山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

‘17年 東北・信越の春訪ね旅 レポート <第6回>

2017-04-21 05:25:56 | くるま旅くらしの話

【今日(4/21)の予定】 

  道の駅:いいで →(R113・R287)→ 道の駅:川のみなと長井 → その先未定(長井市と白鷹町の桜の名木を訪ねたいけど未だ開花に至らぬ状況なので、様子待ち)

 

【昨日(4/20)のレポート】 天気:曇り後晴れ

<行程>

道の駅:喜多の郷 →(R121・R13・K・R113)→ 道の駅:たかはた(高畠町)→ 安久津八幡神社参拝 → 考古資料館 → 道の駅:たかはた →(R113・K)→ 亀岡文殊堂大聖寺参詣 →(K・R13・R113・K)→ 久保桜 →(K・R287・R113)→ 道の駅:いいで(飯豊町)(泊)

<レポート>

  朝、昨日と同じコースを喜多方市内まで往復する。今日は5時半前の出発だったので、たっぷり歩くことができ、喜多方の新名所となりつつある旧JR日中線跡に植えられたしだれ桜の道を少し歩くことが出来た。桜はまだ咲き初めといった状態で、観桜というわけには行かなかった。でも満開を想像することはできるので、いつか桜の季節にこの道を歩いて見たいなと思った。凡そ10kmほどは歩いたと思う。今のところ歩き不足は一日だけ。

  さて、今日の予定だが、あれこれ思いを巡らしてみるものの、置賜エリアの桜は未だのようだし、さりとて他に特に考えていた場所もない。悩んだ末にとにかく米沢方面に向け出発することにして、以前一度通ったことのある七ヶ宿街道(R113)沿いにある道の駅:たかはたに向かうことにする。確かあの道の駅の近くには三重塔だったかがあったように記憶しており、地図を見ると考古資料館もあるらしい。そしてその後に、これは地図の情報から、同じ町にある亀岡文殊堂大聖寺というのを訪ねることにした。その後は長井市にある久保桜の開花の様子を見て、早や目に道の駅:いいでに行ってそこに泊ることにした。まことに思いつきの大雑把な予定である。

  9時少し前に出発して、先ずは山越えの道を通ることになる。雪の按配は大丈夫かなと少し不安もあったが、行って見ると以前通った時とはすっかり道路の様子が変わっていて、幾つものトンネルが出来ていて、真に通り易い道となっていた。しかし、米沢側に近づくにつれて道脇の山の景色は雪に埋もれている状態となり、完全に冬の状態に見えた。けれども、雪の下では融けだした水が谷の川に向かって流れ始めているのであろう。それらを集めて流れる川は、かなりの水量を増して奔り下っていた。坂を下って麓近くにある道の駅:たざわ(田沢)で小休止。店は未だ開かれていなかった。

  雪景色の中を通っている内に何だか寒くなりだし様で、相棒は何枚も防寒の重ね着をしていた。自分もウインドブレーカーを羽織ることにする。外気は一桁となっていた。その後しばらく走ると米沢市街が近づき、R13に入って高畠町を目指す。

道の駅到着は10時半近くだった。一息入れた後で、道路の向こう側に見える三重塔の方へ行って見ることにした。安久津八幡神社というのが名称で、なかなか由緒のある神社らしい。神社とお寺の関係は歴史を調べないと判らないけど、三重塔というのは一般的にはお寺さんに多いのではないか。ま、それにはあまりこだわらずに。神社の本殿の方へ石段を登って行った。行って見ると何と茅葺の拝殿と本殿がそこに鎮座していたので驚いた。以前早池峰の麓の神社を訪ねた時も朽ちかけた茅葺の建物を見て感動したのだが、昨年行った時は杉皮のようなものに葺き替えられていたので、少しがっかりしたのを思い出した。ここはそのままの状態で、本殿の方は茅での手当てが施されていた。三重塔を含めた何枚も写真を撮った。相棒はミズバショウが咲いているのを見つけて感動していたようだ。早く戻って水汲みに取り組んでいた自分は、それを見に行くのが面倒で、見に行かなかった。ちょっぴり惜しかったなと思った。

安久津八幡神社の拝殿の景観。この建物に連なって奥の方に拝殿がある。いずれも茅葺きで、歴史の重さを感じさせるものだった。

安久津八幡神社の三重塔。置賜地方唯一の重層建築とのこと。風雪に耐えて聳えたつその構えにも東北の歴史を思わせるものがあった。

その後は神社の脇からが歴史公園になっており、その中に「うきたむ風土記の丘考古資料館」というのがあったので、中に入ることにした。「うきたむ」というのは日本書紀に出ていることばで、それは現在の置賜を意味しているということらしい。展示品の多くは、置賜地方で出土した石器や土器類が殆どだったが、歴史年表をみたら、何とこの地では3万年前から人の住んだ痕跡があるとのこと。縄文時代の出土品も多く、太古の置賜地方は豊かな暮らしの可能な場所だったというのが解った。それにしても人類は3万年前から、相当に長い時間をかけてここまでやって来ているのに、古墳時代以降のあまりにも速い生きざまの変化は、突然変異とでもいうしかない気がする。特にここ100年以内の人類の進歩はバランスを失いながら、狂気じみたスピードで進んでいるような気がしてならない。石器や土器などを見ながら、不便と利便とに寄せる人類の思いの、そのギャップの大  きさに改めて不安を覚えたりした。

 その後は昼食の後、日本三大文殊の一つに挙げられている亀岡文殊堂大聖寺を訪ねる。昼近くなることから天気は安定し出したようで、ようやく晴れの天気がやって来た。亀岡文殊堂は、長い石段を上った奥に鎮座していた。石段の両側には歴史の古さを証明するかのように、幾つもの石塔や石仏などが並んでいた。本堂も貫禄のある立派なもので、以前訪ねたことのある京都宮津の切戸の文殊堂などよりはずっと上のような気がした。北国羽後に住む人たちの思いが、ここに集まっているのだなと思った。

日本三大文殊の一つ、亀岡文殊堂の景観。この本堂に至るまでには300見場もある長い石段の参道が続いていた。裏手には利根(りこん)水という湧水があった。

 石段を登りながら楽しかったのは、その両側の至る所に今を盛りとショウジョウバカマの花が咲き続いていたことである。この花も東北の春を象徴する野草の一つではないかと思っている。我が家の野草園にも一株のショウジョウバカマがあるのだが、今年は花を咲かせてはくれなかった。やはり、無理があるのかもしれない。申しわけない気分になった。もう一つ参詣の途中で、カモシカ君に出会ったのも良かった。この辺りにはカモシカ君が多く住んでいるらしい。フキノトウなどを探して時々お寺の近隣までやってくるらしい。動画まで撮れたのは上出来だった。

長い石段の両側には、今を盛りとショウジョウバカマがその美を競って咲いていた。

亀岡文殊堂の裏手の山にやって来たカモシカ君。特に人間を恐れる風でもなかったが、一定の距離はしっかり守っていた。

 亀岡文殊堂参詣の後は、本来の目的である、置賜地方にある一本桜の古木の中でも代表的な存在の久保桜の開花状況を確認しようと長井市の井佐沢という所へ向かう。行ってみたら、やはり予想していた通り、未だ開花し始めたばかりのようで、観桜はあす以降でないとダメなのが解った。これはもう大自然の為すことなので、待つしかない。

 ということで、その後は今夜の宿に予定している、飯豊町にある道の駅:いいでに向かう。15時前に到着したのだが、今日はもうどこへも行くことは考えず、夜を迎えることにした。

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