ビアンカの  GOING MY WAY ♪

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新しい山種美術館へ

2009-11-28 | art/exhibit/museum
新美術館開館記念特別展「速水御舟~日本画への挑戦~」を見に、広に移転した山種美術館に行ってきました。まだまだと思っていたら、ありゃりゃ、この日曜日が最終日でした。で、慌ててすっ飛んで行ったのです。
行きは恵比寿で下車して歩きましたが、途中で出会った器屋さんを覗いたり、ここって何だろう、とちょっと小洒落た一角を、通過せずに一周したり。あとでそこが恵比寿プライムスクエアだということがわかりました。又、同じ並びに アパレルメーカーパパス本社があり、そこの巨大なダビデ像にはアッと驚かされました。美術館とか文化会館の前とかではない、普通の道沿いに素っ裸で立っているんですもの!パパスカフェも隣に併設され、外テーブルは、店にぴったりマッチした?常連風の人達がパリのカフェの如くに陣取っていました。

洒落たビルや店舗などはすべて後から建てられたもので、私が学生だったころからあったと思われる家や店も、ちらほらと点在していたのには、ガンバレ~とエールを送りたくなりましたね。美術館の手前にある角の八百屋などは、ギョッとするほど懐かしい店構え。これから行かれる方は絶対にこの前を通過するでしょうけど、店の前に、山種美術館はこの先です、と看板を掲げているのには笑っちゃいました。けれども人の営みを肌で感じる店って、ダサいけど今の都心では貴重だと思います。

長ったらしい書き出しでご免なさい。そして以下も、終わってしまった展覧会のことなので全然面白くないかもしれません。

10月1日に広尾に移転してから2ヶ月が経ちますが、真新しい山種美術館は今だ、初めて訪れる人々で賑わっていました。入口を入ると正面に加山又造の陶板壁画「千羽鶴」が、そして左側にはいきなりカフェが見えました。広々した階段を階下に降りたところが展示会場です。以前行った智美術館みたい、と直ぐに思いましたが雰囲気はやっぱり山種風。・・・ってどんなか、というとあまり気取りがない風とでも言ったらいいかしら。

今回の特別展の目玉は、チケットにも使われた「炎舞」のようでした。「名樹散椿」とともに重要文化財となっていますが、それらを含め約120点の作品が展観。木炭等で描かれた未完の「婦女群像」や日記など、滞欧時の資料も展示されており、御舟ファンには嬉しい展覧会だったと思います。 勿論私も、知らず知らずのうちに御舟ファンの一人に・・。 今回、山種美術館の所蔵する速水御舟の作品が全て大放出!全部みられたのですから、間に合ってよかったぁ。

  未完作「婦女群像」

 
特別展の構成は美術館HPに詳しく書かれていますが、以下の順でした。


第一章 画塾からの出発: ここでは10代からの初期作品に注目。
             スケッチはラフでも、美的センスに溢れています。   

第二章 古典への挑戦;  「炎舞」や「百舌巣」などの写実から、琳派の影響を
             受けた「名樹散椿」など、彼の代表的作品を展示。
                                                  第三章 渡欧から人物画へ:ローマ日本美術展覧会の使節として渡欧し、10ヶ月
             もの長期に及ぶ滞欧中に写生したスケッチなどの他、
             外国での見聞により、人物画を多く描くようになる
             ことがわかります。「オリンピアス神殿遺址」や          
             未完の大作「婦女群像」等。

第四章 挑戦者の葛藤:  挑戦者・御舟が、制作上の葛藤を味わいながらも目指
             そうとしていたものを最晩年の作品を通して探る。
              「豆花」・「牡丹」・「写生帖」など。

    パスポート

1894年生まれの御舟は腸チフスの為、40才という若さで1935年に急逝。外国を知り、人物画を多く描き始めながらも制作する上での様々な葛藤と戦っていた豊かな才能が突然途切れてしまったことに、今更ながら残念な気持ちになりました。「日本画家」の枠にとどまらない画才溢れる御舟が尊敬していたという今村紫紅の逸話が印象的でした。

「日本画なんてこんなに固まったんではしかたがありゃあしない。」
「とにかく破壊するんだな。僕は壊すから君たち建設してくれたまえ。」
という先輩画家の言葉に象徴されるような過激な発想に、
 御舟は大いに刺激された。

         
九段のときより照明に工夫がされ、より斬新になった山種美術館でしたが、階下の企画展示室と常設展示室の間にミュージアムショップがあったのには あれっ、でした。又、カフェの前のスペースで美術館についてのビデオ放映があり、カフェでの会話とビデオの語りの声が重なり合っていることに又、あれあれっ、と思いました。

「Cafe椿」の椿のロゴは御舟の自筆だそうで、抹茶セットに付くお勧めの和菓子が、作品名と同じ「散椿」という名の練り切りで、青山の菊屋製とのこと。広尾に移転したことで、チケット代も(カフェも)ちょっとお高くなったようです。恵比寿アトレの神戸屋ベーカリーに寄ってから来たのでカフェはパス。美術館の前などでは、人が大勢いて、写真を撮る気分になれませんでした。

帰りは日赤医療センターに向かう懐かしのバス通りを、落葉を踏み踏み広尾まで歩きました。日赤医療センターを含む新開発地域を「レクロス広尾」って言うんですって。Red Crossをもじっていますが、来春にはすべてが完成のようです。病院業務などはすでに新ビルで行われていましたし、敷地内のマンションも入居済みのようでした。ここが出来る前、日赤高層ビルの建設反対の署名をしたのですが無駄でした。

          

  


ディズニーの“クリスマス・キャロル”

2009-11-24 | cinema

3連休の内2日間が本人の休日と重なった息子が言い出しました。

みんなで映画にでも行かない?

何とまぁ珍しい提案だこと、と即、話に乗り、何を見に行こうかしらね?
と聞くと、「2012」と言うのです。それって恐怖な表情で逃げ惑う人とか
地上崩壊などの連続場面ばかりでしょう?そういう類のは見たくないから
と私。どちらかと言えば、マイケルの「This Is It」か「クリスマス・キャロル」
あたりが見たいんだけど、とりあえずイクスピアリに着いてから決めても
いいか、・・・と言いながら3人してレイトショー出かけました。

結局、時間的にぴったりだった「クリスマス・キャロル」に決定!

いままでに50回以上も映像化されたという、チャールズ・ディケンズの名作を
ディズニーが映画化するんだから、もしかしてアニメかしら、と思いました。
が、それが違うんですよね。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や
「フォレスト・ガンプ」などのロバート・ゼメキス監督が、最新鋭の
パフォーマンス・キャプチャー技術を駆使して実写でもアニメでもない、
全く新しい映像世界を展開させたのです!夢の映像工房IMD
(ImageMovers Digital)を新設・・だなんて言われてもチンプンカンプンで
どういう風に作り上げたのか想像できませ~ん。ジム・キャリーが一人7役を
演じた、と聞いても、一体それがどういう事なんだかわからない!
それらが「パフォーマンス・キャプチャー」っていうのね、きっと。(汗)




それと、3Dをフルにとり入れている映画なので、スピーディーな動きには
見ているだけで頭クラクラ・・・乗り物酔いしそうな感覚になりました。

「3D映画に方程式はないけれど、バランスが大切。観客が3Dを見ていると
意識しなくなった時、初めて成功したと言えるんだ(監督)」そうです。

クリスマスイブの夜、金の亡者スクルージの前に次々に現れた3人の精霊に
自分の過去と現在、そして未来の姿を、第三者の側から見せられる場面は
スリリングで、つい、うゎ~とか声を発しそうになりました。
話の内容はとっくに知っていても、何回でも見たい映画ってあるんですよね。


「ディズニー映画ってどれもハッピーエンドで終わるんだよね。それがいい。」
そう感想を述べる息子。原作の内容をそのままきちんと映像化したかった、と
話すゼメキス監督の、Disney's クリスマスキャロルはきっと、寒さ厳しい
冬の夜にいただく熱々のシチューのように、ジワジワと心と体を芯から温めて
くれるでしょう。クリスマスまであとひと月ほどですが、鑑賞後、
すれ違う人々に、「メリークリスマス!」って言いたくなりました。

人は、いつでも変ることができる


車に乗り込む前に、イクスピアリのクリスマスツリーを見てきました。
夜の11時でも連休中だからか、普段のレイトショーの後よりも人出があり、
カップルなどが点灯されたツリーの前で写真を撮りあっていました。
私はデジカメもケータイも家に置き忘れたので画像がありませ~ん。

 

                  ★DISNEYのクリスマス・キャロル

 


 


リンゴ味のキーウイ

2009-11-23 | プレゼント・お土産

ご自身とご主人双方の父親を数日違いで亡くした「ご近所のSさん」の
娘さんは、母親のほうはまだ入院中なので、時々留守宅に見えます。
先日、こちらで用事があるので、と言ってお顔を出して下さり、
キーウイフルーツや柿、人参、大根、里芋などを沢山いただきました。
全部無農薬だそうで嬉しい限りです。中でもアップルキーウイという
変った形のキーウイは、初めて見るものでした。

りんごとキウイを掛けあわせるとこんな形になるんですね。

生産者の名前が書かれた紙を見つめがら、都心の企業で働く
ご主人が、お父上亡き後、ついに前橋の
ご実家を継いだのかと一瞬、思いました。
父親は亡くなる少し前まで一人で畑仕事をしていたそうですが、
作物は勝手に(?)どんどん成長し、収穫しないわけには行かず、
土日を返上し、畑仕事に追われているとのこと。
平日は会社があるご主人に代わり、彼女一人が頑張って
畑を引き受けざるを得なかったのでした。彼女とて都会人。
慣れない仕事でも慣らすしかなかったそうです。その上
母親の入院先に行ったり、留守宅に寄ったり、
もうどうしようもない忙しさだ、と仰っていました。
キーウイだって、収穫・出荷時なので、やはり放っておく訳には
いかないし・・と。ご尤も。


定年までは会社に所属していないと勿体ないけど、そのあとなら
実家に移り住んで畑仕事をしてもいいかな、と話し合っているとか。
それまでが大変だと思いますが、親が丹精込めて育てたものを
子が引き継ぐって素晴らしい。是非頑張ってほしいですね~!

リンゴ味のキーウイは、果肉の色が黄色を帯び、
味がどことなくまろやかでとても美味しかったです。


 


アニエスVと神保町

2009-11-14 | cinema

メトロ半蔵門線に乗り、神保町で下車した所、構内のこんな壁面に気がつく
さすが本の街、神保町だ~。早く地上の古本屋さんをハシゴしたくなるけど、この日の目的は、その昔「幸福」と言う映画を見て以来、常に気になっていたアニエス・ヴァルダの最新の映画を見ることだった。それは岩波ホールで上映中のアニエスの浜辺」。

最近フランスものを多く見ている気がするけどそれは意識してのことではなく、たまたま。でも無意識に意識していたりして。

その映画は、終始彼女による、彼女の語りで綴られた、彼女自身の《シネエッセイ》だった。
子供時代をすごしたベルギーの浜辺、疎開先の南仏の港町セート、夫であるジャック・ドゥミ(「シェルブールの雨傘」などを手掛けた映画監督)と訪れたアメリカ西海岸。常に身近に海があった彼女の人生には、友人や家族、夫の温かい眼差しがぎっしり詰まっているかのよう。それを引き出すアニェスのフレッシュな感性は81歳だという現在でも衰えを知らない。
丸々した小柄なアニエスの人柄、優しさ、想像力に富んだ生き方が反映している制作過程や豊かな交友関係などが、彼女の言葉を通してどんどん伝わってくる。夫ジャックが亡くなったとき、その原因となる病名がエイズであることを映画の中で明かし、当時のその病名に対する偏見や無知によって傷ついた心の中をしんみりと語ったが、二人の仲のよさには正直羨ましい気持ちでいっぱいだ。
最初から最後までほぼ途切れず語り続けるので少し疲れるけど、ドキュメンタリーだからこその魅力が溢れたいい映画だ。私ぐらいの年齢の女性が目だったってことは、彼女たちも中学か高校時代に「幸福」の中の男女の関係を背伸びして見つめ、共に行ったクラスメートと、映画の中の愛のかたちについて議論したりしたのかなぁ・・と勝手に想像していた。 映画のHPはこちら


 

岩波ホールの隣りの本屋で見つけたダ・ヴィンチのでっか~い画集は重くて裏返すのも大変だった。送料無料で9千円也。勿論立ち見しただけだけど。

帰り道、古本屋の並びにあった明治12年創業の眼鏡屋さんのどことなくレトロな雰囲気に引き付けられ、用もないのに閉まっているドアを開けて中に入った。ショーウィンドウも店内もジョン・レノンの写真で飾られている。

そしてディスプレーに使われている眼鏡も、ジョンのと同じ丸い形ばかりが目立つ。奥の方から女主人らしき方が現れたので、「面白そうなのでちょっと見させてくださ~い」とか言いながら世間話をした。とっても気さくな方で、自分も一人で映画を見に行くのが好きだ、と仰る。古くて懐かしさのあるお店ですね、と言うと、お金がないから新しく出来ないんですよ、ですって。ご謙遜でしょうが、こんな返答を聞くと、お金がないほうがつまらないものを作らずに済むなぁ、とか思ってしまう。なにか不思議な魅力の漂う、又立ち寄ってみたいと思わせるお店だった。こういう店にはず~っと頑張って欲しいなぁ。それにはお客にならなくては!

上のポスターは神田古本祭りのもの。これを横尾忠則氏が手掛けたと新聞で読んだ気がしたので、どこかの店の若い人に尋ねて確かめようとしたら、「さぁ・・・横尾忠則って人なんですかぁ・・良く知らないんです・・」と言うのにはびっくり。無理もないかぁ。私だって「Exile」とか言われたら何だかさっぱりわからないもの。
時代は流れても、神田界隈の良さはそのままであって欲しいな。

今回は時間がなくて本屋さんを余りハシゴできなかったけど、版画なども扱っている夏目書房では、楽しくてつい二階まで上がって見た。

行きはメトロで来たのたが、帰りは運動がてら神田からJRに乗ろうと歩いてたら、行列の出来ている鯛焼き屋さんに出くわした。夕暮の空はすっかり暗くなり、寒さも増して来たので列に並び、お土産用に数個買うことに。焼き立て熱々の一つはふぅふぅしながら、歩きながら頬張った。これぞ安上がりな至福のひと時というもの。あんこが美味しかった!
     
     

           

 

 


悲しみの日

2009-11-08 | weblog

ハロウィンは、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩に行われる伝統行事。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。ケルト人の収穫感謝祭がカトリックに取り入れられたものとされている。(wikiより)

そして、11月1日の「諸聖人の日」の翌日が「Day of The Dead (死者の日)」という日だと、これまた娘からのメールで知った。本来は亡くなった人を忍ぶ悲しい日だが、今ではお祭り化しているところが多いそうだ。
そうなんだ・・11月2日はブラジルでもフィナードスと言って日本で言うお盆にあたる日なので、必ずお墓参りに行っていたなぁ、と、懐かしく思い出した。今は義父がただ一人、墓地で眠っている。

いまさらハロウィン画像とは、、自分でもゲンナリで、パスパス、と思ったけど、このあたりからブログが前に進まなくなったのには、色々な心の揺れがあったから。
(左の画像はイクスピアリ内でのもの)

夫の誕生日の夕方、バースデーケーキとしてアトレで「タルトポワール」ホールを買って自宅マンションのエレベーターに乗ろうとしたとき、左側に貼り出された訃報のお知らせが目に入った。その一枚の張り紙の中に馴染みの名前を見つけて愕然とした。闘病中だということはうすうす知っていたけど・・・こんなに早く逝ってしまわれるだなんて絶対信じられなかった。以前生協でご一緒だったし、お互いの娘が同年だったし、いつどこですれ違っても素敵な笑顔を返してくれる、いつまでもお姉さんのような雰囲気の若々しい方。あの笑顔が脳裏に焼き付いて離れない。もう彼女に会えないと思うと寂しくてたまらなくなった。ウチがリフォームして綺麗になったら是非遊びに来てね、と言ったはいいが、その機会が来ないうちに私の手の届かない遠くの国へ旅立ってしまうだなんて
翌日の葬儀では、昨年生まれたお孫さんの無邪気な笑顔を見て少しは心が安らいだが、会場の入口に飾られた2種類の華麗なダンス衣装やトロフィーの数々、そしてパートナーであるご主人と踊っている写真を見ていたら又悲しくなってしまった。
ご主人のご挨拶のお言葉の中ではじめて知ったのだが、パートナーとして共にダンスを始めてから12年経ったそうだ。はじめは、ダンスなんかとんでもない、と、頭から跳ね除けていたご主人を一年がかりで説得したこと。そのうちにご主人の方も熱が入ってきて昨年はイギリスまで大きなダンス大会を見にいったことなど・・・。「彼女には本当に沢山のことを教えて貰った。」と、涙ながら話されたときは胸が締め付けられる思いだった。なんてすてきなんだろう、妻でも家内でもない、「彼女」という言葉を使いながら感謝の言葉を述べるだなんて!昔、生協の集まりでお宅に伺ったとき、リフォームされた寝室も見せてくれた事を思い出した。そこにはwベットが一つあり、それを見て皆がひやかしたものだ。実生活とダンスの両方でのパートナーを失ったご主人には何を言ってよいか、言葉は見つからない。噛み締めるほどの良き絆を築いていかれたお二人のことを思いながら、私の今まで築いてきたものってあったっけ、と考えこんだ一日だった。

上の画像は、いつだったか彼女と最後に笑みを交わしたマンション内の道。向こうの方から家に向かって歩いて来る彼女と、駅の方へ向かう私が、この画像の中ですれ違った。(落葉の季節では、勿論なかったけど)  合掌