山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

越後・信濃路の旅:第3日(その1)

2016-11-08 00:37:17 | くるま旅くらしの話

第3日<10月17日:月> 天気: 曇り

 <行程>

道の駅:じょんのびの里高柳 →(R252・R8・R116・R352)→ 寺泊魚市場[長岡市寺泊] →道の駅:越後出雲崎天領の里[新潟県三島郡出雲崎町] → 良寛記念館他宿場町散策[新潟県三島郡出雲崎町] →(R352・R8)→ 道の駅:風の丘米山[柏崎市青海川] →(R8・K)→ 道の駅:杜氏の郷よしかわ[上越市吉川区] →(K・R18他)→ 高田城址公園散策[上越市] →(R18他)→ 道の駅:あらい[妙高市猪野山] (泊)  走行176km

 <レポート>

昨夜は夜半から雨になって、断続的に天井が賑やかになった。しかし旅の二日目は結構疲れが出てくるのか、雨音などは気にもせず眠りを貪った。朝までには止んだようで、起き出して外を見るとどんよりと雲が空を覆っていたが、何だか晴れてくる予感がした。一夜のじょんのびを味わった人は少なかったようで、旅車らしき車は2~3台しか見られなかった。ここは柏崎市となっているけど、海の街柏崎のイメージは全くなく、山奥の現実しかない。合併策が進むにつれて今までの地名の持っていた力が雲散霧消するような気がして、どうもすっきりしない気分がある。柏崎市と高柳町は明らかに違うのである。行政の効率化のためには合併は必要なのだろうけど、土地と人間の関係がどこもかしこも都市化の方に向かうのは、本当にいいことなのか疑問は消えない。

 

寺泊魚市場を覗く

新潟県の日本海側に出る時には、どうしても寺泊を訪ねたくなる。旅の行程の中に新潟県が含まれる場合は、何とか寺泊に寄ることを考えてしまう。その理由は、勿論日本海の新鮮な魚を食べたいからである。自分は格別の魚大好き人間である。肉にはあまり関心がない。牛や馬の肉などは、彼らのあの愛すべき瞳が浮かんで来て、どうも罪悪感を拭いきれないのだ。豚だけは、あれはまあ許されるような気がする。魚の中で唯一食べないのは鯉だけである。どうしてかといえば、鯉は大変人懐こい魚だからである。鯉こくや鯉のあらいなどが出てくると旅館に泊ったことを後悔したりすることがある。食べないのに食事代分を不意にするからである。

これはどうもとんだ横道にそれてしまった。そう、寺泊の話だった。寺泊には魚市場があって、それが魅力的なのだ。我が郷土の茨城県にも那珂湊や日立などには魚市場があって、時々買い出しに行ったりしていたのだが、原発事故以来は、家内の厳しい警戒心もあって、すっかり足を向けなくなってしまっている。そのようなこともあって、今回はどうしても寺泊に寄ることにしたのである。尤も、寺泊は三国街道の終点の宿場町でもあったから、街道の昔を訪ねるという目的にも叶った場所なのだった。

朝8時過ぎに高柳を出発して、寺泊に着いたのは9時半を少し回った頃だった。少し道に迷って魚市場の駐車場に着いたのだが、その迷った道がどうやら昔の宿場のあった街道らしく、狭い道の両側にやや古さを残した民家が櫛比していた。その昔はここの宿に泊ってから佐渡に向かう旅人も多かったのであろう。海の向こうに横たわっている佐渡が島を見ながら、旅人はそれぞれの旅の終わりや始まりを想ったに違いない。車を置いて歩けば、更に新たな発見があるのかもしれないけど、先に魚のことが気になって、そのまま魚市場の方へ直行したのだった。

寺泊の魚市場には何度も来ているのだが、どうも最近は少しずつ活気が失われて来ているような気がしてならない。何だか店がスマートになって来てしまって、野性味が失われて来ている感じがする。デパートやスーパーの様な切り身となった魚が増えて来ている感じなのだ。食生活に利便性を求めるとそのような方向へ向かわざるを得ないのだろうけど、切り身というのは、このような場所では活気を損ねるような気がする。ま、これは老人ならではのわがままな感傷なのかもしれない。

自分の今日の関心は、鯖の串焼きをゲットすることである。刺身の方は家内の世界。何といっても日本海の魚市場では鯖の串焼きが最高なのだ。本場は若狭の小浜や丹後の宮津などなのかもしれないけど、何処へ行っても鯖の串焼きは自分のターゲットなのである。どういうわけなのか、太平洋側の関東にはこのような串焼きがない。野性味の雰囲気のある串焼きの類は、都会人を気取った食文化の世界では歓迎されないのかもしれない。寂しくも哀しいことである。

昨年若狭の小浜に寄った時に聞いた話では、近年の串焼き用のサバは、殆どがノルウエー産だとのこと。若狭でとれる鯖は量も少なく、今では熟れずしなどに使われているらしい。寺泊の鯖はどこからやって来たのか判らないけど、恐らくやはり北欧辺りからではないか。少し小型なので、もっと大きいのは無いかと尋ねたら、串焼きを扱っているおばちゃんは、大きいのだと値が張るので小ぶりのものにしているとのこと。1匹千円を超えても大きい方がいいのになあと、心なしか少しやせ気味の一本を買い求めながらそう思った。

家内は正統派の刺身類を買い求めていた。昼食にはご飯を炊いて、自分は鯖の半分を食して、残りは夕べの酒の肴に回すことにした。寺泊に来ると、大体いつもこのパターンとなる。

 良寛さまのふるさと出雲崎を訪ねる

出雲崎は北国街道の陸地の終点である。中山道の追分から小諸宿を最初の宿として丁度30番目が出雲崎の宿となり、そのあとは海を渡って佐渡の小木浜に至り、最終点が相川となる。出雲崎は佐渡からの金銀の搬入路の拠点となっていたため、江戸時代は幕府の直轄地となっていた。いわゆる天領という奴である。天領などとは真に気取った言い方であり、ひねくれ者の自分などには気にいらないことばの一つである。ま、天領を売りにしている場所もあるから、ものは考えようなのかもしれない。

出雲崎といえば何といっても良寛さまである。新潟県の産んだ超有名人のお一人である。出雲崎の良家の長男に生まれ、本来は生家を継ぐ立場だったのが、家事の係争に嫌気がさして出家をされたお人であり、その生きざまはまさに仏の姿そのもの(=生き仏)であったという。この方の生きざまを想う時、もう一人同じような生き方をされた紀州出身の明恵上人のことが浮かんでくる。お二人とも誠心誠意仏に帰依し、仏道の実践に取り組まれた方だけど、良寛さまは、厳しさを優しさで表現された生き方をされたお人の様な気がする。

出雲崎の浜には良寛堂があり、良寛様の銅像などのモニュメントが建てられていた。良寛さまは今良寛堂が建てられている橘屋跡でお生まれになったとのこと。そこには銅像が置かれていたが、見たことも無い方なのに、何だかご本人がそこに坐しておられるような感じがした。

       

良寛さまの誕生の地、橘屋跡には良寛堂があり、これはその場所に海の方を向いて座られている銅像である。

そこに参詣した後、坂を上って丘(というより崖)の上にある良寛記念館を訪ねた。良寛さまの書や、良寛さまについて書かれた資料や塑像・木像などが幾つも展示されていた。優しげな線で描かれた文字は、かなり省略された書き方なので、自分には殆ど読めなかった。それらの中に「天上大風」と書かれたものがあった。これは誰にでも読めるもので、それほど達筆とも思えぬ書きぶりだったが、何とも言えぬ優しさが現れている字だった。解説によると、この文字は良寛さまが子どもたちにせがまれて書いたものだとのこと。子どもたちが凧をつくって上げようとした時に、凧に何も描かれていないので、何か書いておくれと良寛さまにせがんだら、どれどれ、よしよしと筆をとって書かれたのが「天上大風」という四文字だったとのこと。凧が高く上がるためには風が吹いていなければならず、子どもたちの願いが叶うことをこの四文字に籠めて書かれたのであろう。優しい筈の文字だった。

     

良寛堂の上方の崖の上にある良寛記念館。門の左手に見える庵は五合庵に摸してつくられた耐雪庵。この奥に記念館があり、さらにその右手上方が「良寛と夕日の丘公園」となっている。

何年か前に、良寛さまの住まいだった五合庵を訪ねたことがある。今は燕市になっている元分水町にある国上寺(くがみじ)の境内(と言っても崖の様な坂の林の中)にあるその粗末な庵は、雨風を辛うじて凌げるほどのもので、雪の季節などは相当に難儀をされたのではないかと思った。まさに仏道に身を置いた聖人でなければ生きては行けない場所だなと思った。良寛さまの生きざまの凄さを思い知らされた感じがしたのを思い出す。

何年か前に良寛さまについて書かれた全集物を購入していたのだが、まだ手付かずに読まないでいる。もう読むのには遅いタイミングなのかもしれない。でも読まなければならないと思った。

良寛記念館の横にある坂を少し登ると、そこには小さな広場があり、そこからは眼下に出雲崎の街並みと日本海、そしてその向こうに横たわる佐渡ケ島が俯瞰できる、素晴らしい眺望の場所だった。この辺一帯は「良寛と夕日の丘公園」となっているようで、特にこの小さな広場は、「新潟景勝百選第一位当選の地」と書かれた碑が建っている、いわば新潟県第一の景勝地なのだった。確かにその眺めは素晴らしい。夕日の丘とあるのは、日本海側には夕日鑑賞の名所が数多くあるから、この地も佐渡の彼方に沈みゆく夕陽を眺めるには最高の場所の一つなのだろうと思った。ここには道の駅もあるので、今度来た時には道の駅に泊って、この丘に登り新潟県一の夕日の景観を味わってみたいなと思った。

     

出雲崎からは遠く対岸に佐渡ケ島を見ることができる。佐渡で採掘された錦銀は、この天領の地である出雲崎の港に荷揚げされ、運ばれていった。

又この場所からは眼下に出雲崎の町が見下ろせ、遠く佐渡ケ島を望むことが出来る。出雲崎の町は、海岸近くの街道に沿って、妻入りと呼ばれる建築様式の家々が櫛比して並んでいた。妻入りの家は、通りに面して大棟が直角になっており、普通の家は、玄関が家の正面についているのだが、妻入りでは玄関が側面となっているのである。日本海に面した狭い土地では、建物としての家を守るためにこのような建て方を余儀なくされたのであろう。この妻入りの家々が出雲崎では4kmも続いていると、説明板に書かれていた。これはこの丘の上に上がって俯瞰しなければなかなか気づかないことだろうと思った。

     

公園の下には海岸通りに櫛比して建てられている妻入りの家々が俯瞰できる。

 

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