僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

壺中日月長(こちゅうじつげつながし)

2013-12-12 17:31:33 | ことば

 漢の時代、壺公(ここう)という薬売りは、実は仙人で、夜になるとひょうたん形の壺の中に跳び込む。

夜になると店先の壺の中に入って寝るのをみて 漢の国の費長房が頼み込んで一緒に壺の中に入れて貰ったところ、そこは立派な御殿で酒や肴がふんだんで2人して飲んで楽しんだ。

内部は目も眩むほどの壮麗な仙宮世界が広がり、無数の楼閣がそびえたつ。ちっぽけな壺の中に宇宙をまるごと封じ込めた仙境が開けているのであった。仙境は時空を超えた桃源郷であり、究極の理想郷でもある。  (後漢書 巻七十二下 方術列傳 費長房)

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「壺中日月長」とは、よく茶室の掛け軸に掲げてある文字でもある。

4畳半という小さな空間の入り口は躙口(にじりぐち)といって
高さ66cm、幅63cmの狭さで、まるで壺の入り口のようだ。大の大人が
屈まなければ入ることが出来ない。
そして茶道は「雅」とか「華やかさ」とは無縁である。
「不均斉」、「簡素」、「枯高」、「自然」、「幽玄」、「俗」、「静寂」
などの言葉がピッタリくる真面目な文化だ。
利休が唱える「無法の法の境地」が究極の目的ならば、さしずめ
「壺中日月長」という掛け軸の意味は茶道に適当な言葉であろう。
ただし、故事成語の語源である「後漢書」の内容は、あまりにも贅が過ぎて
茶道の目的にはかけ離れている気がする。

「壺中日月長」とは、
壺の中は日常とは違い、悠久とした時間が流れているということだろうか。
日々人は時間に追われ、あくせく汲汲と働き、ともすれば自分を見失ってしまう。

ああのんびり釣りでもして過ごしたいと考えても、現実は次の日の仕事が待っている。

実際時間の使い方の上手な人は「日月長」という境地に入れるのだと思う。
とかく人は、特に若い人はスケジュール帳を空白のないほどに埋め尽くす。
けれど疲れはその人を待ってはくれないのだ。

仕事に追われた上に遊びでも目いっぱいやろうとする。

ああなんて人間はかくもおこがましいのだろうか。

私の敬愛する水木しげる氏は戦争で南方のラバウルに渡った。
そしてそこの原住民にいたく好かれ、敗戦後も日本に戻るのをためらったぐらいだ。
彼らはそんなにも欲を持たない。そしてマイペース。
歌や踊りを愛し自然を愛し、時には仲間のために食べ物を分けてあげたり家を作ってあげたりする。
水木氏も学生のとき、朝食も食わず学校に行く優等生の兄と違い、
朝から悠々とお替りをして遅刻して立たされても平気な子どもだった。

そんな生活が本来理想なのだろうが、特に日本人は金がないと安心できず、毎日悪魔に追われるがごとくに
仕事と時間に追われる。

はたと気づいた時には、干からびたような抜け殻のような自分に戸惑うのかもしれない。

ちょっと主題からそれた感があるが、自分の好きなことに没頭したり、仕事を心底楽しんだり
何も欲を持たず人のために何かを成し、徳を積むことに生きがいを感じるならば
もうその人は日月の長さを楽しむことができたといえるのではないだろうか。

小さい家でもウサギ小屋といわれようが家族がそろって笑いあえるような空間
炬燵があってみかんを食べてトランプに興ずるような・・・嗚呼 もうすぐ正月が来る。

友人らと明早戦

2013-12-03 00:11:05 | スポーツ
気の置けない仲間とはなんて素晴らしいんだろう!

僕は大学の友人らと二十数年ぶりに新宿に集った。

へべれけに酔って吐きまくっていた青春の日、そこはあいも変わらず
僕らを待っていた。

ちょっと気取って文学を論ずるわけでもなく
ただただ今の痛み、懊悩を癒すかのように
僕らは酔おうとしていたのか 過去 その時代・・・

君たちは少し変貌を遂げ、あるいは風格を帯び
確実に良い時代の変遷をなぞってきた

けれどそれは紡ぐのとは違う何かに身を投じようとしただけ
いつしか深い係わり合いの中に埋没して
無機質な痛みに声を張り上げて泣くのではなく
静かに ただ静かに声を殺して嗚咽に似た感情を吐露するのであろう


ちょっとわけがわからなくなってきたけれど
僕たちは新宿西口の「鳥園」で祝杯をあげた。
いままで良く生きてきた、そしてあまりもの懐かしさに泣きそうになった。

焼き鳥やホッケをほおばりながら生で喉を潤し、あとはお酒、互いに注ぎつ注がれつを繰り返す。
屈託のない、喜びが自然とこみ上げてくる再会であった。


次の日、明治大学対早稲田大学の現在での国立競技場では最後の戦い。


久しぶりに明治の怒涛の攻撃を目の当たりにした。
倒されても倒されても食い下がる明治魂を見た。

惜しむらくも僅差で敗北したが、そんなことどうでも良かった。
みんな昔の学生がフラッグを振りながら応援したことに価値があるのだ。
4万人以上の観客が場の雰囲気を盛り立てた。
両チームともよく戦ったと思う。

また観たい! そんな期待感を匂わすような好ゲームであった。


試合が終わり、ユーミンがノーサイドで締めくくってくれた。


僕らは来年以降の再会を約束してそれぞれの道にまた進んでいった。