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吉祥寺  天王寺

2013-04-04 | 街角の話し
忠臣蔵は12月の話題と思っていたが、天王寺夕陽丘の地下鉄の駅を降りると
忠臣蔵のだんだら袖の模様と桜がよく似合うお寺がある。


吉祥寺(きっしょうじ)は、大阪府大阪市天王寺区にある曹洞宗の寺院。山号は万松山。本尊は釈迦如来。

赤穂藩藩主浅野家の祈願所であり、赤穂浪士四十七士の墓と石像がある。毎年12月14日に「義士祭」が行われる。
寺は寛永7年(1630年)に創建され、正徳元年(1711年)に再建された。

元文4年(1739年)には江戸の泉岳寺にさきがけて赤穂義士の墓が建立された。義士討入り当時の住職は赤穂の出身で、浅野長矩とも親交があったという。

寺は大正5年(1916年)、失火により全焼。大正14年(1925年)に再建されるが、昭和20年(1945年)、空襲により壊滅的被害を受け、赤穂浪士の墓を残して全焼した。

参拝は2度目です。一度目は天王寺七坂の時に。




 義士討ち入りの翌年2月、大石内蔵助をはじめとする46士は切腹したが、足軽の寺坂吉右衛門が46士の遺髪、遺爪、鎖かたびら等に銀10両を添えて義士の冥福を祈る碑を建ててくれるよう吉祥寺に依頼した。浅野本家広島藩の意向もあり、江戸や赤穂よりも先がけ、1739年(元文4年)建立されたという。

 しかし、1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲で堂宇をはじめ長矩候揮毫の扁額や義士の遺品など全て灰燼に帰し、残るのは墓石のみであった。



墓の中央の五輪塔は浅野内匠頭長矩候の墓。 その右隣に大石内蔵助の墓、左側が大石主税の墓がある。更にその周囲を44士の戎名と行年を刻んだ玉垣が取り囲んでいる。


大石良雄の像



境内にある赤穂47士の討ち入り姿の群像は、
2002年(平成14年)12月、義士討ち入り300年を記念して建立された。

そして この寺の最大の功労者 足軽の寺坂吉右衛門を探しました。


映画 最後の忠臣蔵では、赤穂浪士の生き残り・寺坂吉右衛門は大石内蔵助から「事件の真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよ」との命を受け、ようやく最後の遺族を探し出したことで浪士の十七回忌法要が行なわれる京へと向かう。演じたのは佐藤浩市だった。

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