暇つぶし日記

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’16秋、一か月の帰省(1) 電車で通う

2016年11月11日 14時58分48秒 | 日常

 

日本滞在の折、田舎の駅からこれまたそれ以上に田舎のJR阪和線の駅をほぼ毎日片道10分ほど往復した。 大抵午前10時を廻って乗り、暗くなった午後8時前またそこに戻るという日々だった。 一か月は往復しなかったので定期券は使わず回数券を40枚以上利用した。 同じ駅の同じ場所から同じところを日常に通う経験はもう25年ほど経験していない。 今の家に住み始めてから仕事場まで自転車で片道12分だった。 だから電車やバスを使うのは自分の日常ではない。 だから電車を使うときは心が躍る。

ハーグの外れに住んでいたころオランダの国鉄(NS)を使って5年ほど通勤したこともありそれも今回と同様住んでいるところから駅まで歩いて5分ほどの、電車で片道10分ほどの旅程で、着いた駅から10分弱歩くという今回のものとほぼ同じコースなのだが両者の景色はまるで違うものだ。 

オランダで最も人口密度の高い都市部ではありながら都市の間は平らな牧草地の中を走るのんびりした景色で、季節の移り変わりに応じて牛、馬、羊を眺めてはその間を動き回る野兎の数を数えながら移動するという牧歌的なものだった。 それでも都市化は進み町の外れは何千という規模で新興住宅地が造成され牧草地が浸食されていくのを見ている。 朝8時ごろ出かけ6時前にもどるというラッシュアワーの通勤帯だったのだがその5年の間に立った経験はほとんどなかった。 

1975年から4年ほど南海本線を使って大阪本町の弱小貿易商社に通ったのとは比べ物にならない。 当時は田舎の駅でも乗り込むともう座ることが出来なく難波に着くころには鞄から手を放しても鞄は人の間から床に落ちることのないほどの込み方で一度は冬の着ぶくれた混雑から誰かの肘の圧力で窓ガラスが割れたのを見ている。 今回朝は別として難波、天王寺から夕方のラッシュアワーを経験したけれどそこではもう嘗ての満員の雰囲気が消えていて人の間にスペースが大分出来ていたような感じがする。 通勤時間帯が拡散したのかそれとも通勤人口が減っているのだろうか。 相変わらず居眠る人の多いことは確かだが嘗てのように新聞や本を読む人が圧倒的マイノリティとなり今はスマホに見入り指を動かしている人たちが殆どだ。 自分の経験したヨーロッパの通勤時間には偶にそんな人々を見かけても日本のように大量に居眠る人を見ることはなかった。 日本の電車で絶え間なく携帯電話をマナーモードにするようにアナウンスされることには違和感を覚えた。 日本人の若者のマナーが変わったのかそれともそんな中で日本社会の寛容さが浸食されているのか今浦島には判断できない。 それに電車内で見知らぬ人と会話をするようなことも見られないのがそれに併せて社交性、社会性が内に向かっているように感じる。 内に閉じた日本という惹句が頭をよぎる。

JR日根野駅は田舎の駅でありながら面白い。 大阪側から来た電車はここで関西空港に行く4両と和歌山方面に行く4両が切り離される。 若しくは大阪側に向かう車両と関西空港から来た車両が連結される。 朝ここに来るたびに切り離される場所に立ち切り離されるところを見ていると昔の互いに握手するような連結器が今では二つの真っすぐ尖ったピンが刺さり合いそれが鎌のように回り込んできた二つの別のピンで確保される仕組みでもう昔のように作業員の介助もいらず簡単なものになっている。 そこでは離れて行く車両は最後尾だから忙しく車掌が最後尾を準備し、同時に新しい運転手が重い鞄を次の車両に持ち込み運転台のスイッチを幾つも操作し、ポケットから出した自分のIDカードを二つ別々のスリットに滑り込ませ運転席のシートを調節して運行票を確認し出発を準備するという手際よさだ。 これはヨーロッパの乗務員たちののんびりした態度とは言い違いで見ていて気持ちがいい。 当然客室からはガラス張りで自分の名前も出ていて、こんないつも後ろから見られているような環境では新幹線で運転手がゲームをしているなり足を投げ出して寝そべっているというようなことは考えられないだろう。 

子供たちに混じって電車の最先端でオランダにはない山々の中を突き切るような景色を眺める楽しさは子供のころに戻ったような気になる。 運転手にしても30代の比較的若い男女が一々信号を指をさし確認するのが見られ今回一か月で遅延したのが10分弱一回だけで後はちゃんときっちり定時に発着したことから、自分が住むオランダでは半時間の遅延は屡で、それもフォローの通報もまちまちというところからすれば世界中から驚かれる正確さでもある。

日根野駅で面白いのはそれまでずっと日本語・英語・韓国語でアナウンスがあるのにここで後部の和歌山に行く車両から関西空港に行く車両に大きなスーツケースを引っ張って走る外国人客が大勢いることだ。 大抵は数分の操車時間の間に移動するのだが必ず何人かは遅れる者がいる。 だからこの駅には専門のユニホームを来てこれに対応する係員がいて切り離されて関西空港に行く車両が出たたあとでもこの歳とった係員は4か国語かで書かれたボードを手に通路を歩いてそれを見せて対応している。 

この何年かで世界中で顕著になったことだが中国人が溢れている。 ここでもそうだ。 空港へのターミナル駅であるから殊更それがめだつ。 現に自分がこの何年か利用していた駅から数分の高層ホテルが中国資本に買われて急に宿泊料金が上がり予約が取れないことが多くなったことにも現れているのだが自分が乗る和歌山行には外国人で言うと欧米人のほうが中国人に比べてその頻度が高いようだ。 殆ど毎日そんな人々も見られ辺鄙な田舎の駅にも関わらずオランダ語が聞こえそんな人々と話すことも何回かあった。 いつもいつも話しかけるわけではないので遠くから眺めているだけのことも多いのだが今回、高野山から熊野古道小辺路を歩くために調査に来ていたスウェーデン人二人に出会っている。

それにしても今回の「電車通勤」で気分を高揚させてくれたのは10月の気候だった。 大抵陽が射し遠近の山々が長閑に映り平らで寒冷なオランダから来た者には心安らぐものだった。  寒い国に住む自分には認知症が深まってきた母の元から家路につく毎日の日暮れてから感じる鬱が11月の初めになってもまだ温かい空気が残っていることで幾分かは紛れ落ち込むことから免れたようだ。

 

 



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