらない。 1年に何回かは危篤状態になりその度にライデン大学病院に収容され3,4日して戻ることを繰り返している。 ライデン大学病院に越したのはこういう事情にも依っているのだろう。

こちらを向いて笑いかける姪の顔はこの30年以上かわらない、ように自分には見える。 1985年の春、家人と日本に帰省して田舎の親戚、友人を集め披露宴まがいのことをして戻ってきたときその土産の中に女児用ちゃんちゃんこが二つあった。 もう一人の義妹にもこの姪と同い年の娘がいてこの二人に派手な色のちゃんちゃんこを家人が選んでいたのだった。 皆えらく喜び本人たちも気に入ったのか三歳児たちはすぐに大きくなりじきに着られなくなってもそのままずっと日本土産だと言って持っていた。 この二人は家族の中でも飛び抜けて喋りで周りにいると喧しくて仕方がなかった。 それは彼らが結婚もし母親となって少しは大人しくなったとはいえまだその名残は十分ある。 二人とも眼がクリクリと動き絶えず何かしていた。 10ぐらいまでは自分が彼らの家に行くと「Nおじさん!」といいながら跳びあがり自分に抱き着いてくるぐらい活発だった。 二人の父親はそれぞれ2mはある大男で母親たちも180近くはあるから今では姪たちはこちらが見上げるような体つきではあるけれど自分の眼には三輪車に乗る3歳児の面影が強く残っている。 この写真のことは聞いてはいなかったのでびっくりした。 どうして、と尋ねると「私がカワイイからに決まってるじゃん、伯父さん、ばかね」と言うに決まっているから訊かない。



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