晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

『人は石垣、人は城』では<庭園>は?

2011-05-01 23:59:49 | 歴史と文化
「城」と「庭園」との関係は、「政党」と「国民」との関係と、関係があるか否か。


本日は、どなたかの有名ブログの「ウリ」をお借りして、「タイトルが内容に伴わない」お話です。

歴史的にみると、「城」とは<戦いの場>として存在していた。
攻め手を防ぎ、自らを守る。
敵の侵入を防ぐ。
敵の進軍を阻む。

従って、責められた時に、「如何に落ちないか」を考えて建設された。

ヨーロッパの場合、10世紀頃までは、城と言えども基本的には「木造」であった。

空堀を巡らし、その周囲に先の尖った丸太を向こう向きにナナメに埋め込み、敵の進撃を阻む。
堀の内側は「土塁」でとり囲む。

城壁は、丸太の塀で補強される。

敷地内の、小高い所に、館を立てる。

この作り方は、古代にローマ軍を迎え撃った『ケルト族』の築城法以来、大した変化は無かったらしい。

10世紀末に、館を石造りの四角い塔にして、いわゆる「天守閣」となる。
11世紀には、「城壁」も石造りになり、その総て「石造り」に変わって行った。

天守閣は「落城」を引き延ばし、最後まで「助かる算段」をする為に、すこぶる頑丈に作られ、入り口も一段高い所に開けて、必要に応じて「はしご段」を掛けて出入りする、と言う代物。

12世紀に入ると、かなり本格的な建造物となってゆく。

城壁は、要所要所に頑丈な塔を配し、「胸壁」を構え、跳ね橋をもつ城門、狭間、石落とし等の工夫が加わった。

天守閣の塔は、四角から円形の塔に変わり、壁の厚みは3メートルを越える様になっていった。
或は、巨大な四角い塔画そびえ立ち、居住部分と守備の拠点との両方の役を果たすようになる。

攻城軍に「とっかかり」を与えない様、外壁に窓等開けず、内側の「中庭」に面して、やっと窓がうがたれる。

如何に「落城しない」様にするか、を考えて、居住性は無視されていた。

城内に暖炉が開けられるのは、城主の部屋のみ。

それでは、「庭園」は?

要するに、「どこかにスペースが有れば、花でも植える」と言う程度の物に過ぎなかった。


『百年戦争』が終わり、戦乱の世が終焉に向かうと共に、イタリアとの政治的接触がもたれ始める。

地方の諸公の力が衰え、国王の権威が高まり、国王が「制度上」の最上位者、から、実際の支配者へと権力の確立が見られ、国境の外に目を向ける余裕が出て来たのだ。

『ナポリ王国』の王位を、シャルル8世が引き継ぐ事になり、彼は「イタリア遠征」を行った。
次のルイ12世は、『ミラノ公国』を継承するため、イタリアに向かった。

そこで、『ルネッサンス』の文化に触れる。

「イタリア」の貴族達の生活様式が、フランス王家によって持ち込まれろ事となる。

15世紀末、イタリア半島の局地的文化に過ぎなかった『ルネッサンス』が、始めて「情報」としてアルプスを越える。

この両王は、フランス中央部「ロワール河」添いの『アンボワーズ城』の宮廷を置き、フランスに「イタリア文化」の影響が始まる事となった。

城は、最早「戦いの道具」では無く、「宮廷生活の場」と変わって行く。

壁は大きく窓が開けられ、夫々の部屋には暖炉が備わり、胸壁を取り去り、跳ね橋を撤去した。


それと共に、庭園が拡充して行く事となったのです。

それまで、バルセロナ王国がナポリを支配していた事もあり、イベリア半島をイスラムから取り返したスペインは、帝国主義の絶頂期を迎えて、イタリアのほとんどを国々を影響かにおいていた事もあって、幾何学的に植え込みを配する「スペイン風」の庭園が、イタリアのルネッサンスの味付けを経て、花壇を整然と作る「イタリア式庭園」が全盛期を迎えて居た。

シャルル8世は、わざわざイタリアから「石材」を大量に運ばせて、アンボワーズ城を改築し、イタリアから招いた庭師達に依って、しゃれた庭園が造られた。


        
        城本体の左奥に見える礼拝堂に『レオナルド・ダ・ヴィンチ』が葬られ
        ている

アンボワーズ城は、シャルル8世の築城になる部分、ルイ12世の手になる部分、16世紀になってのフランソワ1世の「ルネッサンス様式」の築城の部分に分かれる、宏大な城であったが、宮廷が置かれなくなると、維持が難しくなり、革命期にかなりの部分が撤去されて、現在はルイ12世の「末期ゴシック様式」の建物1棟と、「初期ルネッサンス様式」で作られたフランソワ1世の部分が残るのみである。


        


        



その後のフランスは、イタリア半島以外で最初に「ルネッサンス化」した事により、ヨーロッパ全体に対する文化的優位性が、形成されて行く事になった。


数千の城を数える「ロワール河」流域には、ルネッサンス様式で改築された「城館」が、多数その趣を競った。


庭園で一番名高いのは「ヴィランドリー城」であろう。

この城は、初期の「庭園」の作り方がその後も守られて、今日に至っている。

当時は「花々」と「野菜」とは、庭園内においては<同格>で扱われていた。

従って、『ヴィランドリー城』の庭園は、宏大な花壇に数多くの野菜が植えられている。


        

        
        盛りを迎えた「花キャベツ」


ここは、城内の見学より「庭園」だけの見学者が、圧倒的に多いのです。

        
        飾られている、庭園で「収穫」された多種の「飾りカボチャ」



フランス有数の、機構が温暖で風光明媚な土地である『ロワール河』流域は、フランスを代表する多くの大貴族の領地でもあった。

その中でも、特筆に値するのが、河口に近いアンジェの町を首都とする『アンジュー伯』が上げられる。

この家は、歴代国王に妃を多く送った、フランス王家の「外戚」で、且つ南仏『プロヴァンス伯』をも兼ね、13式には「ローマ教皇」が、フランス王の圧力でローマを離れ、フランス国内に宮廷を映す時、「フランス王付き司祭」に成り下がらずに済むように、王家のライバル関係に有った「アンジュー家」の『アヴィニオン』の教皇庁を置いた程の、実力者でありました。

日本で言えば「曽我一族」と言う所。

その「アンジェ城」は、城壁の素晴らしさと、13世紀末のタピスリーの大連作『ヨハネの黙示録のタピスリー』とで名高い。


        
        城壁の真下、から堀の花壇がすばらしい


        
        城内の植え込み


        




所で、フランスは宏大な国であり、国中の四方夫々、歴史の背景が全く違うので、たたずまいや趣は、全く違っているのです。

東西南北で異なる中で、大雑把に区別すれば、「北フランス」と「南フランス」とにわけられる。


ロワール河以北と以南とでは、言語の成立過程がことなり、古代文明の継承者南仏と、野蛮なゲルマンの北仏とでは、人々の人種的起源も異なり、政治史上も、対立が続いた。

その「南フランス」の中でも、<南西部>『ペリゴール地方』は、『ドロドーニュ河』に沿って、独特の文化が形作られた。

ネアンデルタール人と、その後を襲ったクロマニオン人とが暮らしたこの地方は、『ラスコー』の洞窟壁画そのほか、興味の尽きない物が数多く、城の数も「ロワール地方」に対抗する程である。


その、ペリゴールは長らく『イングランド王家』の領地が多く、英仏相接する最前線でもあった。

『エリニャック城』の庭園は、フランス南西部を代表する庭と言われている。


        

        

        



普段の「醜い」政治家の悪政やら、原発の「大事故」の事をしばし忘れて、過去の人々の「文化的」営みに触れてみるのも、心身症を避ける為には必要なのではないでしょうか。



それよりこの週末は、「重大事」が二つありました。


イギリス皇太孫の結婚式と、先のローマ法王『ヨハネ・パウロ2世』の列福式です。


日本では、何やら「ロイヤル・ウエディング」とか称して舞い上がってる面が有る様です。

ここフランスでは、新聞では一面を飾ったし、テレビでもニュースで取り上げられた物の、リビアの空爆の事の方が重要扱い。

巷では、殆どの人は無関心。


        
        「保守紙ル・フィガロ」の一面


私が感じる所では、コモン・ウエルス(旧大英帝国支配下の国家)以外では、恐らく騒いでいるのは日本だけでは無かろうか、と思えます。

皇室関係は一定のファンが居る事と、「お姫様願望」の女性が多い日本ならでは、の現象と言えるのでしょう。



それより、インパクトが有るのは、「ヨハネ・パウロ2世」の列福です。

カトリックでは、人間以上、神様未満に2段階有ります。

上位に有るのが「聖人(セイント)」です。

その一つ前に「福者(ベアト)」が有ります。


生前の信仰心が深く、多くの人々に良い影響を与えた人、生身の人間の域を越えた信仰心で、人々を導いた人。

現在では、生前に「奇跡」を最低2つ以上示した事を、バチカンが認定した場合、聖人に列せられる。

そのためには、その前段階として、最低一つの奇跡を認定されて、福者に列せられる事になっています。

しかも、「遺体」が痛んで居ない事が、絶対条件。

各地の教会に残ろ聖者の痛いが、まるで「マネキン人形」の様に美しい例が、沢山あるのです。
ヨーロッパの乾燥した気候が、一役勝手いるのかもしれませんが、それにしても。。。


最近「福者」に列せられた人は、『マザー・テレサ』が有名です。

彼女の列福もはやかったのですが、今回の「ヨハネ・パウロ2世」の場合、死後わずか2年と言う異例の早さでの列福でした。

それだけ、彼が「世界の平和」の為に尽くした「生き様」が、功績として、世界中のカトリック信者に取って、揺るぎない評価を受けている事の、証でしょう。


        


日本は、「宗教心」を社会から無くしてしまった為に、政治がどうであれ、未だに社会で、弱者に対する姿勢に「善意」が有るユーロッパとは、違ってしまったのでは無いかと、思っています。

ヨーロッパでも、社会格差は大きいですし、凶悪事件は後を絶たないです。
狩猟民族の方が、農耕民族より「好戦的」である事も、未だにDNAで残っているかも知れません。


しかし、乗り物の中や駅、商店等で妊婦さんや、赤ちゃんを連れた母親には、皆が手を貸しますし、お年寄りにも温かい配慮が残っています。


今回の震災で、日本人の助け合う姿が甦った様で、その点だけは良かった思います。

でも、往来で病気で倒れても、「かかわり合いになりたくない」と、無視する人が多い様な日本の社会は、やはり宗教心の喪失が原因では無いか。

政治がどうであれ、人間同士尊重しあい、助け合う社会観は、無くしてはならない。

いままさに、震災の被災者、全国の多くの民間人は、助け合い、協力しあう姿勢を発揮しています。


人間愛を失っているのが明らかになったのは、永田町と霞ヶ関でした。


何とかならんのかい!


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6 コメント

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Unknown (kappa)
2011-05-02 11:17:26
こんにちは!
この前は酔っ払って発狂していたので失礼しました。へへへ・・・

このところパリさんのブログは「フランスの写真」特に地元の方が撮られた写真ということで、興味津々、ため息交じりに眺めております。ロワール河畔の古城巡りは私の夢でもありますが、死ぬまで出来ないでしょう。せめてパリさんの写真を眺めて、我慢しましょう。

ヨハネパウロ2世から私の生まれ故郷の殉教記念館に手紙が届きました。数百年前の悲惨なキリスタン虐殺事件から、長い年月を経て、そしてローマから、遠く離れた「みちのく」の岩手まで・・・今それは記念のレリーフとして正面玄関前に刻まれています。

なんとなく無神論者の私でも、ヨハネパウロ2世に対しては親しみはあります。
kappa様。 (時々パリ)
2011-05-02 18:17:37
今日は!
発狂?
ただ事ならぬ御発言!(笑顔)
ところで、私のブログの写真は、全部私が撮った物ですので、至らぬ所も多いですが、楽しんで頂ければ嬉しいです。
膠原病やら何やらの末期、病身に鞭打って「憑かれた様な」活動ぶりは、キリスト教徒では無い私にも、心打たれる物が有りました。
宗教という、人間の魂にの救済に関わる分野は、やはり疎かにするべきでは無いと思います。
パーキンソン病 (K.T.)
2011-05-02 23:35:18
すばらしい写真で楽しませていただきました。

亡父と同じ病を患われていたので、あの症状で法王としての勤めを全うされたのは、生半のことではないと思い、尊敬していました。

父も最後まで頭はしっかりしていましたのに、外見の症状から、時に心無い対応をされることがありました。
そんな時、言葉を発するのも困難な父に代わって「ローマ法王様と同じ病気なんです。」と言ってやり、相手に二の句が告げなくさせて、溜飲を下げていました。

法王様その節の不敬をお許し下さい。
聖人 (セフィ)
2011-05-03 00:57:52
小沢さんは聖人です。
私はずっとそう信じてます。
カトリックの聖人とはかなりニュアンスが異なるかもしれませんが

とにかく 聖人たる小沢を貶めた日本に確実にバチが当たったんです。 決して菅直人を延命させるためではなく

そして 小沢が聖人なら 彼を貶めれば貶めるほど 天罰が下るわけです。

さらに 根拠をあげれば これほどまでに 検察 メディアの仕組みが白日の下にさらされたのも 彼を貶めたからです。

今 日本は 皆 てんでバラバラで 個人主義が進んでいるのみ

しようがないでしょ。真の王が幽閉されてるのだから

もはや 「頑張れ ニッポン」とか「日本を信じてます」なんて テレビのバカ娘達が勝手にほざいてるだけなんです。
そのくらい軽いキャッチフレーズに成り下がってるんです。

それでも 勝手に原発は放射能を撒き散らし続け 連鎖爆発へ邁進しているというのが現状です。
K.T.様。 (時々パリ)
2011-05-05 03:54:44
コメントありがとう御座いました。
そうでした『パーキンソン病」でした。
失礼致しました。
ダライ・ラマ師もそうですが、普遍的宗教の最高指導者の地位に居る方は、自然に人類愛を基本に行動される様になって行くのですね。
逆かもしれませんが。
その辺が、カルト教団の教祖と違う所です。
セフィさま。 (時々パリ)
2011-05-05 03:58:31
お久しぶりです。
コメントありがとう御座いました。
聖人かどうかは別として(聖人は死後に列聖される)、国難に立ち向かう前に、邪悪な陰謀によって試練を受けている姿は、立派に「聖人」の資格が有りますね。
ただ、「殉教」してしまったら元も子も有りません。
民衆が、一致団結して救い出してこそ、「聖人」としての資格が有ると言えるのでは無いでしょうか。

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