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イサクの燔祭 - Wikipedia

2017年04月29日 | 聖書

イサクの燔祭(ヘブライ語)


イサクの燔祭 - Wikipedia

http://bit.ly/2qhzi8s 

イサクの燔祭とは、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハム逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサク生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであった。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって今日でも讃えられている。

 『創世記』での記述

経緯

それはアブラハムがゲラルの王アビメレクと契約を交わした後のことであった。奇跡の業によって生まれた息子、何にも増して愛している一人息子のイサクを生贄として捧げよと神が直々に命じたのである。その命令の直後にアブラハムがとった行動は、以下のように記されている。

次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。

— 『創世記』 22:3、新共同訳

神が命じたモリヤの山を上るさなか、父子の間では燔祭についての短い会話が交わされている。イサクは献げ物の子羊がないことに戸惑うのだが、アブラハムは多くを語らなかった。

「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」

— 同 22:8

この時点でイサクはすでに、自分が燔祭の子羊として捧げられることを認識していたと思われる。しかし、彼は無抵抗のまま父に縛られ、祭壇の上に載せられるのであった。

この間の両者の心理状態については具体的には何も描写されていない。「わたしのお父さん」と呼びかけるイサクの言葉と「わたしの子よ」と応えるアブラハムの言葉からそれを推し量ることは可能なのだが、それがかえって物語の悲劇性を際立たせているといえよう。

結末

神の命令は「あなたの子孫はイサクによって伝えられる」という21章12節の約束と明らかに矛盾していた。にもかかわらず、アブラハムはほとんど盲目的に神の言葉に従ったのである。実際には、イサクの上に刃物を振り上げた瞬間、天から神の御使いが現れてその行為を止めた。アブラハムが周囲を見回したところ、茂みに角を絡ませた雄羊がいたので、彼はそれをイサクの代わりに神に捧げた。

動機

神が燔祭を命じた動機については、伝統的に三つの解釈が支持されている。

  • アブラハムの信仰心を試すため。またそれは、このような事態に陥っても動じなかった彼の偉大な精神を公にするためでもあった。
  • 燔祭の場所として指示されたモリヤの山が神聖な地であることを示すため。ユダヤ教の伝承によれば、この出来事は現在、神殿の丘と呼ばれている場所で起きたとされている。
  • イスラエル民族から人身御供習慣を絶つため。この習慣はカナン地方ではモレク崇拝やバアル崇拝などで一般的に行われていたという。

イサクの年齢

当時のイサクの年齢については様々な議論が喚起されている。彼の容貌に関する『創世記』における記述は22章5節のアブラハムの言葉 "הנער"(この若者)しか確認できない。

  • ハザル、及び一部の注釈家は、当時のイサクの年齢は37歳であったと述べている。つまり、この出来事はサラが死ぬ直前に起きたというのである。
  • イサクの年齢を5歳と見積もる説があるのだが、祭壇にくべる薪を彼に背負わせる記述があるので、その可能性を考えれば説得力を欠いているといえよう。
  • アブラハム・イブン・エズラは上記の説に反論するに及んで、13歳とする自説を紹介している。これはバル・ミツヴァの年齢であり、イシュマエル割礼を受けた年齢でもある。
  • ハザルと同様、イサクがすでに成人であったとする別の説では、神の命令はアブラハムに対してだけでなく、イサクに対しても試練として立ちはだかったとしている。

いくつかの疑問

イサクの燔祭は数千年にわたって様々な議論を呼び起こし、各々の思惑に基づいた多彩な解釈をもたらした。こうした各派間の力学の中で、人身御供をタブー視する信仰が生み出され、それらを悪習としてし排除するに至った。そして、一人息子をも惜しまないアブラハムの献身的な心構えが神の心を打ったことにより子孫の繁栄と全地の祝福が約束されたという思想が形成されたといわれている。

ただし、この物語が提示する息子を捧げることの是非については聖書文献では解釈が分かれており、例えば『列王記下』の3章には、イスラエル軍とその友軍に追い詰められたモアブの王メシャが、城壁の上で長男を生贄にしたことによって難を逃れるという逸話が残されているのである。一方、人身御供の習慣が一般的だったこの時代の他民族、他宗教の観点から、アブラハムの英断がどのように評価されていたのかは定かではない。また、『士師記』の11章には一人娘を捧げたエフタの逸話が記されているのだが、彼らのような人物は、イサクの燔祭という伝承の信憑性にも関わってくるのである。

キェルケゴール

アブラハムの熱烈な信奉者であった哲学者セーレン・キェルケゴールは、その著書『おそれとおののき』において、イサクの燔祭におけるアブラハムの心理状態を考察し、不条理な信仰と懐疑論に陥らない人生の可能性について検討した末、それを成し遂げたアブラハムを信仰の英雄として讃えている。アブラハムは無限の諦念を通じてその無限を飛び越えた舞踏者に見立てられているのだが、それは奈落の底を通じて至高の境地に達するという発想である。キェルケゴールによれば、アブラハムには最も背徳的ともいえる手段、すなわち自殺という選択肢もあったのだが、その絶望の境地から一躍、信仰の父としての評価を勝ち取ったとしている。

 

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