レオナルドダヴィンチの受胎告知が東京国立博物館に来た。
ウフィツィ美術館の門外不出の作品である。1940年以降館外に出たことがない。
キリスト教に馴染みのない日本人には分かりにくいが、「受胎告知」とは、大変なことなのです。
天使ガブリエルがマリアに言う。
「おめでとう、主があなたと共におられる」
マリアは「私は男の人を知りませんのに」という。
「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」
処女受胎と言われる、この場面はキリスト教の根源なのです、こんな大事なことを描いた絵が、異教徒の日本に行っていいはずがない。(笑)
ダヴィンチが20歳そこそこで描いた絵、当時は何の脚光も浴びなかった絵ですが、遠近法においても、写実主義においても完璧な絵です。
東京国立博物館での今回の展示は、2会場に分かれている。というよりも、「受胎告知」と、それ以外とという分かりやすさ。
第一会場では、手荷物検査もあります、人に見られて困るもの(笑)はバックにも入れないように。
ただ一点だけを鑑賞するための会場は、それなりに工夫されていますが、「立ち止まらないでください」の連呼には違和感がある。
さいわい満員なので、ゆっくり歩行になるが、慌しい気持ちになる。
事前勉強をしてない人は、先に第二会場に行って、この作品のVTRを見てからにした方がいいと思います。
スロープになってる観覧場所の右コーナー最前列だけが、何故混むのかが分かります。

この絵で少し変だと気づくところがあります。そうです。マリアの右手が異常に長いのです。解説では、この絵は右下から仰ぎ見るような場所に設置されることが分かっていたので、あえて、そう描いたということになっています。
元は、フィレンツェ郊外のサン・パルトロメオ・ディ・モンテオリヴェート聖堂にありました。右下から見ると本当に変でないかどうかは、是非試してください。
他に見るポイントは..(余分なお世話ですが..)
こんなにリアルな天使の羽は他にありません。
バックの雰囲気は、何故かモナリザのバックに似てませんか?
実はあまり似てないのですが(笑)
既視感(デジャブ)を感じたのは、私だけでしょうか?
第二会場は、とにかく雑然としているし、よほどの気力がないと展示した人の意図を汲み取るのは難しい。
とにかく列は長いが、良く分からない。(笑)
天才の考えることは、良く分からんね....。そんなことではダメですがね。
ウフィツィ美術館の門外不出の作品である。1940年以降館外に出たことがない。
キリスト教に馴染みのない日本人には分かりにくいが、「受胎告知」とは、大変なことなのです。
天使ガブリエルがマリアに言う。
「おめでとう、主があなたと共におられる」
マリアは「私は男の人を知りませんのに」という。
「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」
処女受胎と言われる、この場面はキリスト教の根源なのです、こんな大事なことを描いた絵が、異教徒の日本に行っていいはずがない。(笑)
ダヴィンチが20歳そこそこで描いた絵、当時は何の脚光も浴びなかった絵ですが、遠近法においても、写実主義においても完璧な絵です。
東京国立博物館での今回の展示は、2会場に分かれている。というよりも、「受胎告知」と、それ以外とという分かりやすさ。
第一会場では、手荷物検査もあります、人に見られて困るもの(笑)はバックにも入れないように。
ただ一点だけを鑑賞するための会場は、それなりに工夫されていますが、「立ち止まらないでください」の連呼には違和感がある。
さいわい満員なので、ゆっくり歩行になるが、慌しい気持ちになる。
事前勉強をしてない人は、先に第二会場に行って、この作品のVTRを見てからにした方がいいと思います。
スロープになってる観覧場所の右コーナー最前列だけが、何故混むのかが分かります。

この絵で少し変だと気づくところがあります。そうです。マリアの右手が異常に長いのです。解説では、この絵は右下から仰ぎ見るような場所に設置されることが分かっていたので、あえて、そう描いたということになっています。
元は、フィレンツェ郊外のサン・パルトロメオ・ディ・モンテオリヴェート聖堂にありました。右下から見ると本当に変でないかどうかは、是非試してください。
他に見るポイントは..(余分なお世話ですが..)
こんなにリアルな天使の羽は他にありません。
バックの雰囲気は、何故かモナリザのバックに似てませんか?
実はあまり似てないのですが(笑)
既視感(デジャブ)を感じたのは、私だけでしょうか?
第二会場は、とにかく雑然としているし、よほどの気力がないと展示した人の意図を汲み取るのは難しい。
とにかく列は長いが、良く分からない。(笑)
天才の考えることは、良く分からんね....。そんなことではダメですがね。

モナリザは、思ったより小さかった記憶がよみがえりました。あの頃はパンダやらモナリザやで、日本中大騒ぎだった気がします。
「最後の晩餐」は、子どもが文化祭で貼り絵にしました。クラス中が細かい色紙を持ち帰り升目に決められた色を一枚ずつ貼っていく・・・・根気のいる作業を一家総出でやったんですよ。完成した大作が高校の玄関を飾り凄かったです。もっと凄かったのは文化祭終了時にそれをはがした時の一言「一瞬にして終わった」でした。あっけない結末です。
壊すのは簡単ですよね。
あっけない結末を重ねるのが人生?。
でも若いときは、そう感傷的になりませんよね、又、明日からの再生が、身近にあるからね。
「最後の晩餐」は大塚国際美術館で陶板で見ました。大きさは本物と一緒。迫力ある大きさです。修復前と修復後が向かい合わせで展示してます。
スゴイ美術館ですよ。行かれたことあります?
機会があれば行ってみたいです。
あぶくとなって消えても再生がすぐ出来るのは、kazuさんがおっしゃるとおり、若さの特権ですね。「一瞬にして終わった」との発言も、もちろん子どものです。でも我が家ではその晩餐を記録してあります。また、どこかにアップします。バブルも違う形で表れると言うことを私たち親の世代が示さないと。
意地っ張りのイタリアでした。
第二展示も一応入場しましたが、あまりに瑣末な感じで、ちらっと入り口から覗いただけで、すぐに引き返してしまいました。
思うのですが・・・。こういう傑作は、学者先生の重箱の隅をつつくような研究を参考にするより、作品そのものの迫力にじかに接することが、何よりだと。
なまじ、細かな知識を入れると、感動が薄れます。
国立博物館のHPの解説も、最低限の重要な予備知識が皆無で、あれでは、意味がありません。
並んで一生懸命に見てる方もおられたでしょう?
ついて行けませんでしたが..。
日本では「消化しきれてない」のだと思います。これを見るのだよと、これがスゴイのだよとという展示する側の熱意がうまく反映されていませんね。だから我々庶民は、ウロウロします。
例えば、人間が羽を付けて、空を飛ぶ。すごいではないですか?そのために、どれだけの大きな羽と筋力が必要なのか、無理なのですね。ダヴィンチは、それも立証したはず。伝わらないな。