Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

教育

2017年04月18日 | Weblog
道徳教育に屡々違和感を私が感じるのは、
作品を読ませた上で、
「このように感じさせてやろう。
 気づかせてやろう。」と、
意図されているところである。

子供はそれぞれの言語力と感性で、
様々なことを感じ取っていく。

何を手にしていくかは、
教える側の知るところではない。

先生が意図的に誘導すれば、
子供は先生の意図を忖度して答えを考える。

そうならないために、
私たちができることは、
共に学ぶ姿勢を貫くことだけだ。

教師が、
自分が教えるに値する考えや感じ方を持っていると
思った瞬間に、
上からの目線になり、
共に学ぶ心は失われる。

自分が伝えたいことは、
真っ直ぐに伝えるだけだ。
それが正しいかどうかはわからない。

感じ取って欲しいことは、
それぞれに委ねるだけだ。

ただ、
自分の感じ取ったことは伝えられる。
自分も一人の学ぶ存在として、
学びの場に一票を投じていく。
それだけだ。

子どもたちが、
自分以上の気づきを得ていることに、

素直に、驚き・感激し・喜ぶことのできる
そんな人格であるかどうかが、
最も大切なことのように思えてならない。




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