烏丸通から高辻通りを西に歩いていると、室町通りと新町通りの間に独特の雰囲気の学校の建物を発見しました。
壁一面にツタが生えていますが、今は冬枯れで葉っぱは見えません。
条件反射で「つたのぉからまぁる~」という節が出てきてしまいます。
通りに面して、生徒達が友禅染めで作った夢の祇園祭山鉾の絵が飾ってありました。
玄関。
西門。
調べて見ると、ここは京都市立成徳中学校で、2007年4月1日に周辺の5つの中学校(成徳・郁文・尚徳・皆山・梅逕)が統合されて、下京中学校になるそうです。
3月までの間にそれぞれの学校で閉校式が催されます。
京都市内中心部の生徒数減少で、小規模学校の弊害を憂えた保護者・住民の方から統合の要望が出ているそうなので、やむを得ないのかとも思いますが、歴史のある地域の学校がなくなるのはやっぱり寂しいものでしょうね。
この他にも京都駅周辺の小学校も統合されると聞きました。
小学校の統合ともなると、遠くからの通学路大丈夫かなと心配になってきます。
で、気になるのは統合後この建物がどうなるかということ。
成徳中学校跡地は下京中学校のグラウンドになり、建物も一部残されるということですが、何とか残して有効に使われるといいのですが。
この学校も明治2年に下京第9番組小学校として創設された伝統のある学校で、現在の校舎は1931(昭和6)年京都市営繕課設計、当時の学校建築の面影を残す重厚な建物です。
↑ホームページで見ると、春夏になると緑のツタが建物全体を覆い、中にいると緑のベールで覆われているようで、とてもいい感じです。
ツタの繁っている時にもう一度見に行きたいです(できたら中に入って)。
壁一面にツタが生えていますが、今は冬枯れで葉っぱは見えません。
条件反射で「つたのぉからまぁる~」という節が出てきてしまいます。
通りに面して、生徒達が友禅染めで作った夢の祇園祭山鉾の絵が飾ってありました。
玄関。
西門。
調べて見ると、ここは京都市立成徳中学校で、2007年4月1日に周辺の5つの中学校(成徳・郁文・尚徳・皆山・梅逕)が統合されて、下京中学校になるそうです。
3月までの間にそれぞれの学校で閉校式が催されます。
京都市内中心部の生徒数減少で、小規模学校の弊害を憂えた保護者・住民の方から統合の要望が出ているそうなので、やむを得ないのかとも思いますが、歴史のある地域の学校がなくなるのはやっぱり寂しいものでしょうね。
この他にも京都駅周辺の小学校も統合されると聞きました。
小学校の統合ともなると、遠くからの通学路大丈夫かなと心配になってきます。
で、気になるのは統合後この建物がどうなるかということ。
成徳中学校跡地は下京中学校のグラウンドになり、建物も一部残されるということですが、何とか残して有効に使われるといいのですが。
この学校も明治2年に下京第9番組小学校として創設された伝統のある学校で、現在の校舎は1931(昭和6)年京都市営繕課設計、当時の学校建築の面影を残す重厚な建物です。
↑ホームページで見ると、春夏になると緑のツタが建物全体を覆い、中にいると緑のベールで覆われているようで、とてもいい感じです。
ツタの繁っている時にもう一度見に行きたいです(できたら中に入って)。
そんな時代なんですね。
京都を散策していると、たくさんの趣ある学校に出会います。 残念ながら大学以外は敷地内に入ることができなくて遠めに写真を撮って眺めるだけですが、それもいつか姿を消すかと思うと寂しいです。
学校ってたくさんの人々のたくさんの思い出がつまった大切な建物なのに。。寂しいですね。
この間 七条界隈を散策した時 淳風小学校も撮って来ました。 早くアップしなくちゃ。
今日は伏見ランプ小屋見てきました。
私も「保護者が統合要望書を提出」という記事を新聞で見たときは目を疑いました。
京都市内中心部の小学校はかれこれ100年以上の歴史を持つ校舎がたくさんあります。我が母校も統廃合され、今では地域の大人の役に立っているようですが寂しいものです。
放課後の時間校舎を訪ねると、油引きの匂いと足音の音響効果・・・先生の顔や同級生の笑い声、ランドセルや休職袋が懐かしく蘇ってくるようです。
まだ、存在している我が母校跡なので、ときどき訪ねてみたいと思います。でも、もう解体された校舎もあるでしょうね。そういう人はもう写真でしか見ることができないのは、たまらなく寂しい話です。かなり頑丈な建築物ばかりでしょうから、なんとか有効利用して残せたらいいのですけどね。今の保護者たちは新しくセキュリティのしっかりした近代設備の学校に建替えてほしいんでしょうね。どういえばいいのでしょう。悲しくなるのは私だけでしょうか・・・
校舎だけは残されていていいですね。私のふるさとの小学校なんかは多分みんな近代的な校舎に建て替えられているか、跡形もなくなっているのじゃないかな。「ふるさとは遠きにありて・・・」になってしまっているので、いつか訪ねてみて、その街だけでも歩いてみたいものです。