山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

「また、遊ぼうね。」

2017-02-12 05:40:40 | 宵宵妄話

孫は可愛いい。上の孫は2歳10カ月となり、この4月には幼稚園に入ることが内定している。昨年の秋の始まりのころは、自分語が殆どで、あれこれと話しかけられても、ジジババは戸惑いながらいい加減な応答しか出来なかった。こんな調子では、幼稚園に行っても先生や皆と一緒にやってゆけるのかなという心配が、ジジババの心をかすめたりしていた。けれども、今年に入ってからは、自分語を卒業し始めて、今頃はかなりのスピードで時分以外の人にも通ずることばを獲得し始めている。どうやらそのような心配は杞憂にすぎなかったようだ。

2歳になっても「ママ」などということばをあまり発しなかった孫なのだが、秋の頃からは妙にはっきりと母親のことを「お母ちゃん」などと言い出すようになり、階下からバタバタ走りまわる足音と一緒に盛んに「お母ちゃん、お母ちゃん」と呼ぶ声が聞こえてくるので、ありゃりゃ、茨城弁が身に沁み込み出したのかな、とちょっぴり複雑な気持になったりした。自分も子どもの頃は茨城弁で「母ちゃん」と言っていたのを思い出したのである。しかし、1カ月くらいでお母ちゃんは卒業して、あっという間に「お母さん」と呼ぶようになった。同時に、何でもかんでもお母さんではなく、必要な時にだけ、母親をお母さんと呼ぶようになっているのが判るのである。

子どもがことばを獲得し始めるのは3歳頃からだというから、孫は標準的な成長の中にあるのだなと納得する毎日である。それにしても、日々に新しいことばを発するのを聞いていると、人間の成長の不思議さを思わずにはいられない。昨日まで孫の傍を通り過ぎても、「アっ、ジイジ」という他は、自分の考えらしきことを自分語でモゴモゴと話しかけてくれていた孫が、今日はいきなり「ジイジどこへ行くの?」などというものだから、「あれ?ええっ、今のは孫のセリフなの?」と驚くばかりなのである。

思うに、今、孫の頭の中は、自分語を世の中に通ずることばに切り替える面白さ、楽しさで満ちているのであろう。一つ切り替えるのを覚えると、ジジババがびっくりするので、それが嬉しくて仕方が無いようなのだ。ジジババとの、ことばを通じた本物のコミュニケーションが出来たことに自信を持てるようになると、この切り替え作業は面白くて、もう止まることが無くなるのであろう。勿論、ジジババとの前に、両親とのたゆまざる切り替えの修練が積み上げられていることは言うまでもない。

階下に住む孫たちと毎日逢っているわけでもない。ジジババが孫たちの住む空間を訪れるのは、親に頼まれてちょっとの間孫たちを預かる時くらいで、普段は孫たちがやって来るのを待つだけなのである。孫が可愛いからと言って、孫を独占して猫可愛がりするような真似は決してしない、そういう考えがジジババにはある。孫たちの暮らしはその親と一緒にあるのが一番なのだと思っている。つまり「子どもは、親ファースト」なのである。今流行りの○○ファーストなのである。世の中の多くのジジババが、孫たちと逢えるのは年に1~2度だけという中で、このジジババは逢おうと思えばいつでも逢えるという恵まれた環境の中にあり、それを思い上がって受け止めたりしないようにするのがジジババの心得だと思っている。

なれども、孫と逢えるのをいつも心待ちしているのは、やっぱりジジババの本音なのだ。

今日も下の方(階下階段)が何やら騒がしくなったと思ったら、「上へ行く!」などという声と一緒に「ジイジ~」と言いながら孫たちが階段を上がって来た。上の子は手すりを持ちながら、下の子はハイハイをしながら「しっ!しゃ!」などと気合を入れて上がってくる。2階の廊下に到達すると、「ジイジ、バアバ~」といいながら上の子は、近くに置いていた拡大鏡を手に持って、周辺の物を覗き始めた。下の子は、兄のそれの仕事が終わるまでは、古い携帯電話を箱から持ち出し、「モシモシ~」のゼスチャ―を始めたりしている。勿論電話器の向きなど反対であり、そんなことなど全く意に介さない。これらの作業はこの頃の彼らのルーティーンとなっているようで、それが終わると、上の子はメインの関心事であるコーヒーミルの作業に取り掛かる。この器具は少し重くて、自分で取り運ぶのは無理なので、ジイジがテーブルの上へ置いてやると、「コーヒー」と豆を要求する。最初、うっかり10粒ほど持ってきてやったら、「多すぎる」などと言われてしまった。2~3粒でいいのだ。この豆を、ハンドルを回しながら下の引き出しを開け、覗きながら挽くので、テーブルの上も下も粉だらけになってしまう。それを指先でいじりまわして感触を楽しむのが面白いらしい。文句を言いたいバアバも、もはや諦めて見守るだけである。この間、妹の方は兄が放置した拡大鏡を手に持って、横綱歩きをしながら周辺を調べていたのだが、直ぐに飽いて、今度はお菓子の空き缶の類を持ち運びする作業に取り掛かっている。お菓子には興味はないようで、何個かあるディズニーの絵模様の缶の運搬に余念がない。横綱歩きで運び終わると、今度はそれを元に戻す作業に取り掛かる。

孫たちがやってくると、ま、今のところは、ざっとこのような動きの繰り返しであり、ジジババは只管(ひたすら)に彼らの安全確保に神経を集中する。階下には溢れるほどの玩具が散在しているのだが、ジジババの部屋にはそれとは別の、普段は触(さわ)れない物が幾つもあるので、孫たちにはそれが楽しみなのであろう。

しばらく遊んで、やがて飽きてくると、自ずと潮時を覚えているるのか、ドアの方へ歩いてゆき、下へ行くと言い出す。その時のセリフが「ジイジ、バアバ、また遊ぼうね」となる。上の子は、3日ほど前から帰り際には必ずこのセリフを言うようになった。手すりをしっかり持ちながら下りてゆく。もう階段の上下は大丈夫となったようだ。下の子は未だ横綱歩きなので、下りるのはとても危険。ジイジが抱っこして慎重に送り届けることとなる。階下のドアの前で、下の子も「バイ、バイ」の挨拶をしっかりしてくれて、今日の孫嵐は終わりとなる。明日も嵐が再来してくれることを願いながら、ジイジはゆっくり階段を上るのである。「また、遊ぼうね」と何時まで言ってもらえるのかなあ、ずっと言って欲しいなあと思いながら。

 

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