行きは恵比寿で下車して歩きましたが、途中で出会った器屋さんを覗いたり、ここって何だろう、とちょっと小洒落た一角を、通過せずに一周したり。あとでそこが恵比寿プライムスクエアだということがわかりました。又、同じ並びに アパレルメーカーパパス本社があり、そこの巨大なダビデ像にはアッと驚かされました。美術館とか文化会館の前とかではない、普通の道沿いに素っ裸で立っているんですもの!パパスカフェも隣に併設され、外テーブルは、店にぴったりマッチした?常連風の人達がパリのカフェの如くに陣取っていました。
洒落たビルや店舗などはすべて後から建てられたもので、私が学生だったころからあったと思われる家や店も、ちらほらと点在していたのには、ガンバレ~とエールを送りたくなりましたね。美術館の手前にある角の八百屋などは、ギョッとするほど懐かしい店構え。これから行かれる方は絶対にこの前を通過するでしょうけど、店の前に、山種美術館はこの先です、と看板を掲げているのには笑っちゃいました。けれども人の営みを肌で感じる店って、ダサいけど今の都心では貴重だと思います。
長ったらしい書き出しでご免なさい。そして以下も、終わってしまった展覧会のことなので全然面白くないかもしれません。
10月1日に広尾に移転してから2ヶ月が経ちますが、真新しい山種美術館は今だ、初めて訪れる人々で賑わっていました。入口を入ると正面に加山又造の陶板壁画「千羽鶴」が、そして左側にはいきなりカフェが見えました。広々した階段を階下に降りたところが展示会場です。以前行った智美術館みたい、と直ぐに思いましたが雰囲気はやっぱり山種風。・・・ってどんなか、というとあまり気取りがない風とでも言ったらいいかしら。
今回の特別展の目玉は、チケットにも使われた「炎舞」のようでした。「名樹散椿」とともに重要文化財となっていますが、それらを含め約120点の作品が展観。木炭等で描かれた未完の「婦女群像」や日記など、滞欧時の資料も展示されており、御舟ファンには嬉しい展覧会だったと思います。 勿論私も、知らず知らずのうちに御舟ファンの一人に・・。 今回、山種美術館の所蔵する速水御舟の作品が全て大放出!全部みられたのですから、間に合ってよかったぁ。
未完作「婦女群像」
特別展の構成は美術館HPに詳しく書かれていますが、以下の順でした。
第一章 画塾からの出発: ここでは10代からの初期作品に注目。
スケッチはラフでも、美的センスに溢れています。
第二章 古典への挑戦; 「炎舞」や「百舌巣」などの写実から、琳派の影響を
受けた「名樹散椿」など、彼の代表的作品を展示。
第三章 渡欧から人物画へ:ローマ日本美術展覧会の使節として渡欧し、10ヶ月
もの長期に及ぶ滞欧中に写生したスケッチなどの他、
外国での見聞により、人物画を多く描くようになる
ことがわかります。「オリンピアス神殿遺址」や
未完の大作「婦女群像」等。
第四章 挑戦者の葛藤: 挑戦者・御舟が、制作上の葛藤を味わいながらも目指
そうとしていたものを最晩年の作品を通して探る。
「豆花」・「牡丹」・「写生帖」など。
パスポート
1894年生まれの御舟は腸チフスの為、40才という若さで1935年に急逝。外国を知り、人物画を多く描き始めながらも制作する上での様々な葛藤と戦っていた豊かな才能が突然途切れてしまったことに、今更ながら残念な気持ちになりました。「日本画家」の枠にとどまらない画才溢れる御舟が尊敬していたという今村紫紅の逸話が印象的でした。
「日本画なんてこんなに固まったんではしかたがありゃあしない。」
「とにかく破壊するんだな。僕は壊すから君たち建設してくれたまえ。」
という先輩画家の言葉に象徴されるような過激な発想に、
御舟は大いに刺激された。
九段のときより照明に工夫がされ、より斬新になった山種美術館でしたが、階下の企画展示室と常設展示室の間にミュージアムショップがあったのには あれっ、でした。又、カフェの前のスペースで美術館についてのビデオ放映があり、カフェでの会話とビデオの語りの声が重なり合っていることに又、あれあれっ、と思いました。
「Cafe椿」の椿のロゴは御舟の自筆だそうで、抹茶セットに付くお勧めの和菓子が、作品名と同じ「散椿」という名の練り切りで、青山の菊屋製とのこと。広尾に移転したことで、チケット代も(カフェも)ちょっとお高くなったようです。恵比寿アトレの神戸屋ベーカリーに寄ってから来たのでカフェはパス。美術館の前などでは、人が大勢いて、写真を撮る気分になれませんでした。
帰りは日赤医療センターに向かう懐かしのバス通りを、落葉を踏み踏み広尾まで歩きました。日赤医療センターを含む新開発地域を「レクロス広尾」って言うんですって。Red Crossをもじっていますが、来春にはすべてが完成のようです。病院業務などはすでに新ビルで行われていましたし、敷地内のマンションも入居済みのようでした。ここが出来る前、日赤高層ビルの建設反対の署名をしたのですが無駄でした。