暗いより明るいほうがいいに決まってる。
悲しいより楽しいほうがいいに決まってるし、苦しいことより気持ちのいいことのほうが絶対いい。
でも世間はそんなに甘くない。
甘くないというよりは、そういう暗いことや悲しいことや苦しいことに常日頃から慣れてしまって、完全に麻痺しているので、逆に明るかったり楽しかったり気持ち良かったりすると、「いやいや、待てよ。そんないいことばっかり続けて起こらないって!」と、身構えてしまうのである。
特に僕なんかの不完全なペシミストは・・・。
ソウル・ミュージック・黒人音楽(と、乱暴に大きく括ってしまうのは抵抗があるけれど、そこまで細部に渡って書き込むとまた長くなってしまうので・・・)って、確かにそのルーツは奴隷制度に深く根ざしていて、黒人たちの苦悩や憎しみ、虐げられることからの解放などがその基底に流れているという事実がある。
黒人音楽は、R&Bやロックンロール、ジャズやポップスへと深く静かに浸み込み、現代ポピュラー音楽の中で大きく輝き、ひときわ豊かで美しい光を放ち続けているのである。
それほどに、この音楽ジャンルは偉大なのだ。
今、黒人音楽は激しく細分化され続けていて、色んな枝葉に分かれている。
すべてがそうだと断言することは危険だし出来ないけれど、そこにあるのは、真っ当な「肯定性」の音楽なのではないかと思うことがある。
アメリカ南部の広大な綿畑で過酷な労働を強いられ、人間以下の扱いを受け続け、労働歌として自然発生的に歌われ出した独特のリズムやそのメロディに乗せられた独自の詩だって、その辛い状況からの脱出願望であり、いつかは叶うだろうという夢であり、自立であり、黒人としての独立と自由であったはずだ。
それだって、乱暴に言い切れば「人生に対する肯定性」を歌い上げているとは言えないだろうか。
最後にはそういう匂いを感じてしまうのだ、僕は。ソウル・ミュージックを聴くといつも。
シンガー、ソングライターであり、プロデューサーでもある、ファレル・ウィリアムスのニュー・アルバムがリリースされた。
あの「ダフト・パンク」の大ヒット曲「Get Lucky」で、ナイル・ロジャースと一緒にパフォーマンスしていた黒人シンガーといったら分かり易いかな?
それとも、これも去年爆発的に大ヒットした、ロビン・シックの「ブラード・ラインズ~今夜はヘイ・ヘイ・ヘイ」に、曲の提供を含めて参加していた(PVにも出てますよね)黒人男性といったほうがいいのだろうか?
とにかくファレル・ウィリアムスは、音楽関連の賞レースにはよく名前が出て来る有名ミュージシャンであり、名プロデューサーである。
今回のソロとしては2作目となるアルバム「Girl」、その評価はすこぶる高い(因みに僕は前作「In My Mind」を、まだ聴いていません。ごめんなさい)。
曰く「最高傑作」、曰く「今年聴いたソウル・アルバムの中で一番」etc・・・。
で、買いました「Girl」。
いきなり、美しめのストリングスが入る「Marilyn Monroe」から始まり、2曲目がジャスティン・ティンバレークとのコラボ、現在大ヒットしているシングルカットされた5曲目の「Happy」を挟んで、7曲目「Gust of Wind」が「ダフト・パンク」とのコラボと、「Girl」は変幻自在にそのサウンド・スケープを変えてゆく。
アルバム「Girl」、結構ヴァラエティに富んでいて、4曲目の「Gush」なんて、マイケル・ジャクソンのアルバムに入っていてもまったく違和感を覚えない。
因みに、6曲目の「Come Get It Bae」はテレビCMでも頻繁に流れているので、ファレル・ウィリアムス自身を知らない人でも聴いたことがある人は多いかもしれない。
そして9曲目のレゲエっぽい「Know Who You Are」がアリシア・キーズとのデュエット曲だ。これも素晴らしい。
ファレル・ウィリアムス、さすがだと思う。
音楽のすべてを知り尽くしている。というか、凄く頭の良さを感じさせるのだ。
こういう真っ当でオーソドックスな黒人音楽、ソウル・ミュージックを聴いていると、気持ちが少しずつ和らいでゆくのが自分でもよく分かる。
「肯定的」な音楽は人を幸福にする。
ちょっとだけどね・・・。
悲しいより楽しいほうがいいに決まってるし、苦しいことより気持ちのいいことのほうが絶対いい。
でも世間はそんなに甘くない。
甘くないというよりは、そういう暗いことや悲しいことや苦しいことに常日頃から慣れてしまって、完全に麻痺しているので、逆に明るかったり楽しかったり気持ち良かったりすると、「いやいや、待てよ。そんないいことばっかり続けて起こらないって!」と、身構えてしまうのである。
特に僕なんかの不完全なペシミストは・・・。
ソウル・ミュージック・黒人音楽(と、乱暴に大きく括ってしまうのは抵抗があるけれど、そこまで細部に渡って書き込むとまた長くなってしまうので・・・)って、確かにそのルーツは奴隷制度に深く根ざしていて、黒人たちの苦悩や憎しみ、虐げられることからの解放などがその基底に流れているという事実がある。
黒人音楽は、R&Bやロックンロール、ジャズやポップスへと深く静かに浸み込み、現代ポピュラー音楽の中で大きく輝き、ひときわ豊かで美しい光を放ち続けているのである。
それほどに、この音楽ジャンルは偉大なのだ。
今、黒人音楽は激しく細分化され続けていて、色んな枝葉に分かれている。
すべてがそうだと断言することは危険だし出来ないけれど、そこにあるのは、真っ当な「肯定性」の音楽なのではないかと思うことがある。
アメリカ南部の広大な綿畑で過酷な労働を強いられ、人間以下の扱いを受け続け、労働歌として自然発生的に歌われ出した独特のリズムやそのメロディに乗せられた独自の詩だって、その辛い状況からの脱出願望であり、いつかは叶うだろうという夢であり、自立であり、黒人としての独立と自由であったはずだ。
それだって、乱暴に言い切れば「人生に対する肯定性」を歌い上げているとは言えないだろうか。
最後にはそういう匂いを感じてしまうのだ、僕は。ソウル・ミュージックを聴くといつも。
シンガー、ソングライターであり、プロデューサーでもある、ファレル・ウィリアムスのニュー・アルバムがリリースされた。
あの「ダフト・パンク」の大ヒット曲「Get Lucky」で、ナイル・ロジャースと一緒にパフォーマンスしていた黒人シンガーといったら分かり易いかな?
それとも、これも去年爆発的に大ヒットした、ロビン・シックの「ブラード・ラインズ~今夜はヘイ・ヘイ・ヘイ」に、曲の提供を含めて参加していた(PVにも出てますよね)黒人男性といったほうがいいのだろうか?
とにかくファレル・ウィリアムスは、音楽関連の賞レースにはよく名前が出て来る有名ミュージシャンであり、名プロデューサーである。
今回のソロとしては2作目となるアルバム「Girl」、その評価はすこぶる高い(因みに僕は前作「In My Mind」を、まだ聴いていません。ごめんなさい)。
曰く「最高傑作」、曰く「今年聴いたソウル・アルバムの中で一番」etc・・・。
で、買いました「Girl」。
いきなり、美しめのストリングスが入る「Marilyn Monroe」から始まり、2曲目がジャスティン・ティンバレークとのコラボ、現在大ヒットしているシングルカットされた5曲目の「Happy」を挟んで、7曲目「Gust of Wind」が「ダフト・パンク」とのコラボと、「Girl」は変幻自在にそのサウンド・スケープを変えてゆく。
アルバム「Girl」、結構ヴァラエティに富んでいて、4曲目の「Gush」なんて、マイケル・ジャクソンのアルバムに入っていてもまったく違和感を覚えない。
因みに、6曲目の「Come Get It Bae」はテレビCMでも頻繁に流れているので、ファレル・ウィリアムス自身を知らない人でも聴いたことがある人は多いかもしれない。
そして9曲目のレゲエっぽい「Know Who You Are」がアリシア・キーズとのデュエット曲だ。これも素晴らしい。
ファレル・ウィリアムス、さすがだと思う。
音楽のすべてを知り尽くしている。というか、凄く頭の良さを感じさせるのだ。
こういう真っ当でオーソドックスな黒人音楽、ソウル・ミュージックを聴いていると、気持ちが少しずつ和らいでゆくのが自分でもよく分かる。
「肯定的」な音楽は人を幸福にする。
ちょっとだけどね・・・。