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エア作曲家 佐村河内守 セルカン 許光俊 

2014-02-05 | Weblog
佐村河内守:「さむらごうち・まもる」。ネットで名前は見たことはあったが作曲家であることすらも知らなかった。当然はじめて読み方を知った。独学で学んだ全聾の作曲者として話題だったらしいが、10数年以上の間、他人に作曲してもらっていたことが発覚。この佐村某、一体どんな輩かとWikiの経歴を読む。おうおう、これは・・かなり胡散臭い(すべて「要出典」となっている)。まず音楽が独学であること(厳格な母親に習ったとのこと)、小学4年生でバッハ・ベートーヴェンを弾きこなす・・なにをもって「弾きこなした」といえるのだろうか?プロのピアニストでも決してこのようなことは言わない。10歳で母親から「あなたに教えることはない」と言われる・・このお母さん一般人のようだが。普通高校を卒業後に上京。音大に行くわけでもなく、定職につかず、プロとしての音楽活動もない。「プロのロック歌手としてデビュー間近に、精神的な葛藤から契約解除」という経歴がかなり香ばしい。そして聴覚障害が始まったという30代半ばから注目され売れ始める・・・・。恐らく、これらの経歴の殆ど、または全てが嘘なんだろう。作曲どころか本当はピアノすら弾けないんじゃなかろうか?。聴覚障害といいながら実は聞こえているでは?とも疑ってしまう。障害によるアドバンテージを受けたくないという理由で障害者手帳の給付を拒んでいるあたりもかなりキナ臭い。この佐村某氏はメディアへの露出が嫌いらしい。聴覚以外にも色々な障害をお持ちらしく、杖をついたり、日光に敏感なのでサングラスかけたり、暗い部屋で生活したり・・・。これも虚飾がばれないための演技なのではないだろうか?読唇が大事な全聾の人がサングラス着用ってどうなのよ・・。ピアノも手を故障してもう弾けないそうだが、もともと弾けないか、たいして弾けないのを隠すために故障したふりをしているのではなかろうか。ちなみに現在、代表作の全国ツアーも地方オケを駆使して開催中。指揮はキムセイキョウ・・・これまた胡散臭い。その宣伝文句は以下のとおり。高利貸し屋の看板のようだな。

「全ての聴力を失う絶望と、絶え間ない耳鳴りという苦しみの中、佐村河内 守が完成させた《交響曲第1番》。アカデミズムに背を向け、独学で作曲を学んだ彼が作り上げたこの作品は、中世以来の西洋音楽の歴史を包含し、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ等、ロマン派シンフォニストの系譜を受け継ぐ長大なシンフォニーです。被爆二世である佐村河内の出自が反映された自伝的作品でありながら、「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は美しく輝く」という作曲者の言葉に象徴されるように、あらゆる苦しみを越えて、希望を見出そうとする人間の普遍的な心情に深く通じる真実の音楽が、聴く者の心を、深く揺さぶらずにはおきません。」

 それにしても、本当の作曲者は一体何者だろうか?管弦楽の作曲ができるからそれなりに素養があると思う。音大出の売れてない作曲家あたりか?おそらくこの佐村某とは最初から共謀してやってきたのだろう。全聾の障害者、それも「被爆二世」が作曲したことにしたらさぞ世間は食いつくだろう。これで一稼ぎしてやろうじゃないか・・・手始めに1曲目はストレートに「HIROSHIMA」なんてのどうだ?・・・なんて感じじゃなかろうか。「人前にでずらい事情がある」そうだが、カミングアウトして正面から勝負したらいいのではないだろうか?これから賠償金とか色々ありそうだから応援してくれる人はそうはいないだろうが。
 ここで思い出すのが「セルカン事件」である。トルコ人のアニリール・セルカンが、学歴・経歴をすべて偽って東大建築学科の博士課程に入学。博士号を取得し、その後助手まで務めた。宇宙物理学者・建築家・パイロット候補生・文筆家を名乗り、多くの著明人と派手に交流し、自分の名前を冠した市民講座で荒稼ぎする。その後、全ての業績および経歴が虚飾であることが判明し、博士論文も全てコピペであったことから、東大史上初の「博士号取り消し」となる。その後トルコで軍役につくといい失踪。現在のところ行方不明。担当の松村教授は懲戒されたが、まだ健在で研究室を主宰している。
 まあ今回の場合は、例えゴーストが書いたにせよ、とりあえず「作品はある」ことが救いか。セルカンは作品すらなかった。作品はゲーム音楽から交響曲まで幅広いジャンルに渡っているらしい。それらの曲が本当に名曲なら曲は世に残るだろう。実際にプロオケでも演奏されているし、絶賛する指揮者や評論家もいる。とはいえ、この佐村某の人生談を絡めて持ち上げていただけとしたら、見事に佐村某の戦略にはまっているわけだ。オーケストラの響きを知らない人が、このべらぼうな経歴と原爆やら震災を想像して聞けば、何かしら感動してしまうのは仕方がないのかもしれないが、本職である評論家が術中にはまったとしたら、「違いのわからない男」を露呈してしまったわけで、赤面どころの話ではない。廃業だ。その実例を下にコピペした。有名なクラシック評論家の許光俊氏の賛辞である。爆笑ものである。少しだけ気の毒でもある。そういえばセルカンのときも、色々な文化人(坂本龍一とか)が彼のことを、天才だ未来人だとこぞって持ち上げていたな(それらのネット記事はあっという間に削除されたが)。いかに人が本質でなく「看板」でしか判断できないかということを物語るよい事例である。NHKもこの佐村某について「奇跡の作曲家」として特集も組んだことがあるらしく、早速釈明と謝罪を発表した。以前の「奇跡の詩人」といいNHKも脇が甘すぎる。
 
音楽評論家の許光俊氏(慶応大学教授)の絶賛評論(HMV)。長文であるが早晩リンク切れになるだろうから敢えてコピペした。

許光俊「世界で一番苦しみに満ちた交響曲」(2007年11月記)
 
もっとも悲劇的な、苦渋に満ちた交響曲を書いた人は誰か? 耳が聞こえず孤独に悩んだベートーヴェンだろうか。ペシミストだったチャイコフスキーか。それとも、妻のことで悩んだマーラーか。死の不安に怯えていたショスタコーヴィチか。あるいは・・・。もちろん世界中に存在するすべての交響曲を聴いたわけではないが、知っている範囲でよいというなら、私の答は決まっている。佐村河内守(さむらごうち まもる)の交響曲第1番である。ブルックナーやマーラーにも負けない楽器編成と長さの大曲だが、その大部分は、終わりのない、出口の見えない苦しみのトンネルに投げ込まれたかのような気持にさせる音楽だ。
 聴く者を押しつぶすかのようなあまりにも暴力的な音楽が延々と続く。これに比べれば、ショスタコーヴィチですら軽く感じられるかもしれないというほどだ。ようやく最後のほうになって、苦しみからの解放という感じで、明るく転じる。が、その明るさは、勝利とか克服といったものではない。思いがけないことに、子供の微笑のような音楽なのだ。
 いったい、こんなにも深刻な曲を書いた佐村河内とはどういう作曲家か。彼は1963年広島に生まれている。早くから作曲家を志したが、楽壇のややこしい人間関係などに巻き込まれることをよしとせず、独学の道を選んだ。それゆえ、なかなか仕事に恵まれなかったが、ある時期から映画、テレビ、ゲームなどの音楽を書いて徐々に知られるようになってきた。なんと、一時はロックバンドで売り出されそうになったというから、一風変わった経歴と言えるだろう。妙な人間関係を嫌うことからもわかるように、佐村河内はまれに見る潔癖な人間のようだ。自分が本当に書きたい曲だけを書きたいと、あえて実入りのよい仕事を断り、厳しい日雇いの仕事をして生計を立てていたこともあるし、住む場所もなくホームレス状態になっていたときすらあるという。実は、彼は非常に大きな肉体的なハンディキャップを抱えている。なんと、あるときから完全に耳が聞こえないのだ。それどころか、ひどい耳鳴りで死ぬような思いをしているのだ。しかし、彼はそれを人に言わないようにしてきた。知られるのも嫌がった。障害者手帳の給付も拒んできた。自分の音楽を同情抜きで聴いてもらいたいと考えていたからだ。
 彼のところにはテレビ番組を作らないかという話が何度も舞い込んだという。確かに、耳が聞こえない障害者が音楽に打ち込むなんて、いかにもテレビが好みそうな話だ。だが、佐村河内は障害を利用して有名になることを拒んだ。テレビ局からは「せっかく有名になるチャンスなのに、バカじゃないか」と言われたという。有名になる、ならないは問題ではない。それより、自分は作曲に打ち込みたいだけだというのが彼が言い分だ。金があり余っているバブル時代じゃあるまいし、今どき誰が1時間以上かかる、しかもとてつもなく暗い大交響曲を演奏してくれるだろう。そんなことはわかっている。だが、彼は、演奏されやすい短い曲を書くつもりもないようだ。マーラーは「いつか自分の時代がやって来る」と言ったが、佐村河内も生きている間に成功しようなどとは考えていない。こんなにも潔癖で頑固な人間は、世の中にほとんどいないだろう。
 その佐村河内が、自分の半生を綴った本を講談社から出した。その内容は、恐るべきものだ。私は一気に読み終えたが、途中何度も暗然としてページを閉じたくなった。生きているだけでも不思議なくらいの悲惨な状況に彼はいる。なのに、ものすごい執念で作曲を続けているのだ。本に記されたその様子を読んで鳥肌が立たない者はいないだろう。そして、無理のあまり、彼の指は動かなくなり、ピアノは弾けなくなり・・・というぐあいに肉体はますます蝕まれていくのだ。ここで詳述はしないが、安易な同情など寄せ付けないほど厳しい人生である。確かに彼には、有名になってチャラチャラしている暇などない。生きているうちに、書けるうちに、書くべきものを書くしかないのだ。実は佐村河内の両親は広島で被爆している。それが彼の健康にも影響しているのか。
明言はされていないが、可能性は高いだろう。彼は言う、音楽以外はどうでもいい、すべていらない、と。これはきれいごとでも、格好をつけて言う台詞でもない。本当にそうなのだ。旅行したり、おいしい食べ物を食べたり等々といったことをする肉体的な余裕は彼にはない。毎日が、それどころか一瞬一瞬が、死や発狂との戦いなのだ。これは人生というより地獄と呼ぶべきではないのか。
 現代が、ベートーヴェンやブルックナーのような交響曲を書けない時代であることは間違いない。人々はあまりにも物質的に豊かになり、刹那的な快楽で満足している。 日本の若者を見てみればわかる。夢も希望もないのだ。いや、必要ないのだ。救いを探し求める気持などないのだ。日々を適当におもしろおかしく生きて行ければいいだけだ。だが、佐村河内は違う。彼は地獄の中にいる。だから、交響曲が必要なのだ。クラシックが必要なのだ。演奏が困難な交響曲第1番。それが書名になっていることからも、この曲が作曲者にとってどれほど大事かがよくわかる。まさに命がけで書かれたのである。この大曲は、まだどこでも演奏されていない。演奏される見込みもない。だが、私はいつか実際にホールで聴いてみたい。まことに痛ましいことに、たとえ作曲者の生前にそれが実現したとしても、彼は自分の耳で聴くことができないのだが・・・。
 
注:許光俊(きょ みつとし、1965年 - )は、東京都生まれのクラシック音楽評論家、文芸評論家。ドイツ文学、音楽史専攻、慶應義塾大学法学部教授。

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