久しぶりに、
広島平和記念資料館へ行ってきました。
小学校六年生の時の修学旅行以来です。
平和教育は、如何にあるべきなのか。
その可能性を探しに行った旅でもあります。
平和教育や人権教育から感じられる
何とも言いようのない嘘くささを、
子供心に感じていて、
できるだけ関わりたくないと
ずっと思っていました。
でも、
嘘くさくない、
本当に平和の実現に繋がる教育、
本当に人権を尊重する教育とは何かを
自分なりに改めて探究してみたくなりました。
平和を勝ち取るための闘争と言った瞬間に、
それはもう平和的ではないという
矛盾や欺瞞を抱えてしまう。
平和のための武力が大切だという方が、
よほど信頼ができます。
しかし、
それもまた矛盾であることに
違いはありません。
この矛盾には、
人間の根源的問題が潜んでいるのだと、
つくづく思います。
そこに向き合ってみようと思います。
広島平和記念資料館へ行ってきました。
小学校六年生の時の修学旅行以来です。
平和教育は、如何にあるべきなのか。
その可能性を探しに行った旅でもあります。
平和教育や人権教育から感じられる
何とも言いようのない嘘くささを、
子供心に感じていて、
できるだけ関わりたくないと
ずっと思っていました。
でも、
嘘くさくない、
本当に平和の実現に繋がる教育、
本当に人権を尊重する教育とは何かを
自分なりに改めて探究してみたくなりました。
平和を勝ち取るための闘争と言った瞬間に、
それはもう平和的ではないという
矛盾や欺瞞を抱えてしまう。
平和のための武力が大切だという方が、
よほど信頼ができます。
しかし、
それもまた矛盾であることに
違いはありません。
この矛盾には、
人間の根源的問題が潜んでいるのだと、
つくづく思います。
そこに向き合ってみようと思います。