スーパーカー世代の趣味

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ミニカー Lamborghini Urraco P250

2013-09-22 | ミニカー
Lamborghini Urraco


<概要>
ウラッコ(Urraco )は、1970年代にイタリアのランボルギーニが開発・製造したスポーツカーである。
フェルッチオ・ランボルギーニはポルシェ・911の「2+2」スポーツカー市場への投入を狙って、ランボルギーニのエンジニア、パオロ・スタンツァーニに車体設計を命じた[1]。エクステリアデザインは、ベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニが担当した。
エンジンはV型8気筒で、クランク軸上にギアボックスを配し、ディファレンシャルを間に挟み込んだジアコーサ・レイアウト。細長く収めて横置きとし、+2座のスペースを確保しつつホイールベースを2450mmと短く収めた。
シャシは圧延鋼板を溶接したファブリケート構造で、鋼板製ボディにも応力を持たせるセミモノコックである。
インテリアでは、室内幅のほぼ1/2にもなる横長のメーターパネルの中央にウォーニングランプ群、それを挟んで各種補機メータを左右それぞれ3個、最両端にタコメータ(左端)とスピードメータ(右端)とを一列に配置するという前衛さが特徴。
1970年に行われたトリノ・オートショー(Turin Auto Show )で発表され、多数の受注を得た。
ランボルギーニは最新のコンピュータテクノロジーを導入して生産をオートメーション化してウラッコを生産し、年間2,000台製造する計画であったが、これには莫大な初期投資が必要で、当時トラクターの販売が良くなかったこともあり、頓挫してしまった。そのため生産には莫大なコストが掛かることになり、販売価格も上昇させざるを得なくなった。
1972年秋に生産が始まり、1973年にようやく発売にこぎ着けるが販売は思わしくなかった。新型V8エンジンは信頼性が低く、特に深刻だったのはクランクシャフトとドライブベルトの破損で、最低でもシリンダーヘッドにダメージがあり、最悪エンジン自体が破壊されてしまった。
1974年には年に500台を生産できるまでになり、またアメリカでの販売が始まったが、注文が少なかった。
結局791台を生産して1979年に製造中止した。しかしこの車体と3.5リッターV8エンジンをベースに、後に2シーターオープンカー(タルガトップ)のランボルギーニ・シルエットを販売、ランボルギーニ・ジャルパに受け継がれた。ランボルギーニ・ウラッコ - Wikipediaより


ミニカーはこれ

京商製 1/18 1973 Lamborghini Urraco P250


フロントビュー。リトラクタブルヘッドライトの上がり方が実車ぽい。


リアビュー。おそらくリアウインドーの視認性は最悪だろう・・・


リアラッゲッジルーム。さすがランボトランク常備はさすが


エンジンフード。さすが京商抜かりの無い仕上がり


コクピット。同上(




う~ん。ウラッコは渋いな~。「サーキットの狼」の土方の印象が強いが、なぜレッドボディを購入してしまったのか不明だ()本当は往年のスーパーカーカードに出ていたダークブルーメタリックが欲しかったのに・・・条件反射で飛びついてしまった。いっそのこと土方仕様のグリーンでも良かったか・・・










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