60からのつれづれ日記

6回目の年男、現在は月20日ほど、午前中3時間ほどのパートでのんびりと仕事をさせてもらっています。

書道甲子園

2015-07-31 14:32:59 | 日記
7月26日(日)は第8回書道パフォーマンス甲子園大会が開催されるということで
四国中央市へ。砥部から下道を通って約2時間15分、会場の伊予三島運動公園体育館へ
11時に到着。体育館の周辺の駐車場はすでに満車。警備員の指示で少し東に行った四国
中央医療福祉総合学院横の駐車場へ車を止める事に。

全国的に知名度の上がった書道甲子園。今年の大会の応募数は33都道府県から84校の
エントリー。その中から地方大会を勝ち抜いた本戦は21校の闘いとなりました。
演技は審査員への披講を含め6分以内で選手は最大12名までで演技をします。
そして縦4メートル、横6メートルの大きな紙に熱い思いを込めて力強く文字を書く。
軽快な音楽に乗せ踊りやダンスなどのパフォーマンス。様々な衣装や趣向で筆を使い演技
する高校生のエネルギーは外の暑さも吹き飛ばすほど。
それぞれの学校の個性豊かな作品に会場からは大きな拍手が起きます。きびきびした
姿勢で試合(演技)に臨む様子は見ていて非常に清々しくて潔いものです。

完成した書は体育館の審査員席と観客席の三方に長いポールで差し上げ披露する訳ですが、
その表現力、美しさ、文字の個性、色彩などに感心させられます。ここまで何度となく
練習を重ねて来たとは思いますが、本番は修正の利かない一発勝負。
演技の後は緊張とプレシャーから解放され、その感動からインタビュー席では号泣する学生も。
今年の優勝校は香川県立高松商業高校、準優勝は同じく香川県の高松西高等学校で香川勢の
活躍が目立ちました。ちなみに愛媛県から出場の三島高校、西条高校は残念ながら入賞は
ならずでした。

大勢の観客を魅了したこの大会。きっかけは不況に陥っていた紙の町をなんとか盛り上げようと
三島高等学校の書道部の部員たちが2001年から高校の文化祭や地元商店街のイベントで
書道パフォーマンスを始めたことでした。それが地元テレビ局が取材、その後全国ニュース
でも取り上げられその活躍と存在が徐々に広がることになります。2008年、ついに
正式な大会として第1回書道パフォーマンス甲子園が開催されることに。その様子が
日本テレビの朝の人気番組「ズームイン!!SUPER 」で放映されて一気に認知度が
上がります。そして映画にもなり「書道ガール』が公開されたのは2010年。

そんなこんなで今年が8回目の大会。一地方の高校生の思い、行動、発想が形になり
地域おこしにも一役かっている訳ですが、書道部のイメージも一新したという点からも
その影響は大きかったと思われます。書道部というと文化部で部屋の中で紙に向かって
黙々と書をたしなむ、大人しい、暗い?!部活というイメージが根付いていましたが、
音楽や踊りなどその演技は明るく躍動的、体を上下させ足、腰をリズミカルに動かし
躍動するその姿、特大の大筆を抱えてのパフォーマンスはまるで運動部顔負けでは
ないでしょうか。

参加校の健闘をたたえ、当方、若さ溢れる演技を見て元気をもらい爽快な気分で
会場を後にしたのであります。


会場の伊予三島運動公園体育館。


1階フロアに入ると前半の部が始まっていました。


愛媛県三島高校の作品。この場所は2階正面になり大勢のカメラマン、高校の記録用のビデオ撮影の方で混雑していました。


長野県からの参加。御嶽山の噴火に立ち向かう力強いメッセージになっています。





黒の袴姿が凛々しくて好感が持てます。


天井の証明がユニーク。


音楽に合わせた動きに見ている方も息を飲む瞬間。


こちらは県立岐阜商業高校の作品。


日頃の練習の成果が出たようです。



大役を終えて安堵の表情にやり切った満足感が混ざります。


前半の部が終了。昼の休憩になります。作品はここでしばらく乾燥させます。


午後の部が始まりました。





遠く本州の端からの参加は青森県八戸東高校。お疲れ様。


出場校に写真を送られる方もいました。


今日の人手は5000人を超したようです。体育館はエアコンが効いていて快適です。


大分高校の作品。


コスチュームが個性的でした。


書き終えた後は両端、間に2本の計4本のポールで作品を支えて観客席に見せます。


大会スタッフの高校生。用紙を敷くエリアを掃除します。


愛媛県西条高校は今年が確か初出場?感極まって涙が。しかし涙を拭うその手には墨が…。精一杯やった勲章です。


こちらが準優勝の高松西高校の作品。





しゃがみ込んで文字を書くのも体力、脚力がいることでしょう。


大きな筆にたっぷり墨を含ませます。緊張しますが、仲間の期待を背中に受けて頑張ります。


広島県の五日市高校は3位入賞となりました。


高松商業高校の見事なパフォーマンス。


息のあった高度な動き。圧倒的に観客を魅了しました。


書き上げた作品です。書の源、中国をテーマに構成したとか。


すべての演技が終わり成績発表を待つばかり。


表彰式が始まりました。


順位発表に聞き入る各学校の学生たち。


今年の優勝は高松商業高校でした。いい笑顔が舞台一杯に弾けます。


鶴姫レースと立網漁

2015-07-27 11:36:39 | 日記
前回のブログ「鶴姫まつり」の記事で書いていた宮浦港での櫂伝馬の競技(鶴姫レース)の
様子を写真で紹介したいと思います。

以下、鶴姫レースについて「鶴姫まつり」のホームページから参照させていただきました。
鶴姫レースはとは「櫂伝馬(かいでんま)」と呼ばれる木造船に10人の漕ぎ手と太鼓、舵取りの
総勢12名で乗り込み速さを競うレースで、鶴姫まつりのメインイベントの一つです。元々は
大三島町宗方地区で、八幡神宮「十七夜祭」の時、神輿(みこし)を船に乗せ、その周りを3隻の
船で2日間ひたすら漕ぎまわっていたものが、「鶴姫まつり」に受け継がれレース形式に
なったとか。地元大三島のみならず、県内外からも参加者があり、毎年30チーム程が体力、技術の
限りを尽くしそのスピードを競い合います。
レースは「みくし」「やくし」「かがみ」の3隻の船でのトーナメント方式。
沖合のブイを回って600mのコースとなります。チーム独自の太鼓のリズムにあわせて櫂を
漕ぎます。猛烈なスタートを見せるチーム、見事に櫂を合せるチーム、前半に全力を出し過ぎて
後半はばててしまいスピードが落ちてしまうチームもあったり。炎天下の中、汗びっしょりで
チームワークよく小舟を漕ぐ選手たち。海上に大勢の観客の拍手が鳴り響きます。

一通りのチームのレースを見たので4時過ぎに宮浦港を出発。道の駅を出て上浦町の井口まで
来ると海岸では立網漁が行われていました。その数軽く1000人以上でしょうか。「サマー
フェスタinかみうら」というイベントの一つのようです。会場のアナウンスではブリ、ハマチ、
鯛、アジ等々が6000匹放流しているとのこと。両手に大きなハマチを手に持つ人や、
次から次へ魚を掴んでクーラーボックスに入れている様子を見ていると、入場料の1600円は
ただみたいなもの。いや、皆さんの笑顔に納得です。しばらくは魚づくしの夕食で羨ましい
限りです。


いよいよスタート。男たちの背中に力が漲ります。


総勢12名。力を合わせて必死で漕ぎます。


渾身の力。


プライドと誇りを賭けて勝利を目指す。


広島は竹原からの参加です。


三艘の熾烈を極めた闘い。


女性チームもエントリーしています。男性顔負けのパワーです。なめたらいかんぜよ。


日傘を差した若い女性の方。モデルになっていただいて撮影しました。


観衆の声援の中、接戦が続きます。


太鼓を叩く人も歯を食い縛って。力が入ります。


宮浦港の桟橋が選手の控え室と応援席になります。


櫂伝馬を眺める少年と少女。二人の距離がいい感じであります。


女性チーム。こちらを向いてエイエイオー。スタート前に気合いを入れています。頑張って下さい。


三艘はここからスタート。


立網漁。お父さんの両手に大きなブリが二匹!!すごい!!


子供たちもこの通り。鯛と大きなアジが入っていました。


この人出です。何が何やら…。


足の踏み場がない!!魚も災難?!


奥に見えるのは上浦町の体育館「しまなみドーム」です。


お父さんも子供も大漁です。



鶴姫まつり

2015-07-25 22:37:10 | 日記
7月19日(日)は写真撮影のため、大三島の大山祇神社で開催された「鶴姫まつり」に行って
来ました。当日は朝から小雨がぱらつき心配していましたが、大三島インターを降りた9時30分
頃には雨が上がり昼過ぎには快晴に。

祭りを盛り上げるために大山祇神社には小松から7台のだんじりが登場。境内を練り歩きます。
その後、鶴姫行列の一行が神社を参拝し大勢が見守る中、宮浦港までの参道を歩きます。
今年はしまなみ海道15周年記念とあって坊っちゃん劇場で公演中の「鶴姫伝説」のミュー
ジカルの役者さんたちが特別参加して盛り上げてくれます。
宮浦港のイベント会場には今治焼豚卵飯、金魚すくいなどの屋台が並び、祭りのムードそのもの。
だんじりのかき比べがあった後、12時30分からは鶴姫伝説のミニミュージカルショーの開催。

餅まきや鶴姫トークショー、お楽しみ抽選会、ミニSL乗車体験などの催し。1時過ぎからは
櫂伝馬(かいでんま)と呼ばれる木造船による「鶴姫レース」が始まります。
木造船に乗った10人の漕ぎ手と太鼓、舵取り役の総勢12人がその速さを競う競技です。
宮浦港の沖合のブイを回る600メートルのコースだとか。今年は県外からの参加も
あり24チームが出場しました。

さて鶴姫といえば先ほど書いたように坊っちゃん劇場で公演中のミュージカル「鶴姫伝説」の
主人公としておなじみ。瀬戸内海の三島水軍を率いて乱世戦国の世を駆け抜けて行った伝説の
女性。とは言うものの愛媛に住みながら深く理解していない当方、せっかくの機会なので
ウィキペディなどの資料から再確認してみたいと思います。

鶴姫の生涯については『大祝(おおほうり)家記』が記録に残されていて、鶴姫は戦国時代の
1526年正月、今治の別名にあったという大祝家屋敷にて、大山祇神社第31代大祝職(大宮司)
の大祝安用(おおほうりやすもち)とその女中・妙林との間に生まれたとあります。彼女は
顔立ちが整った大きな女児で、生後百日足らずで声を上げて笑い、成長すると力量・体つきも
優れて男子も及ばぬほどの勇気を備えるに至り、人々から明神の化身ではないかと噂されたと
いわれていたようです。父・安用はそんな鶴姫を寵愛し、幼時より武術や兵法を習わせて
いたとのことです。

1541年6月に周防の国・大内水軍が侵攻すると、大祝職となった長兄・安舎(やすおく)に
代わって次兄の安房が陣代となって三島水軍を率いて出陣し、河野氏や来島氏と連合して大内軍を
迎撃をします。兄の戦死を聞いた鶴姫は三島明神に祈請し、明神を守護しようとして甲冑を着て
馬に乗り、大薙刀を振るって敵陣へ駆け込むと、「我は三島明神権化の者なり、我と思わん者は
出だせたまえ」と大音声を張り上げて味方を奮起させ、大内軍を撃退します。
同年10月にも瀬戸内海の覇権を目指す大内氏が侵攻すると、戦死した安房に代わって16歳の
鶴姫が出陣し、大内軍を撃退したと記録には残されているようです。この戦で鶴姫は甲冑の上に
赤地の衣を羽織って早舟に乗り込み、これを見て遊女が近づいてきたと誤認、油断した敵方に
攻撃を仕掛け、敵船に乗り移ると素早く敵将を捕えて討ち取り、焙烙(ほうろく)や火矢を
放って敵軍を追い払ったとか。

1543年(天文12年)6月、2度の敗北に業を煮やした大内水軍の頭首大内義隆は、配下の陶隆房を
大三島の河野氏の勢力域に派遣し戦いを挑みます。。河野氏とその一門は全力で迎え撃つが、
多勢の大内軍の前に多くの一族が討たれ、鶴姫の右腕で恋人とも言われた越智安成も討死します。
これを受けて大祝職の安舎は大内氏との講和を決断した。しかし鶴姫は残存兵力を集結させると
島の沖に停泊中の大内軍に夜襲を仕掛けてこれを壊走させ、大三島から追い出すことに
成功。しかし戦死した恋人の安成を想う鶴姫は、戦いの後に三島明神への参籠を済ませると、
沖合へ漕ぎ出し、そこで入水自殺して18歳の生涯を終えたと伝えられています。
鶴姫は辞世の句として「わが恋は 三島の浦の うつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ」と
詠んだといい、『大祝家記』は、彼女の伝記を「鶴姫入水したまう所、鈴音いまに鳴り渡ると
いう也」という一文で締め括っているとのことです。

鶴姫が実在したかどうかは様々な疑義があり疑わしいようではありますが、いずれにせよ
戦国時代、瀬戸内海の水軍が割拠する中「瀬戸内のジャンヌダルク」と呼ばれる若き女性、
鶴姫は史実とは別に、我々一人一人の心の中に夢とロマンの対象の「物語」として存在しても
問題ないと思われます。

以下は鶴姫まつりの様子を写真でご紹介します。


西条は小松からのだんじりの屋台が参加。祭りを盛り上げてくれました。


ちびっ子も気合いを入れてエイエイオー!!


冷たい飲み物に次から次へ手が伸びます。


優美華麗なだんじりの装飾。職人の技が光ります。


一番の見せ所。皆で力を合わせてだんじりをかき上げます。


大山祇神社の境内に勇壮なだんじり。


さらに男たちの威勢のいい掛け声が響きます。


参拝を済ませた鶴姫行列のお供に扮した地元の中学生でしょうか、弓矢を持って降りて来ました。


出発を前に船の上でスタンバイした鶴姫と母親役の方です。


今年の鶴姫役は坊っちゃん劇場のミュージカル「鶴姫伝説」の主役、塩月綾香さんです。


同じく行列の武者たち。


大勢の人たちに見守られながら、いよいよ神社を出発。


山門での写真。


健康的な明るい笑顔が印象的です。


表情豊かな鶴姫役の塩月さん。さすが元宝塚ジェンヌであります。


宮浦港に向けて行列が続きます。


ホラ貝を上手に吹く中学生。


普段は閑散とした町並みも今日はこんな感じ。


沿道には鶴姫さんを一目みようと大勢の見物客が。


宮浦港のイベント会場の唐揚げ屋さん。


餅まきが始まりました。


鶴姫さんの横では今治市長の菅さんの姿も。


いよいよミュージカルが上演されます。


透き通り張りのある歌声はさすがです。


鶴姫伝説の起承転結になる場面を歌で表現しています。


外連味のない晴れ晴れとした清涼感と情感一杯の鶴姫の歌声が会場を魅了します。


炎天下にも関わらず観客が舞台を堪能。本物、一流は人を寄せ付けるということですね。


最後は大山祇神社の宮司のお孫さんからの花束が鶴姫役の塩月さんにプレゼントされました。





食べること

2015-07-18 20:43:13 | 日記
やはりバタバタとしていて今月もブログがなかなか更新出来ていませんが、台風一過やっと
今日から3連休に入り少し時間ができたので書かせていただきます。

さて昨日は時期はずれ?!ではありますが、職場の歓送迎会が7時から松山市内でありました。
少し時間があったので大街道の明屋で芥川賞に決まった又吉直樹の「火花」を買おうと立ち
寄ったところ品切れ。今度の入荷は20日頃なので急ぐなら他の明屋でお願いしますとのこと。
現在64万部を販売、さらに文藝春秋社が今回の受賞で40万部を増刷したとか、やはり漫才を
生業とする異色の作家ということでその話題性ばかりでなく、質と内容も芥川賞の選考委員から
お墨付きをもらった訳で純文学の作品としては久々のミリオンセラーに。売り切れになる
理由もむべなるかなと納得。変わりに阿川佐和子の「叱られる力」を購入し会場へ向かいました。

大街道を東に道を1本入ったところにある日和屋「豆蔵」が今回の会場。コンパクトで
しっとりした京風町屋の作り。メニュは以下の通り。
1.鍋物  豚ロースしゃぶと生湯葉の豆乳鍋
2.御造里 三津浜漁港直送の地魚ニ種盛り
3.生麩  もちもち京生麩のフライ
4.旬采  生ハムとパリパリ湯葉の彩りサラダ
5.揚物  手羽先の唐揚げ 特製スパイスがけ
6.食事  豆乳出汁の卵雑炊
7.お口直し 黒胡麻のあいすくりーむ

最近は色々な鍋が流行っていますが、当方、確か豆乳鍋は初めてではないかと。
豚肉と相性が良く豆乳がポン酢とよくマッチしていて美味しくいただきましたが、個人的には
豆乳鍋の出汁で作った最後の卵雑炊でした。さらりとしていて味は濃厚、ちょっと矛盾して
いる表現になりますが、何回もお変わりしました。
飲む方は生ビール、その後は芋焼酎の湯割りに八朔の梅酒等々、特に八朔梅酒が美味。
もう一杯と思ったら早くラストオーダーでストップ。また、次回に期待ということで。

さて、人間は一生にうち何回食事をするのか?ネットで調べてみると、1日3回食べるとして
365日×3回×80年(おおよその寿命)で約8万8000回とのこと。あと何回食べられる
かは神のみぞ知る訳でありますが、どうせ食べるなら「美味しいものを」は理想でありますが、
当方はどうせ食べるなら「美味しく」と考えたいと思います。高級な食材、高級な店などに縁が
ないので、美味しく食べるための工夫、知恵、環境などに目を向けたいということです。

良い例がきつい山登りをして山頂で食べる塩のおにぎり、その道中で飲む湧き水、
当たり前ですが、腹ぺこの状態で食べるものは何でも美味しいということです。飽食の時代、
「足るを知る」「過ぎたるは及ばざるが如し」少し控えめの精神がいいのかも知れません。
そして「美味しく」食べるにはいつ、どこで、誰と、何を、何故、どのようにして、この
5W1Hが重要ではないかなと。

例えば、同じ料理を食べても気心の知れた仲間とワイワイ言いながら食べた時と、堅苦しい
フォーマルな席で黙って食べた時を想像すればその違いが分かると思います。
いわゆる食べた気がしないというやつです。屋外の自然の中でのバーベキューもしかり、
同じ肉でも敵面に美味しく感じます。家族での間での何かの記念日に食べる食事もしかり、
豪華ではないけれど美味い。運動会の日、母親が朝早く起きて作ってくれた手作り弁当は
美味しいものの最高峰ではないでしょうか?もちろん、盆や正月での食事会もしかりであります。
この季節であれば渓流のせせらぎを聞きながらの流しそうめんなどはまさに場、
シチュエーションが美味さの基本要素になります。

さらに美味しく食べるには「感謝」の気持ちが肝要かと。米一粒出来るまでどれだけ多くの
手間と時間が掛かっているのか?野菜、肉もしかり。太陽や水などの自然の恵に感謝。
そして四季があることにも感謝。
さらに生産者の方々への有り難いと思う心、つまり感謝です。この気持ちがあれば食物を粗末に
扱うこともありません。もったいないという気持ちにも繋がります。
残りの人生、あと何回食べられるか分かりませんが、「美味しく」食べる回数、コツを
ひとつでも増やせればなと思いつつ…。


これは先月行った来住町にある「飯台」


野菜もシャキシャキ感があって新鮮。


鮮度のいい刺身の盛り合わせ。


串カツがビールに合います。


これはごぼうの天ぷら。塩をかければ絶品。


ということでビールをついついおかわりすることに。


こちらの写真は少しぶれましたが、小松駅前の「マルブン」のナポリタン。7月15日の昼食です。あとで自家製のソーセージを追加しました。この店は大正12年5月創業の老舗で現在は食堂の時からのオムライスや洋食、ピッツァ、パスタなど、イタリア料理で地元に根差したローカルレストランを展開、評判のいい店です。


同じく鶏肉のメインデッシュランチ。平日のお昼ですが、店内はほぼ満席状態でした。










どろんこ祭り

2015-07-12 07:41:39 | 日記
ばたばたとしていてブログの更新ができずやっと今日、久しぶりに記事を書く事に。
7月5日(日)に昨年は行けなかった城川町のどろんこ祭りに写真撮影に出掛けました。
ちなみにこの祭りは田植えが終わった喜びを神に感謝し、五穀豊穣・無病息災を祈る素朴で
ユーモラスな田休み行事となっています。また農作業が終わった農民の労をねぎらうイベント
でもあったようです。

当日は天気がいまいちで時折小雨がぱらつく中、朝9時過ぎに砥部を出発。56号線を五十崎に
向けて走り県道229号線に、そこから鹿野川ダムの側を通る197号線に出て城川町土居に
ある三島神社を目指します。駐車場で弁当を食べ会場へ着いたのが12時20分頃。
丁度、神田で牛の代かきが始まる直前でした。今年は牛は全部で7頭。昨今、農耕用の牛など
おらず肉牛をこの祭りに駆り出すわけですが、練習はしているものの足並みを揃えて田んぼの
中を歩かせるのなかなか大変です。牛もそれを操る人も本当にご必死で取り組んでいて
上手く行った時は観客から拍手が起こります。牛の中に1頭、マイペースで列を見出す
やんちゃな牛がいましたが、それも愛嬌、みんなの笑いを誘っていました。

次は地元の5人の若者による「畦豆植え」。ユーモアを交えた演出で会場を湧かせ最後は
恒例のプロレス?!で田んぼの中で泥んこに。その捨て身の姿を写そうと大勢のカメラマンが
シャッターを押します。いよいよメインの神事である「さんばいおろし」。天狗の面のダイバン
という役が、神事に興味を示し、やがておどけて神官の邪魔をし、神田に突き落としたりして
いく様子をこれもまたユーモアを交えて演じます。それが終わると地元の小学生による
「早乙女踊り」とお田植えで祭りはフィニッシュを迎えます。

今日の観客は報道発表によると約3500人、外国の方も多く見かけました。
「伊予奥の奇祭」と言われるだけあってカメラマンも多く遠くは関西方面からも
来られていました。普段は静かな里山に活気が漲る1日となりました。非日常の瞬間、
9月にある写真教室の展覧会に出品する作品用としていいものが撮れていればいいのですが…。
いずれにせよ、昨今の農業を取り囲む環境はTTP問題を含め厳しいものがありますが、
日本の米作りの有り様と人の暮らしを再確認させてもらう1日となりました。



小雨がぱらつく中、3500人の見物客で賑わいました。


遠来からのカメラマンも多くこの状態です。


いよいよ代かきが始まります。


今年は7頭の牛が頑張っています。


1頭だけが列を乱してなかなか人間の言う事を聞いてくれません。


普段歩くことのない慣れない泥の田んぼで牛も悪戦苦闘。


このコーナーを上手に回るのもコツが必要。外の牛と内側の牛のコンビネーションが問われます。


きれいに一列に整列。人も牛も息がぴったり合っています。


観客も牛の一挙手一投足?!に目が離せません。


畦に豆を植える若者。これからふざけあいが始まります。


豪快な投げ技。


もうどろどろの取っ組み合い。


水と泥で思うように体が動いてくれません。



足を抱えて相手を倒す!!


これが終わってはしばらくは筋肉痛になるでしょうね。


大番が神事の参加します。


いたずらが始まります。


結局みんな泥だらけに!!


一仕事終えた大番が田んぼを歩き回りパフォーマンスを。


土居小学校の子供達による早乙女の踊りです。


真剣な表情で祭りに華をそえます。


踊り終えて草鞋を脱いで靴下に履き替えています。


カメラマンに向かって良い笑顔です。みんな、お疲れ様。


いよいよ男子の出番。こっちを向いてもらって撮影させてもらいました。


編み笠が似合っています。


女の子も本番が終わってほっと一息ついていました。


米は古来よりに日本を支えて来た基盤です。今年も豊作でありますように。


太鼓を打って女子の田植えを応援します。


最後まで観客の温かい声援が。


地域の伝統行事が完成豊かな子供達を育だててくれることでしょう。