日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

野の花

2016-10-19 07:57:39 | 日記
イエスは言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネの福音書14章6節)



先日の宇治田原の秋桜の近くに野の花が沢山さいていました。つつましくひっそりと咲き、可憐で我々をそっと慰めてくれる花です。



昨日は京都レデイースランチョンでりーがロイヤルホテルへ行きました。ハードな旅の疲れも大まか取れ、約束してますから行けて本当に恵まれました。美しいプロの歌手の歌声の後、三浦綾子文学館長、森下辰衛先生のメッセージでした。私は今でこそ目の病の為に読んでないですが、三浦文学に慣れ親しんだものです。綾子先生の信仰のすばらしさは充分解り尊敬してましたが、より詳しく解らせて頂きました。

綾子先生は小学校教師でしたが終戦と同時に、生徒に教科書を墨で塗りつぶすように、指導命令がありそれをさせて、私は何のために教えていたのか?と大きな衝撃を受け教師を辞めました。その後結核を患い療養所に入っていても心はすさみ、酒たばこの生活。結核は当時は死の病でした。前川という青年の訪問があり、彼はクリスチャンで「キリスト教なんてなんの役にもたたないでしょ。帰って下さい。」と暴言を吐く始末。前川さんは綾子さんの心のすさみを感じその後1600通の手紙を出す。

その内に綾子さんの心も開き信仰に入る。二人は恋人になりますが、綾子さんは前川さんが恋愛でなく人間を心底愛してられるのを感じる。彼の結核がかなり重く遺言で骨の肋骨6本を綾子さんに渡すように書き、6か月召されました。落胆、嘆きで苦しんでましたが、1年後夫になる、三浦光世さんが訪ねて来られ、目を疑る。彼は前川さんとそっくりのクリスチャン青年でした。やがて頻繁の交流があり、結婚の申し込み。綾子さんは当時カリエスまで煩い、いつ死がやってくるか解らない。でも三浦さんは待つと。綾子さんは嬉しさで、超難病のカリエスも癒される。14年の闘病でした。

やがて結婚し二人三脚で氷点がベストセラーになり次々と名作が。それは愛と信仰の文学でした。その間、癌やその他病気の蔵みたいな状態でも人の悩みを聞いたり、名作を生む。
何故綾子先生はこの世でも珍しいめったにいない男性に巡りあったのか?それは戦後の傷心と病気による苦難で、本物は何か?を解ってられたのです。愛は好きではない。愛は自分を犠牲にしても人を生かす事です。難しいですがその大切さを粒さに語って下さいました。  後は美味しい食事で心に響くメッセージと楽しいお交わりでホテルを後にしました。





水草も可愛いですね。





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