孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

人のために生きて何が面白いの?自分のためでしょう!

2017年08月09日 | Weblog
私は幼いころから放任で育てられましたから、自己責任でもって自分のやりたいようにやってきました。
…何度も書いていますから詳細は省略します…
そのお陰で自力と自信を持つことになり現在があります。

ちなみに…育てくれた親のために…なんて未だに思ってもいませんから、先祖となれば尚更ですし、それが国家社会や人様のためとなると…不甲斐ない不出来な私だけに考えも及びません。

その親は家業の米屋を営んでいましたから、中高校生の頃に父親に頼まれてヤミ米の買い出しのお手伝いをすることもありましたが、自分にできることを親から頼まれるのですから・その自信ありげに面白がってやっていましたからイヤイヤながらにしたことはありません。
然るに…父親から頼まれたことをしっかりやって見せるだけでしたから・私にやれることを見せている・私のためにしていることであり…父親のためにやっているという思いはありませんでした。

また父親は先祖供養に無関心でしたから母親に連れ出されてお墓参りをすることもありましたが、父親似なのか私も違和感が強くて馴染めませんでした。
そして父親の死も母親の死も悲しく思えませんで平然としていましたし、その葬儀儀式さえ違和感が出ていましたから、それ以後の法要や偶像となるお墓と仏壇には無縁となりました。
然るに不確かな信じるか否かの死後の世界の先祖や両親のことよりも…今を生きている私のほうが精一杯なのです。

ちなみに私が放任で育っただけに我が子も同じように放任にしていましたが…妻のほうは未だにお節介しています。

またその妻や子らが喜ぶさまを見てそれが私の喜びとなっていましたから…妻のため子のためにやっているなんて思ったことはありませんで…自分のためにやっていることなのです。

だから自分のためにしていることで人様が喜んでくれればそれはオマケなのです。

また人様から頼られるのが嬉しいからその努力もするのです。
だから牛舎のパートも私が頼られ喜んでくれるからずーっと続いているのです。
ちなみに最近のドクダミ茶を配るのも喜んでくれるから嬉しくて続けているのです。

然るに…自分のためにしていることだからずーっと続けられるのです。

だから無理やり犠牲になることなら私は逃げます。

そしてその方が精神の安定にもなるのです。
だから御身を大切に思うならば…嫌なことから逃げるが勝ちなのです。

然るに面倒くさいことはしません、しかしやる気になれば出来るところまで難なくやり、そのやる気が失せれば途中でもやめます。
だから自由勝手気ままで余裕の時間もありますから…憂鬱になったりイライラすることにもなりません。

ところが人様が関わるとなると自由にはなりません。
然るに束縛制限され時には否定反発されることにもなります。

だから思うようにはいかないのです。
そして心が傷ついたり心身が疲れたりするのです。

だったらそれより先んじて逃げればいいのです。
ところがそれを邪魔しているのが己の欲と見栄なのです。

然るに自らの墓穴を掘ることになるのです。
人様の性ではありません、己の精神意識に問題があるのです。

ちなみに…結果に関係なく・人様に関係なく…御身を大切に思い…自分の思いのままに生きていければ精神安定にして天国にも思えるのです。
然るに生きている価値が味わえるのです。

だから頑張り欲張り見栄張り無理しないで…当たり前の普通に生きて…心穏やかな精神安定でもって・呑気気楽に生きていけばいいのです。

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