Web仲間である、MMさんから「ル-ブル美術館のリシュリュー翼のリシュリューは小説三銃士に出てくるルイ13世の宰相のリシュリューと同じですか?」(2000.10.19BBS投稿)という質問があった。
念願のル-ブル美術館へ行けたと喜んでいたところへ、頭をガ-ンと叩かれた思いである。誰もが知っていることのように「ル-ブルはリシュリュ-翼とドノン翼とシュリ-翼とからなっていて....」と書いていたが、何に由来するのかまったく疑問にも思わなかった。
それ以来、英語通で博識のモイチさんの手助けを得ながら、Webの検索、美術書のチェックを開始した。みんな書いているが由来には触れていない。調査の結果、シュリ-以外はほぼ確定。シュリ-が確定しない。明記してあるところがない。とうとう本家のル-ブル美術館に確認メ-ルを送った。さすがフランス語は手が出ないので、英語で照会。数日後に届いたメ-ルで最終確認。MMさん、モイチさんに感謝すると共に、日本からのメ-ルに回答頂いたル-ブル美術館の関係者(Estelle Nadau Service de la communication)に深く感謝したい。
下記の青字はル-ブル美術館からの返信メ-ルから
リシュリュ-翼の由来
Richelieu, Armand-Jean du Plessis, cardinal et duc de の功績を讃えて名付けられた。

リシュリュ-は三銃士に出てくる有能な枢機卿です。
1620年、ルイ13世とその臣、リシュリューは、ルーブルを4倍に拡張することにしました。すなわち、北館(ゴシック)を廃止し、あらたにカレ宮を建てることにした。また、ルーブルにロイヤル・プリント館も立ち上げた。
ドノン翼の由来
Denon, Dominique Vivant, Baron の功績を讃えて名付けられた。

ドノンはルーブル美術館の初代館長で、偉大な蒐集家であるとともに彫刻家でもありました。彼は美術館の組織を作り上げ、かつ、コレクションの充実に貢献した。
ドミニック・ヴィヴァン・ドノン(1747-1825)は、アンシャン・レジーム(フランス革命以前の政治体制)から帝政時代にかけて、フランスの美術界で重要な役割を果たした。フランス社会を根底から覆した革命という激動の時代のなかで、版画家、作家、外交官、コレクターなど様々な分野で活躍。 特に、ナポレオンのエジプト遠征への随行にはじまり、ナポレオン帝政の支配下の国々における系統立てた美術品の目録作りから、主要な作品の接収を行いフランスに持ち帰る。(その後1815年の王政復古以降、これら作品の大半はそれぞれ本国に返却された)またナポレオン美術館(現在のル-ヴル美術館)の館長として、美術作品による市民の啓蒙的役割を重視し、初めて作品 を派(国)別、年代別に展示する方針を実行した。
シュリ-翼の由来
Sully, Maximilien de Bethune, Duke (duc) de の功績を讃えて名付けられた。

シューリーはヘンリー4世のアドバイザーでした。ヘンリー4世は1594年、宗教戦争の後、ルーブルのリノベーションを決定しました。 そのときヘンリー4世はルーブル宮とチュイリュ-宮とを合体し、これまでの4倍の大きさに拡張することにしたのです
12年12月1日
念願のル-ブル美術館へ行けたと喜んでいたところへ、頭をガ-ンと叩かれた思いである。誰もが知っていることのように「ル-ブルはリシュリュ-翼とドノン翼とシュリ-翼とからなっていて....」と書いていたが、何に由来するのかまったく疑問にも思わなかった。
それ以来、英語通で博識のモイチさんの手助けを得ながら、Webの検索、美術書のチェックを開始した。みんな書いているが由来には触れていない。調査の結果、シュリ-以外はほぼ確定。シュリ-が確定しない。明記してあるところがない。とうとう本家のル-ブル美術館に確認メ-ルを送った。さすがフランス語は手が出ないので、英語で照会。数日後に届いたメ-ルで最終確認。MMさん、モイチさんに感謝すると共に、日本からのメ-ルに回答頂いたル-ブル美術館の関係者(Estelle Nadau Service de la communication)に深く感謝したい。
下記の青字はル-ブル美術館からの返信メ-ルから
リシュリュ-翼の由来
Richelieu, Armand-Jean du Plessis, cardinal et duc de の功績を讃えて名付けられた。

リシュリュ-は三銃士に出てくる有能な枢機卿です。
1620年、ルイ13世とその臣、リシュリューは、ルーブルを4倍に拡張することにしました。すなわち、北館(ゴシック)を廃止し、あらたにカレ宮を建てることにした。また、ルーブルにロイヤル・プリント館も立ち上げた。
ドノン翼の由来
Denon, Dominique Vivant, Baron の功績を讃えて名付けられた。

ドノンはルーブル美術館の初代館長で、偉大な蒐集家であるとともに彫刻家でもありました。彼は美術館の組織を作り上げ、かつ、コレクションの充実に貢献した。
ドミニック・ヴィヴァン・ドノン(1747-1825)は、アンシャン・レジーム(フランス革命以前の政治体制)から帝政時代にかけて、フランスの美術界で重要な役割を果たした。フランス社会を根底から覆した革命という激動の時代のなかで、版画家、作家、外交官、コレクターなど様々な分野で活躍。 特に、ナポレオンのエジプト遠征への随行にはじまり、ナポレオン帝政の支配下の国々における系統立てた美術品の目録作りから、主要な作品の接収を行いフランスに持ち帰る。(その後1815年の王政復古以降、これら作品の大半はそれぞれ本国に返却された)またナポレオン美術館(現在のル-ヴル美術館)の館長として、美術作品による市民の啓蒙的役割を重視し、初めて作品 を派(国)別、年代別に展示する方針を実行した。
シュリ-翼の由来
Sully, Maximilien de Bethune, Duke (duc) de の功績を讃えて名付けられた。

シューリーはヘンリー4世のアドバイザーでした。ヘンリー4世は1594年、宗教戦争の後、ルーブルのリノベーションを決定しました。 そのときヘンリー4世はルーブル宮とチュイリュ-宮とを合体し、これまでの4倍の大きさに拡張することにしたのです
12年12月1日
