ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

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山上の垂訓

2017年05月06日 | 聖書


The Gospel Of Matthew (FULL MOVIE) DCforJesus

Sermon on the Mount (Matthew 5 - 7) - with subtitles

The Teaching of Jesus, Sermon on the Mount

マタイによる福音書 Wikipedia
https://is.gd/e4p2Eo 

マタイによる福音書ギリシア語: Κατά Ματθαίον Ευαγγέλιον Kata Matthaion Euangelion、ラテン語: Evangelium Secundum Mattheum)は、新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。 

伝統的に『マタイによる福音書』が新約聖書の巻頭に収められ、以下『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。呼び方としては『マタイの福音書』、『マタイ福音』、『マタイ伝』などがあり、ただ単に『マタイ』といわれることもある。

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マタイ Wikipedia
https://is.gd/ziu1yr
 

マタイ: Matthew the Evangelist)は新約聖書福音書に登場する人物でイエス・キリスト十二使徒の1人。ギリシア語表記はマタイオス (Μαθθαιος, Matthaios)。マテオマトフェイとも表記する。「マタイ」の意味は「神の賜物」。聖書によればイエスの弟子となる以前は収税人(en)であった。東方諸教会正教会カトリック教会聖公会ルーテル教会聖人とされる。 

新約聖書の最初におさめられた福音書(第一福音書)の本文には著者に関する言及はないが、古代以来伝統的にマタイによるものとされ、『マタイによる福音書』というタイトルがつけられている。近代以降の聖書学的研究のうち、高等批評では、エルサレム崩壊に関する記述は預言でないとの推測に基づく成立年代の設定などから、使徒マタイが著者であるという見解は疑問視されている。
だが聖書信仰福音派では、現在もマタイが記者だと理解している。

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 イエス・キリスト Wikipedia
https://is.gd/uvjes3 

キリスト教の多くの教派正教会東方諸教会カトリック教会聖公会プロテスタント)において、三位一体至聖三者)の教義の元に、神の子受肉(藉身)して人となった、真の神であり真の人である救い主として(一部の教派では、単性論と通称される、神としての属性を強調する立場で)信仰の対象となっている。 

イエス」は人名。ヘブライ語からギリシャ語に転写されたもの(ギリシア語: Ίησοῦς, Iēsūs古典ギリシア語再建音ではイエースース、現代ギリシア語からの転写例はイイスス)。「ヤハウェ(神)は救い」「救う者」を意味する。 

キリスト」は「膏をつけられた者」という意味の、救い主の称号。膏をつけられるのは旧約聖書において王・預言者・祭司であったが、新約の時代においてはこの三つの職務をイエス・キリストが旧約のそれら全ての前例を越える形で併せ持っていたことを示していると解される(但しこの三職論については、時代・論者・教派によって、キリスト教内から異論もある)。 

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 ナザレのイエス Wikipedia
https://is.gd/K3PR2K 

ナザレのイエス古典ギリシア語Ἰησοῦς ὁ Ναζαρηνός, Iēsūs ho Nazarēnos, 古典ラテン語Iesus Nazarenus, 紀元前6年から紀元前4年頃 - 紀元後30年頃) は、紀元1世紀パレスティナユダヤの地、とりわけガリラヤ周辺で活動したと考えられている[2]人物である。イエスの存在についてはフラウィウス・ヨセフス(1世紀)、タキトゥス(1世紀)、スエトニウス(1世紀)などの歴史家がその著作の中で言及している。 

「ナザレの」とは福音書においてイエスが「ナザレのイエス」と呼ばれていることによる。イエスという名は当時めずらしくなく、出身地を含めた呼び方で区別されていた。キリスト教においてはイエス・キリストと呼ばれる。  

名前 

「イエス」、古典ギリシア語再建音では「イェースース」(現代ギリシア語ではイイスス)᾿Ιησοῦς (Iêsoũs)は、ヘブライ語の「イェーシュア」からの転写形である。「イェーシュア」は「ヨシュア」ישוע (Yeshua)(正確には「イェホーシューア」)の短縮形であり、原義は「ヤハウェ(神)は救い」であって、モーセの後継者ヨシュアと同名である。ユダヤ人のあいだではごく一般的な人名であった。 

生涯  

イエスは「神の子」として誕生したと、『マルコ』『マタイ』『ルカ』『ヨハネ』の4福音書が一致して述べている。しかし「神の子」という呼び方は当時ではありふれており、アブラハムの子孫を意味する言葉でしかなかったとの主張もある。(ただしヨハネによる福音書においてはイエスが『神の子』を自称したことを「神への冒瀆」としてユダヤ人に非難された記述がある。) 

またイエスの誕生については、それぞれの福音書ごと記述する内容に違いが見られる。
マルコによる福音書』ではイエスの伝道から記述を始め、イエスの生誕については述べていない。
母マリアの処女懐胎については、『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』に記され、『マルコ』や『ヨハネによる福音書』には記述がない。
『マタイ』と『ルカ』によれば、イエスはベツレヘムで誕生したことになっているが、イスラエルの救済者メシアはダビデの町であるベツレヘムで生まれるという伝承がユダヤ教にはあり、八木誠一は、この伝承に従って福音記者はこのような記述を行ったと考えている。
『ヨハネ』はイエスの生誕の地については記述していない。八木は、『マタイ』『ルカ』『ヨハネ』によれば、イエスの父(または養父)ヨセフ古代イスラエルの王ダビデの末裔とされるが、メシアはダビデの家系に生まれるという伝承があり、福音記者はこの伝承に合わせて記述したと、と推測している。
 

福音書の記述の主な対象は、宗教活動を始めた時期のイエスである。その中で彼は、様々な教えを説き、奇蹟を起こした結果、弟子の集団が構成されたことになっている。福音書にはイエスがさまざまな病人の治療を行い、重い皮膚病患者を癒し、死者をよみがえらせたなど、多数の奇蹟が記されている。イエスは宣教の際に、比喩(たとえ話)を多く用いた。  

イエスには多くの弟子ができ、福音書はペトロを筆頭とする「12使徒」をその代表としている。マグダラのマリアが筆頭の弟子であったというのは通説であり、マグダラのマリアがイエスの妻であったという説もある。

 

イエスの教え

 

福音書には、イエスの言葉として「山上の垂訓」など群衆に対して語った説教、弟子など限られた対象に向けて語った言葉、当時の宗教指導者らとの問答といったかたちで、多くの言葉が収められている。福音書の記述を史実と認める立場においては、福音書の中にイエスの教えについて多くの言説を認めることが可能である。一方、いわゆる高等批評においては、福音書は「イエスの言行録」ではなく「宣教文書」であり、イエスが語ったとされる言葉がイエスに帰属するかを疑うというのが基本的立場である。この立場においてイエスに帰属できる発言は数少ない。荒井献はイエスの発言にさかのぼれる言葉は少ないながら、イエスの特徴として、既存の権威に頼ることなく自らの言葉で断定的に語り、当時、一般に交流を深めることが忌避されていた人々(蔑まれ、虐げられていた人びと)に対しても分け隔てなく接し、社会の底辺に視座を据え権力を批判したことを認めている。 

イエスの死とその後 

イエスは、伝統的なユダヤ教の一派であるファリサイ派のあり方、形ばかりで内容のともなわない見せかけの善行を痛烈に批判し、「神殿から商人を追い出す」(売買人を追い出し、両替商の台を倒した)など様々な批判を行った。このことは神殿貴族であるサドカイ派に対する大きな脅威であったため、イエスは政治犯としておもにサドカイ派の人間によってローマ帝国に訴えられ、エルサレムのそばのゴルゴタの丘で、ローマ帝国の法に従って十字架刑に処された。 

『マルコによる福音書』は十字架上で刑死したイエスの遺骸を、岩窟式の墓に葬ったと伝え、3日目に訪ねると、イエスの遺骸が消えていたと記している。川島貞雄と佐藤研は、文献学的な研究では、『マルコによる福音書』はこの記述で終わっており、後に記された復活の記述は後世の加筆である、と主張している(しかし、「イエスが死後、復活した」ということを明確に主張しているのは、他の福音書と変わらない)。 

福音書によれば、イエスは磔の刑により死亡したが、3日後によみがえり、多くの弟子たちの前に姿を現したあと40日間ともに生活し、天に向かって昇って行ったとされる。 

「史的イエス」

イエスの生年 

一般に、イエスの生年は紀元前7年 - 紀元前4年頃とされている。 

これは、『マタイによる福音書』2章の、イエスがヘロデ大王の治世(紀元前37年 - 紀元前4年)の末期に生まれたという記述、および『ルカによる福音書』から推定されているものであるが、キリスト教以外の史料には該当の既述がないため、断定は困難である。 

イエスの十字架での死

福音書から、ローマ皇帝ティベリウス治下でユダヤ属州の総督だったポンティウス・ピラトゥスのもとで、十字架刑に処されたと考えられている。

イエスの死が十字架刑であることは、福音書に先行する『パウロの書簡』にも記されており、イエスの実在性とともに蓋然性が高いとされる。なお、十字架の刑は、当時のローマ法の規定によるものであった。

イエスの没年は、

  1. ポンティウス・ピラトゥスの総督在任期間が(26-36年)であること、
  2. 既述のとおりイエスの生年の下限が紀元前4年と考えられること、
  3. イエスが30歳ごろに宣教を始めたというルカによる福音書の記述(3章23節)

などから判断して、おおよそ紀元後30年前後という想定は学界ではおおむね一致している。いずれにしても、没年や福音書に記録されている祭典の回数などを信用すれば、イエスが宣教を行った期間は、3年ほどという短い期間だったことになる。

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山上の垂訓 Wikipedia
https://is.gd/GXKlBe

山上の垂訓(さんじょうのすいくん)とは、新約聖書マタイによる福音書第五章から七章にある、イエス・キリストが山上で弟子たちと群集に語った教えのこと。山上の説教とも。

教えの最も有名な部分は、章頭(マタイによる福音書5章3節から10節まで)の「幸福なるかな」と8回繰り返されるところであり、幸福の説教、真福八端(しんぷくはったん)、真福詞等とも呼ばれている。正教会ではこれに5章12節前半にある「幸いなり、~天には爾等の報い多ければなり。」までを加えて9句の構成とし真福九端(しんぷくきゅうたん)と呼んで、主日聖体礼儀などに極めて頻繁に歌われる。 

比較的理解が難しい幸福の説教の第1文(マタイ5:3)は、霊的な意味での「全き謙遜」にある状態を幸いとするものであり、キリストによって語られる「父なる神」の教えを真摯に追い求めることが最も重要であることを説いている。 

さらに、キリスト教の祈祷文である主の祈りや、「地の塩、世の光」、「右の頬を打たれれば、左も向けなさい」、「汝の敵を愛せよ」、「裁くな、裁かれないためである」、「何でも人にしてもらいたいと思うことは、その人にしなさい」(イエスの黄金律)、「敲けよ、さらば開かれん」、「狭き門より入れ」といった、キリスト教徒にとって中心的な教義が述べられており、これらは非常に有名である。日本語でも、豚に真珠砂上の楼閣といった言い回しはここから取られている。 

 山上の垂訓の場所 

 
イスラエルの山上の垂訓教会
 

山上の垂訓が行われたとされる場所はよくわかっていない。福音書でイエスが布教を行ったとある、ガリラヤに山はないが、ガリラヤ湖の西には高い丘がいくつかある。現代のキリスト教研究者の何人かは、湖の北端、カペナウム近郊がその場所であると推測している。 

その丘の一つは現在、祝福の山(Mount of Beatitudes)と呼ばれ、丘の上には「山上の垂訓教会」(Church of the Beatitudes)が建てられている。

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