僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

芥川龍之介の羅生門

2013-02-23 21:38:59 | 文学


芥川龍之介の短編の名作に「羅生門」がある。
この話の構想をえた題材は今昔物語集の第二十九巻の第十八にあって、題は"羅城門の
上層(うわこし)に登りて死人を見たる盗人のこと"である。


作品の抜粋である
・・・当時京都の町は一通りならず衰微(すいび)していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申(さる)の刻(こく)下(さが)りからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。・・・


なんと突然平安時代の舞台にSentimentalismeサンチマンタリスムというフランス語が出てくるのである。
この平安時代の下人がフランス語を知っているはずもなく、途方にくれている心情を芥川は敢えてサンチマンタリスムという衒学的な言葉で読者に不意打ちを食わせたのだ。
本来の古典文学なら「危ぶむ」とか「行く方なし」とか「安からず」とか「心惑ひ」などの言葉を使ったことだろう。
しかし物語りそのものは古典の粗筋を踏襲しながら、そこに登場する人物の思考や感情に現代人の属性を代入する手法は大河ドラマなどでもよく使われることなのだ。

仮に英語のセンチメンタリズムという感傷主義という言葉を使っていたとしても
当時の芥川の本領発揮、面目躍如の傑作に違いない。

戯言

2013-02-18 22:19:03 | たわごと
「レ・ミゼラブル」、「東京家族」、「ストロベリーナイト」、「脳男」と立て続けに映画を観ている。

いつも一番後方の右よりの席に陣取るのだが、それは後部座席に人の気配を感じるのを極端に嫌うから。
超A級のスナイパーでもないのに、デューク東郷のように
「俺の後ろに立つな!」という気分なのだ。笑ってしまうだろ?


 話はかわるが、重松清原作のTBSテレビで毎週放映されている「とんび」は見ているかい?

どうしようもない飲んだくれで短気で喧嘩っ早い、それでいて純粋で照れ屋な親父が男手一つで息子を育てていく話だ。

離婚だ、不倫だ、家族崩壊だとかテーマがマンネリ化している昨今のドラマ界だが
「とんび」はちょっと違う。昭和のよき時代のにおいがぷんぷんしていて
妙に懐かしくセンチメンタリズムに没頭できる良さがある。

それにしても旭(あきら)が都の西北の大学法学部に一発で合格したのには驚いた。

私が昔々その大学の文学部を受けたとき、日本史は満点だったのに英語でしくじって
見事玉砕した。
東進スクールの林先生の評判のフレーズ

「いつやるか? 今でしょ!」をもっと早く実践していれば。

パンの会

2013-02-13 17:31:11 | 文学
 私はどちらかというとご飯党だが、時よりパンも食べたくなる。特に揚げパンや生クリームたっぷりのものが好きだ。

「パンの会」というとパンの試食会のようだが、さにあらず、1908年(明治41年)に北原白秋や木下杢太郎らのスバル派と
画家の石井柏亭や山本鼎らが興した文藝運動の場なのである。

パニックの語源であるギリシャ神話の半獣神パンにその名をとった。
彼らはフランスのヴェルレーヌ、ボードレール、ランボーなどフランスの詩人に憧れ、隅田川をセーヌ川に見立て隅田川界隈の
西洋料理店で会合を行った。反自然主義を標榜し、江戸情緒趣味や異国情緒への憧憬など浪漫主義を提唱した。

長田幹彦は当時の様子を次のように述べている。

真のノスタルジアと空想と詩とに陶酔し、惑溺した時代だ。芸術上の運動が至醇な自覚と才能から出発した時代だ。心の扉に「商売」の札がなかった時代だ。人生は美しかった。

北原白秋の「邪宗門」も石井柏亭の装幀でとても素敵な作品に仕上がっている。


        われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法、
        
        黒船の加比丹(かぴたん)を、紅毛の不可思議国を、
        
        色赤きびいどろを、匂い鋭(と)きあんじゃべいいる、
        
        南蛮の桟留縞(さんとめじま)を、はた、阿刺吉(あらき)、珍陀(ちんだ)の酒を。
        
        目見(まみ)青きドミニカ人は陀羅尼(だらに)誦(づ)し夢にも語る、
        
        
        芥子粒を林檎のごとく見すという欺罔(けれん)の器(うつは)、
        
        波羅葦僧(はらいそ)の空をも覗(のぞ)く伸び縮む奇なる眼鏡を。
                            
                          [北原白秋---邪宗門秘曲]

鴨長明

2013-02-04 23:17:33 | 歴史
僕の感性のブログのアドレスはutakata96だが、鴨長明の著した「方丈記」の中の
淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて・・・
という文章のうたかたなのである。

彼、鴨長明の人生は不運が付きまとった。
父が死んで、父と同じ禰宜の職を継ごうとしたが、叶わなかった。

俊恵に学んだ得意の和歌も新古今の時流に乗れず、定家ほどの誉れも得られなかった。

中原有安に教わった琵琶も秘曲「啄木」の演ずる時を誤って、非難されてしまう。

いよいよ彼は出家し大原の山中に篭り、のちに日野に3.3メートル四方の庵(いおり)を構える。そこであの有名な「方丈記」を書き上げる。

彼は「無常観」というものを切々と説いた。そして物質的なものの脆さや儚さも説いた。

約5畳半の庵の中央に炉を置き、壁に阿弥陀如来と普賢菩薩の仏画を掛け、傍に琵琶、琴、書を置いた。

彼は身の栄達や物質的に満たされた生活を捨て、本当の人間らしい心の安寧を抱くことが出来たのだろうか?

私自身も彼に肖りたく思うが、琵琶・琴・書物以外にお話できる相手がいてほしい・・・なんて
俗物なものだから、そんな風に思う。