日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

黙想の家

2017-06-16 09:08:44 | 日記
「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。」 ヘブル11:8



昨日は梅雨の晴れ間ですが、結構暑い日でした。女性会だけですが、黙想の家といって、宇治市の山手にある、カトリックの修道院へ連れてもらいました。車で直ぐですが、大きな敷地に木立が美しい所に、女子修道院と隣は男子修道院です。20数年前に1度来た経験がありますが、緑の中の木立が美しかっただけを覚えていて、何だったか?





カトリックらしく十字架像や壁画があり、広くて緑が多いのがいいですね。2階の広間で黙想の時を持ちました。
日頃の雑念や悩みを横へ置いておいて、自分の心を空っぽにして、イエスだけを見ます。10分間の間ですがその境地になれて、静かな中で主と向き合う喜びを感じました。窓からの初夏の風が涼しいです。





1階に聖堂がありますが、2階には日本的な小聖堂がありました。これも凄く素敵です。

昼食は全く皆と話さず、唯ひたすら食事します。こういう経験は珍しいですね。静かに食べ、後かたずけをします。カトリックの修道院てなんだろう。また教会とどう違うのか?なんて思ってましたが、教会はプロテスタントと同じで、礼拝、そして牧会でしょう。修道院は献身者が神学を学び、献身に相応しい事を学ぶのでしょう。住み込んでられると思いますが、普通の人が宿泊もさせて下さるらしいです。静まる所ですから沈黙は必要のようですが、良き経験と思います。



上の言葉
 信仰に生きるのは「石橋を叩いて渡る」生活ではなく、神様を知らない人から見ると無謀な冒険的な生き方に見えるでしょう。予算を組み、スケジュールを立て、根回しも終り、何もかも確かだとなって始めるのではありません。「行き先を知らない」で、ただ神様の約束を信じて踏み出すとき、道なきところに道が備えられ神様の祝福を受けるのです。(KE)





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