わたしのちいさなたからもの

2009年11月公開の劇場アニメ「マイマイ新子と千年の魔法」を追いかけて

裏道、寄り道、遠い道~マイマイ探検隊7/10・12(広島編)~

2012-10-17 10:42:46 | お出かけ

東京を朝のぞみで出発すると、広島に着くのはちょうどお昼時。

駅構内で牛筋うどんをいただく。お汁・肉ともに甘めの味付け。うどんは冷凍だったので、関東で食べる時とほぼ同じ食感。

麺類は、地方ごとの特色がコンパクトにまとまっている一品として食べ比べがしやすいと思う。 

 

路面電車(当地では「電停」と呼ぶようです)で、平和公園へ。 

 

 

慰霊碑に手を合わせてから向こうへ視線をやると、アーチの区切りの中に

慰霊の火と原爆ドームが一直線上に納まって見えるのに気付く。

 

資料館の館内で。(↓) 

広島市から核実験実施国首長への抗議文文面。

腹這いになった男子中学生の遺体の下で見つかった弁当箱(↑)。中のご飯は炭化し、縁の一部が溶けています。 

原爆に遭わなければ、中身のご飯は中学生のお腹に収まり、残っていなかったかもしれない。

また原爆投下時間が昼過ぎだったら、弁当箱は他所に置かれて熱線に焼かれ原型を留めていなかったかもしれない。

あの時間に 原爆の被害にあって、60年以上も残っていく皮肉。

 

折鶴の像の前で歌う小学生の一団。地元ではなく、遠くから来ている団体のようでした。 

毎年8月6日の式典中継はなるべく見ていたけれど、カメラのアングルとは違う目で同じ場所を見ると

広島の街は想像以上に広く、川の側に立つと海風に乗った潮の匂いが届いて

「夕凪の街」のタイトルがあらためて思い起こされる。

「夕凪の街」の主人公・皆実(みなみ)の家があった(と設定さていた)のは、ここからもう少し上流側。

 翌30年に平和資料記念館開館と第1回原水爆禁止世界大会を控えた、昭和29年の広島の物語の中に

「立ち退き絶対反対」の貼り紙がさり気なく描き込まれている理由・訳に見当がついた。

 

 こうのマンガのルーツをさらに求めて、次の場所へ。電停に乗って約30分ちょっと、宇品2丁目で下車。

電停側から行くと、着くのは裏口。こちら(↑)が表の正面です。煉瓦の建物が良い雰囲気。

広島市重要文化財に指定されているこの建物は、旧陸軍糧秣支廠(りょうまつししょう)として缶詰工場・倉庫に利用され

原爆による倒壊は免れたものの、一部爆風の被害を受けて歪んだ鉄骨などがそのまま残されています。

( 注・ここは、爆心地からおよそ3.2キロ地点に当たります )

 

 館内の展示には、すずさんが使っていたものが「あれも」「これも」盛りだくさん。

マンガのあの場面・この場面思い出して、楽しめました♪

すぐ傍が学校で、裏口側の庭では子どもたちが遊んでいました。ええのおぉ。 

 

 

 

いろいろしくじって広島からの乗り換えに手間取り、目の前でさくらを乗り逃がして;;予定ギリギリで防府に到着。

慌ててチェックインしてから、ルルサス内のイタリアンレストラン アンコーラでの探検隊先乗り組の夕食会へ。

片渕監督・防府スタッフの皆さん、地元と各地から集結した探検隊員と合流&再会。

どれも美味しかったです。パンが美味しい店のイタリアンは、ハズレなし。

続いて飲みに行きたいところですが、明日に備えて解散。

何と言っても、今回は   探検隊と懇親会を1日でやってしまう  強行軍 ですから。

 

 《 【  裏道、寄り道、遠い道~マイマイ探検隊7/10・13~  】につづく 》

 

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