U魂(ウコン)

◆『U.W.F』最強伝説を追い求める
36歳 おやじブログ

【第2闘議】 皇帝 ヒョードル ①

2004-09-22 | コラム 闘議
はじめて彼の試合を観たのは、友達が
WOWWOWで録画したビデオテープ
RINGSのKOK2000のトーナメント
Bブロック1回戦(対アローナ)だった。
『先生(ヴォルク・ハンの事w)が
物凄いヤツを連れてきたぞ!』と衝撃の
1R 0'12" KOデビュー戦を先に観ていた
友人からの振れ込み。第一印象は…正直、
どう観ても対戦相手のアローナの方が優勢で
『ん~~そんなに強いかぁ?』と思いました。
ただ、試合結果は判定3-0でヒョードル!! 何だかなぁ~。
その後の2回戦で今日に至るまでにヒョードルに
とって唯一の黒星、TKこと高坂剛にドクター
ストップによるTKOでアッサリ負けてしまう。
ところが翌年の2001に彼は、
本来のポテンシャルを存分に発揮する。
RINGSワールドタイトルのヘビー級と
アブソリュート級(無差別級)を制して
2冠王者となる。実際、微妙な判定もあって
この時点でもまだ彼の強さを実感する事は
僕、個人的になかった。

そして、ノゲイラに続いてヒョードルも
PRIDEへ参戦する。
この時、RINGSへの思い入れから、
ヴォルク・ハン率いる『RINGSロシア』が
創設者 前田日明の前から去ることはないと
思っていた。ところが、実際はギャラや
興行権などの問題で彼らは”RINGS”の
かんばんを捨て、RTT(ロシアントップチーム)
として、新たに動き出した。プロと名の付く限り、
それを生業としているからには、食えてナンボの
世界である。理想や理念は二の次である。
当時、リングス王者であったヒョードルが
PRIDEへ参戦する事は、僕にとって非常に
意味深かった。それは、ある程度の予測はしていた
”RINGS”の終焉を確実に早めることだったから。
当時の僕はヒョードルに対し勝手ではあるが、相応の
見合う結果を残してくれないと納得できないという、
まるで責任転嫁にも似た心情であった。


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