ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

私のメモ帳・・・演歌 ウィキペディア(4)

2016年10月12日 | 音楽

2000年代〜[編集]

平成12年(2000年)に大泉逸郎の「」や氷川きよしの「箱根八里の半次郎」が大ヒットし、演歌復活の基礎を作った。但し、「孫」は大泉と同年代かそれ以上の中高年層の間でのヒットであり、10代、20代にも人気を博した氷川きよしの場合は演歌歌手としては規格外のルックスにより若者受けした部分が大きく、歌それ自体に対する評価は以前とそれほど変わらなかった。

一方で、前川清の「ひまわり」(2002年、福山雅治プロデュース)、坂本冬美の「また君に恋してる」(2009年、フォークデュオビリーバンバンの楽曲のカバー)などのように演歌歌手がポップスを意識した楽曲を発表するような動きも増えている。そのため、ジャンルとしての演歌の枠に納まらない楽曲も多くなり、演歌系の楽曲を総称して演歌・歌謡曲オリコンでは歌謡・演歌)と呼ぶようにもなってきている。また、演歌・歌謡曲に含まれる楽曲の中には、すぎもとまさと吾亦紅のように、演歌歌手ではない歌手が歌唱し、以前ならば狭義での歌謡曲には含まれなかったフォーク系やその歌唱法の楽曲も一部含まれるようになり、社会風刺的なものはないものの演説歌の流れを汲むフォークと、名称のみ演歌と称する現在の演歌が一つのジャンルに納まるという現象が発生している。

一時期1人、または2〜3人だった大型新人演歌歌手のデビューも毎年4〜5人まで増えている。また、ランキング上位を占めていたJ-POP全体の売り上げが停滞するにつれ、相対的にランキングでも上位に顔を出すことが多くなっている。平成20年(2008年)にデビュー曲「海雪」がヒットしたジェロは初の黒人演歌歌手として注目され、ヒップホップスタイルのファッションでの演歌歌唱も話題となり、ヒットした。更に、鼠先輩(2009年12月31日歌手引退)、美月優など半ばお笑い芸人のようなスタイルの歌手も出現。かつてインド人演歌歌手として活躍していたチャダも再来日し、音楽活動を再開。テレビ出演がきっかけとなり北島三郎に見出された大江裕、「平成の美空ひばり」とも称されるさくらまや等、大きなヒットこそないものの異色の新人歌手の発掘が相次ぐ。

その一方でカンカラ三味線を用いて演説歌を歌う岡大介という異色のフォークシンガーソングライターも出現している。

現在[編集]

現在、60代後半〜70代以上の高年齢層限定のジャンルという認識が強いのは否めず、若い世代のファンが圧倒的に少ない。個性と実力を兼ね備え、演歌という新ジャンルの土台を築いた、春日八郎三橋美智也三波春夫村田英雄らの男性歌手や、「演歌(歌謡界)の女王」と称された美空ひばり島倉千代子らの女性歌手が、平成時代に入った後それぞれ亡くなった。又その後に続く、紅白歌合戦にほぼ毎年常連出場の北島三郎(2013年・第64回紅白を最後に勇退)・森進一(2015年・第66回紅白を最後に勇退)・五木ひろし・細川たかしなどベテランの男性歌手や、石川さゆり・小林幸子など女性歌手らの大御所も、かつての昭和時代と比べると実力を発揮し切れていない状況である。また若手を除けば、歌手本人はおろか作詞・作曲家などの共同製作者が鬼籍に入るケースも増加している。

有線などでの小ヒットはあるものの、大泉逸郎『孫』、氷川きよし『箱根八里の半次郎』以来世間を揺るがす程の大ヒットはなく、全体的な低迷が続いている。

また、1960年代以降に洋楽のロックや日本製のフォークやニューミュージック、アイドル歌謡などを聴いていた戦後生まれの世代が中年層になっても演歌に移行せず、ロック・フォークなどを聴き続けている者が多いことから、演歌ファンの高齢化が顕著になっている。

演歌界には旧態依然とした徒弟制度が残っており、師匠からのパワハラや契約面での障害も少なくない。そのため、例えば水樹奈々は演歌志望から声優・アニソン系に移行している[6]

カラオケブームによる第二次ブームの時期に幼少期から青年期を過ごした30代後半〜50代の中年壮年層の中では近親者などの影響も手伝い比較的認知度は高い。しかし、個人差はあるものの、聴く或いは積極的に唄う対象にはされにくく敬遠される傾向が強い。ただし、歌手のキャラクターは広く受け入れられている部分もある。村田英雄の「ムッチーブーム」や千昌夫の「額のホクロ」、小林幸子と美川憲一の紅白衣装対決、森進一の「おふくろさん」歌唱および近年の「おふくろさん騒動」など。

ものまねブームによる、これら個性的な歌手のものまね知名度の向上に貢献した。

10代、20代の若者の中には代表的なヒット曲や、氷川きよしなどの有名歌手を除き、歌手の存在自体をも認知していない者も少なくなく、曲や歌手以前に「演歌」という語句すら敬遠されるケースさえある。

ただし、生活環境によっては若者の中にも一部には熱烈な演歌ファンが存在することも事実であるが、ファン層は50歳代後半以上が概ね8割以上で、「20歳代以下は1割以下」である。

テレビ番組『さんまのSUPERからくりTV』に出演し話題を呼び、北島三郎のもとに弟子入りし、プロデビューを果たした大江裕や有線放送で頻繁に演歌の流れる家庭で育った大相撲勢翔太は典型といえる。演歌歌手としてソロデビューしたAKB48岩佐美咲も祖父母と同居していた。

演歌歌手の一覧[編集]

海外での演歌[編集]

台湾では、戦前に日本語教育を受けた世代が日本の歌を好んで聴いたことから、台湾人歌手によって日本の演歌が歌謡ショーなどで歌われてきたほか、台湾語によるカバーも数多く出現し、日本でヒットした演歌の大部分は台湾語(一部は、国語 (中国語)である北京語)でカバーされる状況が続いてきた。 また台湾で作曲されたオリジナル演歌も多く、その題材や歌唱法は日本の演歌と変わらない。 台湾歌謡界では戦後長らく、ポップス=北京語、演歌=台湾語という言語による棲み分けが続いたため、演歌は「台語歌」とも称される。 日本で演歌の衰退が言われる現在でも、台湾では演歌の人気は依然として高く、テレビでは演歌中心の歌謡番組が定期的に放送されており、日本語の原曲と台湾語のカバー曲を交互に歌唱するなどの演出も一般的である。

シンガポールやマレーシアを中心とした東南アジアには、中国系の住民が多く、それらのうち福建系の住民は台湾語とほぼ同じ言語(ビン南語)を話すため、台湾語でカバーされた日本の演歌や台湾語のオリジナル演歌が「福建歌」「Hokkien Song」として普及しており、現地の作詞家によってオリジナルの歌詞を付けられたカバーも存在する。インド系の歌手で、福建歌=演歌の歌唱をメインに活動している者もいる。また、これらの演歌はタイ語ベトナム語クメール語マレー語インドネシア語など、現地の言語で再びカバーされた曲もあるが、一般に「チャイニーズ・ソングのカバー」と認識されている。

中国では、テレサ・テンなど台湾の歌手が国語 (中国語)でカバーした日本の演歌が広く浸透しているが、これらの演歌は一般に台湾の歌として認識されており、「台湾歌」と呼ばれている。また1980年代には北国の春を中国の歌手がカバーし、流行したこともあった。

アフリカ系アメリカ人のジェロは幼少期に、日本人だった祖母から演歌に親しみ、2008年に日本で演歌歌手としてデビューした。

2007年、ブラジルサンパウロにて行われた日系移民100周年記念イベントでは、日本の音楽として演歌が流された。また大城バネサ南かなこのような南米出身の日系演歌歌手もいる。

 

 

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