山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第18回>

2017-05-12 01:01:29 | くるま旅くらしの話

【これから(5/12以降の予定】 

  11日の作業で部品の計測をした結果、適合しているとのことだったので、12日には走ることが可能となった。よって、これ以上の横手市滞在はしなくても良いこととなった。2週間も滞在していると、横手市の良さも、そうでない部分も少しは見えて来て、嬉しいような、寂しいような、妙な気分となっている。とにかく今回の旅は一先ず終わりにすることにして、信越に向かうのは止め、帰途に就くことにする。急がず2~3日かけての道行きとしたい。

 

【今日までの凡その暮らしざま(5/6~5/11】     天気:6日と11日は雨、それ以外は晴れなれど荒天多し

<滞在・宿泊>

 各日、秋田トヨタの駐車場にお世話になりながら、時々外出する毎日。11日は巣郷温泉の旅館静山荘に泊る

<レポート>

  数えて見れば、28日にトラブルが発生してから早や12日が経ってしまった。4月には未だソメイヨシノの花が残っており、しだれ桜が満開だったのだが、この12日の間にしだれ桜は終わりに近づき、ソメイヨシノの木はもうすっかり葉桜となって鮮緑に染まっている。そして遅咲きの八重桜が今を盛りと咲き誇っている。鳥海山の雪はまだそのままの状態のようだが、近くの山はもう笑いが止まらないくらいに木々が息づいているのが望見できる。時間が経つのは早く、そして大自然の営みは着実だ。

  毎朝、城跡の横手公園まで往復しており、コースを変えて歩きまわっている。家にいる時よりも歩数を稼いでいるのは、長期滞在のおかげであり、12日間の平均歩数は、毎日2万歩を超えており、最高は26千歩にもなってしまった。歩くのは楽しいのだが、歩き過ぎてしまわないようにコントロールするのが難しい。ま、体調が良好という証だと思って、毎日を楽しんでいる。

  横手の街の印象を少し述べて見たい。横手市は人口が10万人を少し超えるほどだったらしいが、これは平成の大合併の際に近隣の7町村を含めた数値であり、現在の人口は9万人を切っているようである。地方都市の人口減少は、東京に近い茨城県でさえも多く見られる現象であり、ましてや東北のこの地では、よりスピードが早やまっているのかもしれない。自分が歩き回っているのは、勿論旧市内周辺なので、横手市らしさが一番残っているのではないかと思っている。

  市内を歩いていて目立つ一つに顕彰碑が多いことがある。公園や角の小さな広場の脇に何やら石碑のようなものがあるので覗いて見ると、市の行政や公共活動に貢献された人物を讃える文語が刻まれているのを多く見ることができる。これは先人の偉業をたたえる人々の素直な気持がそのようなモニュメントを多くつくり上げているのかもしれない、そう思った。城下町といっても厳めしい殿様が治めていた町ではなく、館住まいの領主だったこともあったのか、治安の良い、のどかな町だったような気がする。石坂洋次郎がこの町での暮らしの体験をもとに、あの青春小説を書くことが出来たのも首肯できるような気がするのである。毎日城址の横手公園まで通いながら、少し昔の良き時代のことを想ったりした。

  横手の春は、自分の住む守谷市などとはかなり違うようである。第一に咲いている花が違うのである。いや、花は違わないのだが、咲かせているタイミングが違うのである。たとえば、守谷ではとっくに咲き終えてもうすっかり花の姿を止めていないレンギョウやサンシュユ、ユキヤナギなどが咲き残っていたり、スオウやボケなどの花も今が盛りのように当たり前にそこここに見られるし、そうかと思えば多分守谷でも今頃かと思うライラックなどが庭先に誇らしげに花を咲かせたりしている。早い春と遅い春が一緒になって花を咲かせているのを見るのは楽しい。また、横手川の側道を歩いていると、時々カジカカエルの鳴き声が聞こえてくる。横手川は、どこから流れてくるのかよく判らない(多分和賀山の水系ではないかと思う)けど、清流であり、カジカガエルの鳴き声を聞くと、何だか救われるような気分となるのである。

  市の旧市街から外れた所に新しく造られた国道13号線沿いには、どこの地方都市にも見られる全国規模の様々な種類の大型量販店などが並んでいるのだが、その中でとりわけて目立つのは、広い駐車場を持ったパチンコやスロットの店が幾つもあることである。ざっと数えても6~7店舗はあるようで、それらの駐車可能台数は数千台くらいになるのではないか。横手近郊の人々はこの種の娯楽の愛好者が多いのか、少し首を傾げたくなる。加えて競馬の場外馬券売り場まであり、これはいったい何なのだろうと、博打類に関心の無い自分などには理解できない現象なのだ。ま、横手市は、気どりの無いざっくばらんな庶民の町といった所なのかもしれない。冬さえなれば住んでみたい気持になる、山あり、川ありの町であると思った。

  8日の日は、代車を使わせて貰って、増田町という所にある国指定の重伝建(=重要伝統的建造物群保存地区)を見学してきた。つい最近、吉永小百合出演のJRの旅のPR映像で紹介されている場所である。横手市に重伝建指定エリアがあることなど知らなかったのだが、この映像を見て調べていると、どうやらここ数年の間に新しく重伝建に加わった場所らしい。重伝建の探訪は、自分たちの旅の目的の一つとなっており、全国の凡そ90%ほどは既に訪れているのだが、増田の話を聞いたのはごく最近だった。今回は車の故障に拘わらず訪ねて見ようと考えていた場所だった。

  寝泊まりしている横手市の秋田トヨタからは20分足らずで行ける場所だった。増田が横手市だというのにはどうも違和感がある。平成の大合併は、確かに行政の効率化という点では成果を上げたのかもしれないけど、地方の由緒ある地名などが消滅したり、印象が薄れて行くのには抵抗を覚えるのである。増田町は横手市ではなく、やはり増田町なのだと思った。

  駐車場に車を止めて、重伝建指定地区の700mほどの町並みを歩いて見て回った。この地区の特徴は内蔵ということであるから、外から見たのではその建物がどんなものかを知ることはできない。中に入って、家の中につくられている蔵を見なければならないのである。そのような建物が十数軒ほど残っているようなのだが、それらのすべてを見るのは到底無理なので、自分は一軒だけを入念に見ることにして、蔵の駅という看板が掲げられている建物に入り、中の様子を見せて貰った。増田の町が具体的にどのような産業を中心に経済的な隆盛をモノにしたのかは、勉強不足でよく分からないので、とにかくその構造などから往時の繁栄の有り様を想い巡らした。間口が4間なのに奥行きが22間もあるというその建物は、他の地方の商家町に残る建物に良く似た造りだったが、やはり内蔵の存在だけは他の地区とは違っているなと思った。何故内蔵だったのか、そのことについては資料には書かれていないような気がしたが、それは雪深いこの地の気候などと関係があるのかもしれない。現役の家も何軒かあるようだけど、現代の住まいとしては応用が難しいだろうと思った。

  その後は、いつものように町全体がどのようになっているのかを知るべく、お寺や神社などを訪ね歩いて、幾つかの発見をしたりした。凡そ1時間半くらいの時間をかけての散策だった。一方、相棒の方は全ての商家を丁寧に訪ねたいらしく、予め決めていた商家の一つ一つを訪ねていたようだが、一軒毎に家の方などに訊ねる時間が長いので、3時間ほどかけても3軒ほどしか訪ねられなかったようである。黙って放っておくと無制限に時間を使う人なので、3時間を限度として引き上げることにした。増田の町並みはもう一度訪ねなければならないと思った。

  11日はいよいよ修理の作業開始日である。寸法が合っているか否かが最も気になることなのだが、これは作業をして見ないと判らないということ。この日は終日の作業となるため、駐車場泊りができないので、代車を利用してどこか宿を探さなくてはならない。ということで、横手市に隣接する岩手県西和賀町にある巣郷温泉にある静山荘という宿を予約している。10時過ぎからの作業開始なのだが、寸法の適否が判るまでには時間がかかりそうなので、とにかくトヨタの駐車場を出ることにした。

  チェックインは13時にお願いしてあるので、その間、少し横道にそれて新しく羽後町に出来た道の駅:うご端縫いの郷に行くことにした。ここは日本三大盆踊りの一つである西馬音内盆踊りで有名な所である。相棒はそれもあるけど、その盆踊りの衣装などに使われている、特徴のある端縫いというものに関心があるようで、少し気分が高揚して来ていたようだった。まだ盆踊りのシーズンからは遠く、行ってみた道の駅は、山菜などが並んでいて、自分的にはそれほど目を引くものはなかったのだが、相棒は何やらその端縫いの座布団などを手に入れたりして、地元の方を捉まえて情報を仕入れていたようだった。

  その後は予定通り13時に巣郷温泉の静山荘へ。とにかく、今夜はここでゆっくり温泉に浸かって、別の種類の旅を味わいたいと思っている。風呂に入って、一杯やっている内に15時近くになり、やっぱり心配になってトヨタに電話をする。諦めの方が少し大きい気分だったが、話を聞くとどうやら部品の寸法は合っていたということ。但し他の部品も取り換えが必要となった箇所があり、それはどうやら手持ちの部品でカバーできるので、明日には走れるように鋭意取り組んでいるとのこと。ホッとした。14日間も待ったことがようやく一つの終わりを迎えたことに、安堵した。これで明日から帰途に着くことができる。類まれなる、くるま旅の体験だった。いずれ機会をとらえて所感などを書いて見たいと思っている。やれやれ。

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