ごく稀に更新するブログ

ピカピカピカソ!!

原チャリ軍団と極寒の南国

2011年07月30日 | ビビットトーク
ヒョンな仕事の流れで台北へ3日間ばかり行ってきた。私の頭の中で台湾といったらバナナだったので、ジープが砂煙をあげて走る左右にバナナの木がこんもり実を付けて連なっているような風景を想像していたが大きな勘違いだった。小松からの直行便で夜、空港に到着し、台北市内に移動したのだが、北陸自動車道のように片道2車線の理路整然とした道路ではなく、何車線にも広がった道を、ただ同じ方向を向いて走るという約束だけで・・まるで牛のごとく車が抜きつ抜かれつ、割り込みつつ疾走していた。台北市内は、古びた家屋と鉄筋ビルが交互に立ち並び、ここでは車に混ざり、原チャリ族が幅を効かせている。もちろ2人乗りOK。信号待ちになると、車の横をすり抜けて族が先頭に飛び出し群れを作りだす。道路は東京並に広いのだが、マラソンのスタート合図をいまかいまかと待つように縦に横に占領した原チャリ軍団で道路の前方は埋め尽くされる。青信号に変わるや否や一斉に飛び出していくがやがて車が追いつきはじめるので、車と原チャリがデッドヒートを繰り返しながら走っている状態。もの凄くアクティブで前進思考な国の勢いが車やバイクの疾走感に現れているように感じつつも、私はこの国でハンドルを握りたいとは思わない。地下鉄などは日本のそれよりも駅構内も車内も美しい。中心街のデパートもシャレたディスプレイで気品に溢れている。金沢よりは東京圏に近い規模で発展した街だと感じる部分が多いのだが、一方では40年ほども前の昭和を彷彿させるバタバタの屋台がひしめく路地や、ゴミの山を積んだリヤカーを引くおじいさんが信号無視もいいところで我が道を行く姿を見かけたりもする。確かに物価は安いのだが、買物目的でも無い限り、のんびりくつろぐという趣はなかった。本場の台湾ラーメンに期待をしていたが、すがきやで食べた台湾ラーメンの方が10倍美味しかった。さらに外の暑さと湿気のねっとりとした熱気に対して、屋内の効き過ぎたクーラーへの恐怖。最初はキンキンに冷えた空気に癒されると思っていたのだが、次第に外気とのギャップに身体がついていけず吐き気や頭痛を催すようになる始末。台湾の思い出は南国の青空とバナナの木とスパイシーな台湾料理三昧とフルーツたっぷり!!で幕をおろす予定だったが、恐るべし原チャリ軍団と身体の凍るクーラーとなってしまった。結論、我が社の効きの悪いクーラーの方が身体にはいいのだ。
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二年目の対決。

2011年07月04日 | ビビットトーク
木曜日、白峰のかんこ大橋の上で仕事をしていた。金沢の気だるい暑さから抜け出し避暑地に赴いたはずだったが白峰もちゃっかり太陽熱に覆われていた。おてんとう様を真上に置きながら土手の草に足を踏ん張り仕事をしていると、両の手がふさがった私の右足の膝下15センチ位のところに黒い虫がつながった。瞬間、蚋(ぶよ)だ!と思い、瞬時に手の中の道具を左に持ち替え、右のひらで思い切りはたくはずが、奴はすでに私の足から離陸しており、蚋が繋がった余韻が残る足をかろうじてひっぱたたくに留まった。それでも奴が刺す直前の未遂にとどめたであろうと思った。昨年、能登柳田での仕事の合間に満天の星に気をとられているうちに蚋の執拗な攻撃にあっていた。蚊と違って蚋の場合、腫れと痒みが翌日やって来る。かつて蚋に刺された経験が無かったので、柳田から帰った翌日に両の太ももの上から下一列五~六ヶ所、両足だから計10箇所以上に赤い突起物が現れ半端ない痒みに襲われた時は中学以来の蕁麻疹かと思った。相方にそれは蚋や!とお墨付きをもらい、虫刺され軟膏のすり込みを開始したが、かつてない痒みが10日以上続いた。蚋にやられたら半端ない苦しみが付きまとうことを昨年学んだはずなのに、3日前からまたポリポリやっている。瞬きほどの僅かな瞬間に奴はしっかり仕事をし飛び立ったのだ。忌々しいポリポリがまだ一週間は続くことを私は知っている。
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