わたしのちいさなたからもの

2009年11月公開の劇場アニメ「マイマイ新子と千年の魔法」を追いかけて

 麦、青める日々~すずさんの食卓2~

2014-05-01 21:41:01 | お出かけ

 

好評だった昨年に引き続き、今年は拡大して50名参加の「すずさんの食卓2」に行ってきました。

場所は、昨年と同じ所沢です。

 

《 今回の品書き 》

 

*たんぽぽの根と葉、大根の皮入りの卯の花

*だいこんとかたばみの葉の塩もみ

*いわしの干物の煮物梅干しの種風味

*馬鈴薯とはこべ入りおかゆ

*すぎな入りの甘藷(かんしょ=さつまいも)もち

*スミレの葉の味噌汁

*楠公飯

(更に今年新しく加わった料理)

*蛍飯(ほたるめし)

*興亜パン

*江波巻

 

 今回は、各料理ごと班に分かれて調理します。

   まずは、薪割り。見よ、この雄姿。実に手慣れたもの。

  前の庭では、手分けして野草の下ごしらえ。

 興亜パンの仕込み中。 

 かまど、起動。 

 燠(おき)(=種火)が、こんなに出来た。

  煮干しを煮ています。 

 台所でも、作業。卯の花に混ぜる具を炒めてます。手前の土鍋では、蛍飯を調理中。 

  興亜パン、ふかしています。

 

どーん!!と、実食タイム。

 馬鈴薯(ジャガイモ)とハコベ入りのおかゆ。今回は、ジャガイモ多し。 

 昨年とても好評だった 甘藷もち。焼きバージョンも作りました。

 

興亜パン、出来上がり。 

朝ドラ「ごちそうさん」にも登場、試作した人の体験からも

「人の食べるものじゃない」「家畜小屋みたいな臭い」「喜んで食べるのは、動物だけ」

…などなど、その不味さが話題になっていたメニュウでしたが、

開けてびっくり。

魚の匂いはするものの、そこそこ食べられる味に仕上がっていました。

魚粉をかなり時間かけて砕いたのが、今回限定の勝因

(ただし、保証の限りではない)

 煮干しと梅干しの種の煮物。 

 大根とカタバミの葉の塩もみ。

 スミレの葉の味噌汁。

 大根の皮とたんぽぽの根・葉入りの卯の花。 

現在のものより味つけは、かなり薄め。

残りを宿泊組の飲み会のおつまみにした時は、味を足しました。

このあたりのラインナップは昨年に引き続き、ちゃんと食べられる安定のクオリティ。

 

楠公飯、タイプ① 

これは鍋で炒った所へ水を入れながら炊いた(やや簡易版?)バージョン。

本来のバージョンより、水分量が少な目。

「茶粥みたい」との感想がありましたが、こちらの方が食べられる味でした。

 楠公飯、タイプその②

本来の水加減にして土鍋で炊いたものを、温め直したバージョン。

去年体験した通り、温かいうちならまだしも

時間が経ち冷めると、不味さが増し増し

かさを増やすための水分が、どう考えても 《 元凶=不味さの原因 》 になっています。

 

しかし。

 

今回、不味さでピカイチだったのが、蛍飯

重曹入りのお湯で茹でてアクを抜き刻んだヨモギを、ごく少量(ひと握りぐらい)の玄米と煮たもの。

草餅のヨモギなんか目じゃない、煎じ薬の味でした。

点在する玄米を草に止まる蛍に見立てた風流なネーミングも、真っ青

風流だけでは腹はふくれないし、この味では口も幸せにはなれません(力説)

ただこの後、楠公飯の玄米との合わせ技のせいなのか明確にはわかりませんが、

妙に(!)お通じがよくなったことだけは追記しておきます。

 

  

 さて、これは

 呉の大和ミュージアムで他のどんな展示物より、

弁当箱に萌えた女(=私)の個人的な持込みブツ。

 

こう書いてあると、思ってください。 

 お父さん(=圓太郎さん)のお弁当の再現。 興亜パンも入れてみました。

 (自己満足。)

 

2升炊きのご飯が炊き上がりました。この他、この日は1升炊きのお釜2個分、計4升炊きました。 

 良い炊き上がり。お米が、ぴかぴかふっくら。いかにも、美味しそう。

広島菜の漬物・いかなごの佃煮・梅干・鰹節など各種具と、海苔で巻いて・・・ 

 

 江波巻の出来上がり。すずさんがお弁当に持っていったあれです。

現地の江波巻は、両端をキャンディの包み紙のようにねじるんだとか。

 黄金のおこげ。 

  コレも、巻きます。塩を少し振っただけで十分いけました。

 

盛大に、手巻き寿司パーティ状態。炭水化物まつり。 

 

今回の展示物。この他にも雑誌類や衣装がたくさん。

 

戦前の家庭料理本(発行 昭和3年) を拾い読みすると、

写真・イラストがないだけで中で扱われている料理そのものは、今と大差なし。

製本・紙質ともなかなかで、表紙絵のアールデコ風イラストがおしゃれです。

しかし戦争が激しくなるとともに紙質・印刷の質が悪くなり、

雑誌の表紙絵・本文イラストのモチーフも戦時色が濃くなります。

戦争が終わって華やかさが戻るかと思いきや、案外そうでもないのが驚き。

昭和24年発行の冊子が、印刷・紙質どちらも一番貧弱でした。

でも、ないならないなりに紙面を華やかにカラフルにしようとする

涙ぐましい努力の跡がうかがえて、少ししんみり。

 戦時国債。(↑)昭和17年の50円は、かなりの金額のはず。

以前読んだ大連(だいれん)から引き揚げてきた人の手記に、

持ち帰った関東州貯蓄組合の通帳を、戦後になってから

当時住んでいた九州から上京した時に何とか現金化しようとしてかなわず、

麻布狸穴の郵政省貯金局から飯倉の坂を泣きながら帰ったというくだりを、思い出してしまった。

(大連・空白の600日ー戦後、そこで何が起こったか 富永孝子 新評論 1986年発行)

・・・この戦時債券も、現金になることなく結局ここにこうして来ることになったわけです。

 

 

昼の部解散後、今回は一部参加の皆さんと1泊しました。

こちらの施設にお風呂があるのは知っていましたが、見るのは初めて。

昔、母に実家にもあった五右衛門風呂です。

一応今風の給湯設備もついていますが、 昔ながらのかまどで焚くスタイル。

沸かしたら、立て掛けてある木の板を浮かべ、それに乗って踏み抜きます。

(そのために、穴が開いています)

 タイル遣いがとってもおしゃれ。 

 外から、見た所(翌朝撮影)

夜は鍋を囲んで各自持込みのお酒が飛び交う盛大な飲み会の後、

DVD&ブルーレイ上映大会に突入。

最後の1本(「空飛ぶゆうれい船」) をラストまで見たの、私だけでした…

みんな、どんだけ飲んでたんですかー

  

明けて翌朝。朝食も、外で食べました。 

おかずは、生卵・納豆・漬物各種・いかなごの佃煮・昨日の残りの海苔。

 ごはん炊きに勤しむ片渕監督。 

  味噌汁の実は、ねぎ・油揚げ・豆腐。

  さて、炊き上がりは・・・

 昨日より、焦げてしまいました・・・昨日はうまくいっても今日は・・・

一筋縄では行かない。 難しいです、かまどでのごはん炊き。

 上の方の水分が飛んでやや固めですが、

底近く(おこげのすぐ上)はちょうど良い炊き加減で、ふっくらと美味しかったです。 

卵かけごはん♪

後で、高菜漬けの刻んだのと、いかなごの佃煮、海苔も足しました。  

 

かまど炊きごはんの美味さを堪能した両日でした。

  

 

 

 これは、ここ3年間ずっと我が家の冷蔵庫の扉に貼ってある切り抜きです。

 

震災直後、首都圏で計画停電が続いていた頃の新聞記事です。 

計画停電の時に一番困ったのが、

グループごとに実施日が報道されても「実施日の何時に始まり、何時まで続くのか」がわからず

エアコン・電子レンジと共に電力を喰う三大家電のひとつでもある

炊飯器

「いつ・どのタイミングで使うか」でした。

結局、「前の晩に1日分まとめて炊いて、おにぎりにしておく」に落ち着きましたが、

「電気ではなく、直火でご飯が炊けるようにならないとマズい」

 

・・・ライフラインが切れた時のために、最低カセットガスコンロを確保しておき、

普通の鍋(または土鍋)でごはんを炊ける術だけは身に着けておくべく

ガスコンロで(家族の不評を買いながら)練習し、炊いたごはんの保存用にお櫃(ひつ)も購入。

次いで圧力鍋も購入して

一応、非常時にもごはんを炊ける態勢の準備は、整いました。

 (現在、普段の炊飯は圧力鍋を優先・電気炊飯器はタイマーを使う時のみ)

 

 が。

 

カセットコンロすら、切れたらどうする?

(東南海沖地震が起きたら、全国どこでもあり得ないことではない) 

・・・というか、電気が復旧しなかったらご飯は炊けても、 お風呂は沸かせません。

 

 生活上やる(やらなくてはならない)ことは、一気にすずさんの生きた時代レベルまで後退します。

水は井戸(または水源)から使う所まで運び、燃料になる薪・焚きつけを調達し、

自分で火を起こして加減を絶えず調節する。

 

 ・・・実際たき火・かまどの火を起こしたことのある人ならおわかりでしょうが、

 焚きつけが足りない・薪が湿気ってしまった・風向きが定まらない・天候の変化etc・・・

毎回毎回条件が変わる中でやるのです。毎日毎日、一日も欠かさず。

 
晴れ着も脱がないうちに自分たちを祝ったお膳を片付け、お釜の焦げを落とし、

翌朝一番に起き出して1日使う水を汲みに井戸と家を往復するすずさんのように。

  

我々はガスコンロと水道も使い、いわば「下駄を履いた」状態で

すずさんの料理を再現した訳ですが、 

 彼女の生きていた時代にはさらに「戦時」の縛りがかかった厳しい条件下の中で、

いろいろと工夫しながら、あの料理を作り出していた(ことになっている、作中では)。

 

時間的には70年ほど前の状況ではありますが、

今であってもあの頃と同じ状況にはならないとは言えない。

 ・・・というようなことが、3年前からずっと頭から離れないのです。

 

燃料用の薪が身近にある光景は、今ではすっかり珍しくなってしまいました。

 

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