山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘17年 北陸・山陰・山陽・関西巡り旅 レポート <第12回>

2017-11-15 05:33:03 | くるま旅くらしの話

【今日(11/15)の予定】 

久米の里 →(R181・R53)→ 津山市・重伝建保存地区散策 →(R53・R179)→ その先未定 

 

【昨日(11/14)のレポート】 天気:曇り後晴れ

 知人宅 →(R431・R9・R180)→ 道の駅:メルヘンの里新庄 →(R181)→ 勝山町散策 →(R181) 道の駅:久米の里(泊)

<レポート>

 昨夜は夜遅くまで4人での歓談が続いた。Bさんご夫妻と会うのは2年ぶりである。本当は年に1回は会いたい人なのだが、何しろ遠いので、なかなか思うようにはならない。Bさんは何でも自分で作り、こなすことができる万能の方で、歓談の場所である家屋も中の諸々の用具も飾りも殆ど全部と言っていくらいご自分で作られたものなのだ。物だけでなく、食べ物も皆自分で作られるのである。ピザを初めパンや漬物に至るまでご自分で創作されるのだから、驚くばかりである。無能の自分にははるかに遠い存在なのだが、心に通うものがあり、それが実に嬉しいのである。しゃべり過ぎて、気づいた時は既に22時近くとなっていた。明日のこともあるので、切上げて車に戻る。

Bさんの作られた魔法の小屋。この家屋をはじめ、中の調度や設備等の殆どすべてが手づくりの、しかも様々な材料もリニューアルしたものを活用されている。

 朝起きた時は小雨が降っていた。どうやら上天気は1日だけだったらしい。今日の予定は出雲街道の宿場町を散策することにしている。朝食をご馳走になったと、しばらく歓談をして、9時過ぎに出発する。先ずは出雲街道宿場町の町並みの残る新庄村に向かう。雨は大したことなく、曇天に変わっていた。この分なら町並みを歩くのにも傘は不要である。R181を何処までも辿ってゆくと、1時間ほどで道の駅:メルヘンの里新庄に到着。駅舎のリニューアル大改造をしているらしく、駐車場も売店も臨時の状態となっていた。ここに車を留めて、宿場町の町並みの通りへ向かう。

 ここを歩くのは初めてである。出雲街道宿場町としての形が往時を偲ばせる佇まいで残っていた。本陣や脇本陣など何軒か残っている古い建物を除くと殆どが新しい建物なのだが、町並みの景観はまさに出雲街道の往時を思い起こさせる宿場町だった。この通りにはがいせん桜というのが通りの両側に植えられており、春のその季節には格別の味わいを醸すに違いないと思った。がいせん桜というのは、明治時代の日露戦争に勝利したのを祝して、町を挙げて桜の木を植えたのだとか。早や100年を超える時間が立ち、桜は老木となり、手当てが施されていたが、これからは保存するのが困難になるのだろうなと思った。40分ほどかけて500mほどの通りを往復して車に戻る。

出雲街道新庄宿の町並みの通りの景観。通りの両側には日露戦争の勝利を賀して植えられた桜の並木が続いている。凱旋桜と呼ばれている。 

昼食を終えて、次は同じ出雲街道の宿場町である勝山宿に向かう。ここからは30分ほどの距離である。直ぐに到着。駐車場を探すのに少し手間取ったが、無事車を留めることが出来て安堵する。早速散策に出発する。勿論相棒とは別行動。先ずはとにかく宿場の外れと思しき所まで町並みをゆっくり歩くことにする。最初はそれほどでもないなと思ったのだが、歩いている内に白壁の土蔵や海鼠塀などが見られるようになり、ここは往時から相当に栄えた場所なのだなと気づかされた。その背景には町並みの裏を流れる旭川にあるようだ。というのもこの川を利用しない手は無いはずなので、昔は船便での運送交易が盛んだったのであろう。相棒の持参した資料によれば、高瀬舟が川を行き来していたと書かれていた。町並みの店先には、各所に暖簾(のれん)が出されており、これは町おこしの一環として始められたとか。いろいろなデザイン・模様の暖簾が店先を飾っていた。1時間ほどかけて車に戻る。相棒はいつもの調子でかなり遅れて戻ってきたのだが、途中で道が判らなくなり、SOSの電話が在ったのには驚いた。方向音痴なのである。相当重症だなと思った。

 

 出雲街道勝山宿の通りの景観。建物はそれほど古いものではなさそうだが、通りの造りには古さを思わせるものがある。

 

 町屋の軒先には色とりどり、さまざまな暖簾が下がっている。町起こしの一方策としてはじめられたとか。

町並みのすぐ傍を旭川が流れている。その昔はこの川を高瀬舟が行き交っていたという。玉石風の石垣や階段が残っているのは、往時の繁栄の証しであろう。 

 さて、今夜の宿はどこにするか、まだ決めていない。あれこれ迷った後、明日はもう一度津山市内の重伝建エリアを歩くことにして、近くの道の駅:久米の里に行くことにした。ここは以前泊ったことがある場所である。ガンダムの巨大模型が覆いの建物の中に立っているのでも有名だ。30分ほど走って、到着する。今日はこれで終わりである。

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