おかんのネタ帳

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大津京をゆく

2012-08-14 22:39:40 | 湖国日記
今朝、雨がすごかったみたい。
まったく知らずに爆睡してた。

なんせ、めったにない、ダンナも娘も休みという今日なんで、
ゆっくり朝寝が出来る日やったんですね。

いつもなら、5時に起きて6時前のJRで出勤するダンナなんで、
もし、出勤してたら、どこかで足止めになって、
職場にいつ着くかわからんかったかもやん。
新幹線も、京都~大阪間は止まってたし、名神高速も通行止めやった。

京滋バイパスが通ってる宇治のあたりと、大津の外畑地区で、
浸水や土砂崩れなどの被害があったみたいで心配です。
どうぞ、ご無事で・・・



一昨日、滋賀里から見た琵琶湖です。

志賀の大仏からUターンして、西大津バイパスのあたりで南の方に降りて行きます。
道しるべとなる表示板があるので、比較的迷わず、目的地である、
「南滋賀町廃寺跡」にたどり着きました。



大津京に関連する大きな寺院があったらしく、礎石の一部が遺っています。
ここは公園になっているので、この日、ご近所の方たちと思われる人たちが、
大勢で、なんと、バーベーキューを楽しんではりました~~

汗まみれのオバチャンが水をさしてもあかんので、
というか、恥ずかしいので、説明板を確認して、スルー・・・

標識にしかがって南下していくと、近江神宮があります。



この日は寄らなかったけど、ここには、天智天皇が作らせたという時計「漏刻」があり、
時計博物館 (平成22年に、時計館宝物館として新装された) とかもありますね~

京阪電車の近江神宮駅を左手に見て南に進むと、
住宅街の中に広々とした空き地が見えました。



「近江大津宮錦織遺跡」です。
ここでは、掘立柱建造物跡などが発掘され、
大津京の中心となる大津宮の内裏と南門があった場所のようです。

667年に、中大兄皇子は飛鳥から都を大津に移します。
ここで即位して天智天皇になり、日本最初の戸籍である庚午年籍を作り、
法律である近江令を制定するなど、画期的な事業を行っています。

しかし、672年、天智天皇の死後、弟の大海人皇子と、
息子の大友皇子が皇位継承を争って壬申の乱が起こり、
大海人皇子が勝利して、また都が飛鳥に戻されます。

大津京は、わずが5年で姿を消してしまうんですね~

そこから山手の方に上がり、皇子山古墳を右手にみて皇子が丘公園へ。
皇子が丘公園内を南下すると左手にテニスコートが見えてきます。
テニスコートの右手に看護学校の門が見え、
その続きに、おごそかな「法明院」の石碑が見えてきます。




この奥に、法明院があり、そこに、あのフェノロサのお墓があるんやね~
フェノロサは、明治11年に来日、教鞭をとるかたわら、日本の古美術を研究、
海外に紹介し、日本の美術行政、文化財保護行政に深く関わったと言われる人。
仏教に帰依してこの法明院で改宗したとか。
ロンドンを旅行中に死去、遺言でここに埋葬されたらしい。



フェノロサのお墓。
法明院の奥にある墓地に埋葬されています。
琵琶湖を望むここからの景色が好きやったから、って聞いたようなきがするけど、
墓所からは、まったく見えないですわ。



静寂な雰囲気のところでしょ。

法明院から出て、皇子が丘公園のテニスコートの横の階段を下りて、
細い坂道を降りていきます。
前方には、琵琶湖が見えますね。

標識に従って右手に入ると、弘文天皇陵があります。
壬申の乱で破れた、大友皇子ですね。



もし、勝ってたら、大津はどうなってたやろ~
大津が歴史の中心になってたかもやで。

さて、大津市役所の前を通って、大津市歴史博物館へ。
もう5時になろうとしてたので、寄らずに帰路に。

ちなみに、今回のコースは、「滋賀を歩こう」 の、
「大津京の道 いにしえの都を歩く」の地図に従って歩いてみました。

案内板や、「自然の道 歴史の道」の標識が各所にあって、
ほぼ、迷うことなく歩けますね。

紅葉の秋、ぜひ、歩いてみてくださいね~

さて、明日は終戦記念日。

原稿三昧、かな・・・



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