はじめて彼の試合を観たのは、友達が
WOWWOWで録画したビデオテープ
RINGSのKOK2000のトーナメント
Bブロック1回戦(対アローナ)だった。
『先生(ヴォルク・ハンの事w)が
物凄いヤツを連れてきたぞ!』と衝撃の
1R 0'12" KOデビュー戦を先に観ていた
友人からの振れ込み。第一印象は…正直、
どう観ても対戦相手のアローナの方が優勢で
『ん~~そんなに強いかぁ?』と思いました。
ただ、試合結果は判定3-0でヒョードル!! 何だかなぁ~。
その後の2回戦で今日に至るまでにヒョードルに
とって唯一の黒星、TKこと高坂剛にドクター
ストップによるTKOでアッサリ負けてしまう。
ところが翌年の2001に彼は、
本来のポテンシャルを存分に発揮する。
RINGSワールドタイトルのヘビー級と
アブソリュート級(無差別級)を制して
2冠王者となる。実際、微妙な判定もあって
この時点でもまだ彼の強さを実感する事は
僕、個人的になかった。
そして、ノゲイラに続いてヒョードルも
PRIDEへ参戦する。
この時、RINGSへの思い入れから、
ヴォルク・ハン率いる『RINGSロシア』が
創設者 前田日明の前から去ることはないと
思っていた。ところが、実際はギャラや
興行権などの問題で彼らは”RINGS”の
かんばんを捨て、RTT(ロシアントップチーム)
として、新たに動き出した。プロと名の付く限り、
それを生業としているからには、食えてナンボの
世界である。理想や理念は二の次である。
当時、リングス王者であったヒョードルが
PRIDEへ参戦する事は、僕にとって非常に
意味深かった。それは、ある程度の予測はしていた
”RINGS”の終焉を確実に早めることだったから。
当時の僕はヒョードルに対し勝手ではあるが、相応の
見合う結果を残してくれないと納得できないという、
まるで責任転嫁にも似た心情であった。
WOWWOWで録画したビデオテープ
RINGSのKOK2000のトーナメント
Bブロック1回戦(対アローナ)だった。
『先生(ヴォルク・ハンの事w)が
物凄いヤツを連れてきたぞ!』と衝撃の
1R 0'12" KOデビュー戦を先に観ていた
友人からの振れ込み。第一印象は…正直、
どう観ても対戦相手のアローナの方が優勢で
『ん~~そんなに強いかぁ?』と思いました。
ただ、試合結果は判定3-0でヒョードル!! 何だかなぁ~。
その後の2回戦で今日に至るまでにヒョードルに
とって唯一の黒星、TKこと高坂剛にドクター
ストップによるTKOでアッサリ負けてしまう。
ところが翌年の2001に彼は、
本来のポテンシャルを存分に発揮する。
RINGSワールドタイトルのヘビー級と
アブソリュート級(無差別級)を制して
2冠王者となる。実際、微妙な判定もあって
この時点でもまだ彼の強さを実感する事は
僕、個人的になかった。
そして、ノゲイラに続いてヒョードルも
PRIDEへ参戦する。
この時、RINGSへの思い入れから、
ヴォルク・ハン率いる『RINGSロシア』が
創設者 前田日明の前から去ることはないと
思っていた。ところが、実際はギャラや
興行権などの問題で彼らは”RINGS”の
かんばんを捨て、RTT(ロシアントップチーム)
として、新たに動き出した。プロと名の付く限り、
それを生業としているからには、食えてナンボの
世界である。理想や理念は二の次である。
当時、リングス王者であったヒョードルが
PRIDEへ参戦する事は、僕にとって非常に
意味深かった。それは、ある程度の予測はしていた
”RINGS”の終焉を確実に早めることだったから。
当時の僕はヒョードルに対し勝手ではあるが、相応の
見合う結果を残してくれないと納得できないという、
まるで責任転嫁にも似た心情であった。