平成28年9月17日(土)~ 11月6日(日)
大河ドラマ「真田丸」はテレビで毎週見てます。ブログも3回更新してます
①真田丸 2016.1.9
②真田丸 その22016.1.14
③真田丸 その3 三光神社、心眼寺2016.2.3
2016年NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公・真田信繁(のぶしげ)(幸村)は動乱の戦国時代のなか、めまぐるしく主君を変える真田家にあって、父の昌幸(まさゆき)・兄の信幸(のぶゆき)(信之)のもとで成長していきます。その後、慶長5年(1600)関ヶ原合戦では西軍の石田三成に味方し、上田城(長野県)で東軍の徳川秀忠軍の足止めに成功しましたが、結局西軍は敗退。昌幸・信繁父子は高野山・九度山(和歌山県)に幽閉の身となります。
しかし、信繁に転機が訪れます。豊臣家と徳川家の最終決戦「大坂の陣」が起こると、信繁は大坂城に入城。慶長19年(1614)の大坂冬の陣では、大坂城の東南に真田丸と呼ばれる出城を作って徳川方を迎え撃ち、翌年の夏の陣では、寡兵ながらも果敢に徳川方を攻め、その奮戦ぶりは家康に死を覚悟させるほどだったと後世に伝えられています。
この展覧会では、大河ドラマと連動し、国宝6点、重要文化財5点および新発見資料・展示初公開品、さらには大阪会場限定公開品を含む信繁ゆかりの品や歴史資料などの紹介を通じて、信繁の人間像と彼が生きた時代を浮き彫りにしていきます。

イメージ的には赤い甲が似合いますね(笑) 会場にもありました
朱漆塗燻韋威縫延腰取二枚胴具足
(しゅうるしぬりふすべがわおどしぬいのべこしとりにまいどうぐそく)
滋賀県指定文化財 井伊直孝所用 彦根城博物館

真田信繁書状 左京宛 和歌山県指定文化財
高野山 蓮華定院蔵
関ヶ原合戦のあと、紀州の九度山で蟄居生活を送る信繁が、左京という人物に宛てた自筆の書状。「この壺に焼酎を詰めてもらいたい。壺の口はよく締め、その上に紙をはっておいてください。知らせがあれば取りに行かせます。」と書いてあり、蟄居中の信繁の倹しい生活がうかがえる貴重な手紙である。

大坂真田丸加賀衆挿ル様子
【大阪会場限定展示品】永青文庫蔵
大坂城最外郭の防御線惣構の南外側に張り出すようにU字状の真田丸を描く。真田丸内には「真田左衛門」(信繁)ほか真田隊の武将の名と、真田氏当主の居場所を示す黒四方の旗が描かれる。図の下方には冬の陣で真田丸攻めの中心となった前田利常隊の武将の名前が記されている。冬の陣直後の現地調査での知見が反映され、現在痕跡を残していない真田丸の実態を知るうえで数少ない貴重な図。

大阪歴史博物館
土佐堀の国立国際美術館、天王寺のあべのハルカス 等を設計したシーザー・ペリの設計
少し物足りなさを感じた展覧会でした
大河ドラマ「真田丸」はテレビで毎週見てます。ブログも3回更新してます
①真田丸 2016.1.9
②真田丸 その22016.1.14
③真田丸 その3 三光神社、心眼寺2016.2.3
2016年NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公・真田信繁(のぶしげ)(幸村)は動乱の戦国時代のなか、めまぐるしく主君を変える真田家にあって、父の昌幸(まさゆき)・兄の信幸(のぶゆき)(信之)のもとで成長していきます。その後、慶長5年(1600)関ヶ原合戦では西軍の石田三成に味方し、上田城(長野県)で東軍の徳川秀忠軍の足止めに成功しましたが、結局西軍は敗退。昌幸・信繁父子は高野山・九度山(和歌山県)に幽閉の身となります。
しかし、信繁に転機が訪れます。豊臣家と徳川家の最終決戦「大坂の陣」が起こると、信繁は大坂城に入城。慶長19年(1614)の大坂冬の陣では、大坂城の東南に真田丸と呼ばれる出城を作って徳川方を迎え撃ち、翌年の夏の陣では、寡兵ながらも果敢に徳川方を攻め、その奮戦ぶりは家康に死を覚悟させるほどだったと後世に伝えられています。
この展覧会では、大河ドラマと連動し、国宝6点、重要文化財5点および新発見資料・展示初公開品、さらには大阪会場限定公開品を含む信繁ゆかりの品や歴史資料などの紹介を通じて、信繁の人間像と彼が生きた時代を浮き彫りにしていきます。

イメージ的には赤い甲が似合いますね(笑) 会場にもありました
朱漆塗燻韋威縫延腰取二枚胴具足
(しゅうるしぬりふすべがわおどしぬいのべこしとりにまいどうぐそく)
滋賀県指定文化財 井伊直孝所用 彦根城博物館

真田信繁書状 左京宛 和歌山県指定文化財
高野山 蓮華定院蔵
関ヶ原合戦のあと、紀州の九度山で蟄居生活を送る信繁が、左京という人物に宛てた自筆の書状。「この壺に焼酎を詰めてもらいたい。壺の口はよく締め、その上に紙をはっておいてください。知らせがあれば取りに行かせます。」と書いてあり、蟄居中の信繁の倹しい生活がうかがえる貴重な手紙である。

大坂真田丸加賀衆挿ル様子
【大阪会場限定展示品】永青文庫蔵
大坂城最外郭の防御線惣構の南外側に張り出すようにU字状の真田丸を描く。真田丸内には「真田左衛門」(信繁)ほか真田隊の武将の名と、真田氏当主の居場所を示す黒四方の旗が描かれる。図の下方には冬の陣で真田丸攻めの中心となった前田利常隊の武将の名前が記されている。冬の陣直後の現地調査での知見が反映され、現在痕跡を残していない真田丸の実態を知るうえで数少ない貴重な図。

大阪歴史博物館
土佐堀の国立国際美術館、天王寺のあべのハルカス 等を設計したシーザー・ペリの設計
少し物足りなさを感じた展覧会でした

やっぱり行かれてましたね。
古文書が多いのでいまひとつ親近感がなかったです。
幸村の資料自体はあまり残っていないんでしょうね。
それなりに色々集められてましたけれどね。
素人的な感動が少なかったのですね。