孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

自分の首を自分で締めている無知な人

2008年05月15日 | Weblog
人間は意識を表現して生きている意識体です。
日々の生活を表現しているのは意識が働いた結果です。
意識が原因で生活が結果の関係にあり、原因と結果は離れていません。
だから、私が生まれてきたのも私にその意識があったからです。すなわち両親の赤ちゃんとして誕生する以前から私本来の意識が働いていたのです。その意識が原因で両親の元に赤ちゃんとして誕生する結果になったのです。すなわち、私の意識が両親を選んだ結果になるのです。結果的に親を選んだのは私自身だったのです。
同じように、今の私の境遇・環境、居場所・生き様は私の意識が原因で現れた結果なのです。
すなわち自分の「思い通り」に生きてきた結果が「今」の私なのです。
生まれる以前から自分の思い通りに生きて来たのに、自分の思い通りに生きられないと不平不満に思うのは筋違いであり、それを更に他の性に責任転換すれば大間違いのお馬鹿さん(無知な人)になるのです。
その不平不満を持つお馬鹿さんになる原因が「良い悪い」で分離判断評価した結果です。自分で自分をお馬鹿さんに仕立て上げているのです。すなわち、自分で自分の首を締めている人になります。すなわち原因と結果は離れていないのです。

すべて自分の思い通りに生きているのに不平不満を持つのは自分の意識、自分に責任があるのです。 そして勘違いしやすいことにあるのが、外側の他から不本意に邪魔をされたと思えることがあっても、それも自分の意識が下した外観の良し悪し、好き嫌い、優劣・損得勘定した意識が鏡となって映し出された結果であって、自分の意識が招いたもので、自己責任を課せられたような結果になっているのです。 
だから、いじめを受けたり、ストーカーや痴漢に遭うのも、花粉症・アレルギー症状も、ノイローゼやうつ病になるのも、必ずどこかで自分の意識が原因にあります。

人間の命は意識なのです。大切なのは意識なのです。結果ではなくて原因が重要なのです。
現れた結果ばかり気にして大元の原因を知ろうとしない人間に人間の真価は見出せません。だから衣食住・財、趣味嗜好娯楽、名誉名声・権威権利に意識が傾くのです。
その結果があらゆる形でこの世に現れているのです。
だから結果・形には必ず原因・意識があります。その原因を知るために結果があるのです。それがこの世です。だからこの世は原因・意識を知る為の仮の姿形なのです。すなわち原因があるからこの地球に人間として生まれてきたのです。だからその原因を知ることです。

結果を求める(理想・目的)為に意識を働かすのでは後先が逆なのです。だから思い通りに行かないと不平不満に思うのです。そして人を責めたり自分を責めたりするのです。
だから自分の思い通りになっていないのなら自分の意識を換えればいいのです。
「そのまま、このまま、あるがまま」の意識になれば、現れた結果の全てが自分の思い通りになったことになりますから、いっさいの不平不満はありません。その不平不満から逃げる手段だった趣味嗜好娯楽・刺激を求めることも無くなり、平々凡々の安心・安定した生活が続きますから何ら問題が起きません。 すなわち問題が起きないことは全ての問題が無くなる事です。 その平々凡々ガがいやで問題が無ければ面白くないやつらが牛耳っているのが今のご時世です。その犠牲者であり加害者にもなっているのが我々個人意識の人間です。 殆どの人は平々凡々より刺激の多い問題側に立ち向かって生きているのです、この世を牛耳る側に協賛協力して生きているのです、それなのにこのご時世に対して不平不満・文句を言うことがあれば、それは自分の出した結果に自分が文句を言っているのと同じですから、自分が自分に文句を言っている鏡現象であり、自分の首を自分で締めていることになります。
それでも自分を正当化・言い訳して、喜怒哀楽の多い、生老病死で悩み苦しみ悲しむ、趣味嗜好娯楽・刺激の多い、問題続出の人生、波乱万丈の人生、艱難辛苦の修行の道を歩むことが正しいと言い張り、自己満足・自己主張・自己顕示しているのです。

良い悪いの無い「あるがまま」の平々凡々の真価を知るのは、先ず自己縮小の実践しかありません。先ずは意識改革です。
結果(境遇・環境・居場所・現状)を先に変えようとするのではなくて、先ずは原因・意識が先です、原因が変われば自ずと結果が変わるのです。

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