ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

私のメモ帳・・・演歌 ウィキペディア(2)

2016年10月12日 | 音楽

歴史[編集]

前史[編集]

演説歌[編集]

「演歌」は、「演説歌」の略語であり、明治時代の自由民権運動の産物だった。藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段である。つまり、政治を風刺する歌(プロテストソング)で、演説に関する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが「演歌」という名称の始まりといわれる。この頃流行ったのが「オッペケペー節」を筆頭に「ヤッツケロー節」「ゲンコツ節」等である。他にも政治を風刺する歌はあったが、これ以後、「演歌」という名称が定着する。明治後半から、心情を主題にした社会風刺的な歌が演歌師によって歌われるようにもなり、次第に演説代用から音楽分野へとシフトするようになった。

大正になると演歌師の中から洋楽の手法を使って作曲する者も現われた。鳥取春陽の登場である。彼の作曲である『籠の鳥』は一世を風靡した。ただしこのような歌は「はやり唄」と呼ばれ、通常「演歌」には入れない。

流行歌の時代[編集]

昭和に入ると、外資系レコード会社が日本に製造会社を作り、電気吹込みという新録音システムも導入され新しい時代を迎えた。しかし、昭和3年(1928年)の佐藤千夜子二村定一、昭和6年(1931年)の藤山一郎の登場により「流行歌」と呼ばれる一大分野が大衆音楽の世界をほぼ独占し、しばらく「演歌」は音楽界から退場することになる。

なおこの時期の大衆音楽をも「演歌」扱いすることがあるが、本来的には演歌・歌謡曲・声楽曲全ての音楽性が渾然一体となった独特の音楽性を持っており、同一視出来ない。ただし上述した古賀政男の作品「吉良の仁吉」、あるいは「こぶし」を利かせた唱法を使った人気歌手上原敏などは、広沢虎造浪曲師の影響を受けている。これらの例からも、作者や歌手が一部重複しているのは事実であり、この「流行歌」時代に育まれた音楽性や技巧を基にして現在の「演歌」が生まれているので、演歌を語る上で無視は出来ない時代である。

1950年代[編集]

戦後も日本の大衆音楽は「流行歌」によっていたが、新世代の台頭と昭和28年(1953年)の藤山一郎の引退により音楽性が揺らぎ始め、次第に今の演歌に近い曲が出現し始めた。この時期既にブギウギで流行歌歌手としてデビューしていた美空ひばりも音楽性をシフトさせ、キングレコードから望郷歌謡の春日八郎三橋美智也ビクターレコードから任侠路線のスター鶴田浩二テイチクレコードから浪曲出身の三波春夫、戦後の大スター石原裕次郎コロムビアレコードからは泣き節の島倉千代子が登場。さらに三波と同じく浪曲界から村田英雄がデビュー。日活のマイトガイこと小林旭も歌手デビューした。

民謡浪曲などをベースにし、それまでの「流行歌」とはかなり質の異なる現在の演歌に近い作風の楽曲が出現した。この時期のヒット曲に「お富さん」「別れの一本杉」「哀愁列車」「おんな船頭唄」「古城」「チャンチキおけさ」「船方さんよ」「からたち日記」「人生劇場」など。

1960年代[編集]

昭和38年(1963年)、演歌専門のレコード会社・日本クラウンの独立とさまざまな音楽の流入により「流行歌」が消滅し、多数の音楽分野が成立した。その中で、ヨナ抜き音階小節を用いたものが「演歌」と呼称されるようになったのである。戦前に途絶した「演歌」分野の再来ではあるものの、社会風刺的要素は全くなく、‘‘名称だけの復活’’となり、演説歌を起源とする旧来の演歌は、戦後に流入したアメリカンフォークの影響によって「フォーク」に変わる。

演説歌が「フォーク」と呼称・総称されるようになり、演歌と呼ばれなくなったことで、ヨナ抜き音階や小節を用いた歌謡曲の派生形が「演歌」と呼称されるようになったとの見方もでき、その演歌を除く楽曲における幅広いジャンルとしての歌謡曲が1990年代に入り、「J-POP」と呼称・総称されるようになったことで、演歌を「歌謡曲」と呼称するのと同じようなものである。

この時期映画スターの高倉健も歌手デビュー、北島三郎橋幸夫都はるみ青江三奈水前寺清子千昌夫森進一藤圭子小林幸子(わずか10歳でデビュー)、大川栄策コミックバンド派生の宮史郎とぴんからトリオ殿さまキングスなどが登場した。

作曲家は流行歌から転身した古賀政男に加え、吉田正猪俣公章船村徹市川昭介流しから転身した遠藤実ロカビリー歌手から転身した平尾昌晃が登場、作詞家ではなかにし礼星野哲郎岩谷時子山口洋子川内康範らが登場、「潮来笠」「哀愁波止場」「王将」「長崎の女」「あゝ上野駅」「北帰行」「なみだ船」「皆の衆」「アンコ椿は恋の花」「「函館の女」「兄弟仁義」「帰ろかな」「花と竜」「涙の連絡船」「」「悲しい酒」「恍惚のブルース」「柳ヶ瀬ブルース」「浪曲子守唄」「星影のワルツ」「港町ブルース」「池袋の夜」などがヒットし、老若男女から支持され演歌は空前の全盛期を迎える。(ナベプロ所属の歌手に代表される)洋楽指向の歌謡曲と人気を二分した。

ただし演歌と歌謡曲との間に明確な分岐ラインが存在するわけではなく、むしろ歌手(およびレコード会社など)が「自分は演歌歌手」と称するかどうかが分かれ目と見る向きもある。例えばグループサウンズ時代、ど演歌節の旅がらすロックを歌った井上宗孝とシャープファイブは演歌歌手には含まれないと見る向きが多い。

 

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