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旧中筋家住宅-重要文化財- 和歌山市

2013-10-05 | 街角の話し
高校の同窓生、4つ年上の岡部さんから和歌山に面白い所あったよと紹介され、実家に帰った時に寄ってきました。

旧中筋家住宅は、和歌山市禰宜148に所在し、東側は熊野古道に面している。

徳川時代、和佐組大庄屋としてふさわしい屋敷構えを残している

南北約57m、東西約40mで、敷地面積約2200㎡、外周は土塀で囲まれ東側と南側は堀のような水路が巡っている。

嘉永5(1852)年建築の錣建て、本瓦ぶき、入母屋造りの主屋は、3階の望山楼、20畳敷きの大広間や広い接客空間などが特徴で、紀ノ川流域随一の大規模民家で、国の重要文化財にも指定されている。

望山楼からは、東に、高積山が眼前に、西には、和佐の田園、また、和歌山城や淡路島が遠望できる。 

苗字帯刀を許され武士並みの格式を有する中筋家は、天正13(1585)年、豊臣秀吉の根来攻めの兵火をさけるためこの地に住居した文貞坊に始まると伝えられている。
4代目良政が貞享4(1687)年に禰宜村の庄屋となり、5代目良重が寛延3(1750)年和佐組の大庄屋となり、明治に至るまで6代にわたり大庄屋を勤める。
旧中筋家は、戦後「楫本重一(かじもと しげかず)」氏の所有となり維持管理がされてきましたが、その後和歌山市が管理団体となって平成12(2000)年から約10年間にわたって平成22年2月まで保存修理が行われました。平成22年8月から一般公開されています

昭和49年(1974)に、主屋・表門・長屋蔵・北蔵・内蔵・御成門の六棟が、国の重要文化財に指定されました。

現存する主屋は、今から約150年前、嘉永5年(1852)建築で、三階の望山楼などが特徴的です。主屋北側の二十畳敷きの大広間は、紀州藩からの使者や来客をもてなす部屋として使われました。主屋を建てたのは中筋家8代目の良秘(よしやす 1781-1857)で、彼は紀州藩のお抱え絵師・野際白雪(のぎわはくせつ 1773-1849)に絵を学び、芸術・文化に造詣の深い人でした。


駐車場から旧中筋家住宅へ行く道はいわゆる熊野古道です。


道にはウキツリボク〔浮釣木〕が咲いていました。
赤色の大きなガクの下から黄色い花びらを出して花咲く姿が風鈴の様に見える。



土間のカマド




表からは2階建てのように見えるが一部3階建てです。
3階は年2回のみ(春分の日と秋分の日)公開です 眺めはいいようです。


お庭 亀と鶴を意識した意匠になってるようです。亀はすぐに分かるけれど・・・


大広間 
掛け軸は 紀州藩お抱え絵師 野際白雪の松図(今掛かっているのは複製)
違い棚の絵4面は富嶽図 野際白雪(複製)



運良く私たち2組の夫婦に付きっきりで説明してくれました。和歌山市の非常勤職員と言っておられました。
紹介出来ないほど、たくさんのことを教えて頂きました。丁寧で親切な説明でした。
天井からぶら下がっているのは 槍立て だそうです。


御成門(おなりもん)
薬医門形式の門 江戸時代後期の建築
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