関白とは!

関白という官名は日本の歴史によく出てくる。有名なのは秀吉関白である。関白とは天皇が幼少の時に摂政、成人後は関白である。天皇を助ける公家にしか任官されない。秀吉は公家へ養子に行き、名前だけを五摂政家から借りたことになる。本来、百姓の子であった秀吉にとっては最高の栄誉である。ようするに天皇家の傀儡政権なのである。所でこの関白とは、中国から来ている。古代中国の前漢時代である。秦を滅ぼした劉邦が打ち立てた国家が漢である。漢帝国の帝位を守ることは取り巻きの力が左右する。漢帝国は劉邦の妻、呂后に簒奪される。一時、宮廷内は泥沼の様相であるが、戦争はなく、国内は安定していた。呂后親族の政権は崩れる。その後、五代帝王の武帝で国家は安泰となる。国外の匈奴、砂漠の国家にも勢力を伸ばす。活躍したのが張騫である。月氏、大宛、烏孫等の漢周辺国家を偵察し、その報告により、積極的な外交が進められた。輝かしい漢の時代でもあった。ところが武帝が亡くなると、取巻きの争いが起きる。帝王の外戚である霍光が実権を握る。そして新しい帝王を探して来た。民間に住む無冠の人間で皇室との微妙な身分にある、劉病已(りゅうへいい)である。18才の青年である。大将軍の霍光は新しく即位した宣帝に対して、稽首帰政した。長く頭を地につけ、うやうやしく政を皇帝に奉還することを願い出た。自分の野心も異心もないことを、示そうとした。宣帝はこれを受けないで、「諸事は皆、先に光(霍光)に関(あずか)り白(もう)し、然る後に奉御する。」ということにした。どんな事でも、皇帝に奏上する前に、霍光に伝えねばならない。皇帝の専制放棄に見えるが、あらゆる責任を霍光におしつけたことにもなる。まだ力のない賢明な宣帝の判断でもあった。いわゆる関白とは「漢書・霍光伝」の文章に由来するものである。日本では陽成(ようぜい)天皇のときに、摂政太政大臣藤原基経(ふじわらのもとつね)が、天皇御覧の前にすべての奏文を見たことから、その官名が考えられたと言われている。~参考:陳舜臣「中国の歴史」

摂政であろうが関白であろうが、国を動かす人間は私利私欲によらず、万民を愛し、平和な国家を運営すればよいのではなかろうか。いまの天皇制は事実的に悪い意味では傀儡された制度である。天皇が必要かどうかは別として、関白首相に物申す。この地球での国家作りは、地球規模で考察し、目先の外交にとらわれず、思い切った政をすること。よきブレーンを持ち、よく見極める力も必要。すべては人間力なのかも。歴史に残る人間になる前に、人間力を磨いてはどうだろうか。そして願わくば、平和な国家づくりの先導者であってほしい。

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