僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

「僕の感性」のランキング

2009-05-31 17:31:12 | Weblog
自分のブログの過去一週間の閲覧数、訪問者数、ランキングです。

日付     閲覧数 訪問者数 ランキング
2009.05.30(土) 445 PV 198 IP 5548 位 / 1237540ブログ
2009.05.29(金) 290 PV 130 IP 9125 位 / 1236989ブログ
2009.05.28(木) 425 PV 169 IP 5826 位 / 1236480ブログ
2009.05.27(水) 565 PV 204 IP 3742 位 / 1235934ブログ
2009.05.26(火) 411 PV 241 IP 3302 位 / 1235441ブログ
2009.05.25(月) 290 PV 178 IP 5344 位 / 1234936ブログ
2009.05.24(日) 317 PV 187 IP 4917 位 / 1234345ブログ

多くの方が見ていてくださるのですね。
感謝です。

五目焼きそば

2009-05-31 17:26:26 | Weblog
今日の昼食は翔竜亭の「五目焼きそば」を食べました。昔おふくろが夜食に作ってくれた焼きそばを思い出しました。白菜、ナルト、オクラ、もやし、豚肉、木耳、鶉タマゴなど五品目以上入っていて、白菜の甘味と豚肉の風味が気に入りましたよ。
卓球の合間の昼食だったのであまり時間がなく、急いでかっこみました。でも満足。
先生ご馳走様でした。

キン肉マン

2009-05-31 00:25:39 | Weblog
昔、少年ジャンプに連載された「キン肉マン」は有名で人気がありました。
主人公のキン肉マン(キン肉スグル)です。ドジで笑える性格ですが、火事場のクソ力で凶悪超人にも負けませんでした。また友情を信じる熱い心を持っています。牛丼大好き!

テリーマンです。たとえ自分を犠牲にしても他者を助けることを優先する高潔な精神の持主。

ロビンマスクです。第19回超人オリンピック優勝者。キン肉マンが最も信頼する超人のひとり。正義超人のリーダー的存在。

ラーメンマンです。最初残虐超人でしたが、キン肉マンとの戦いを経て正義超人の仲間入りをしました。


地球を離れること五百億光年、大キン肉星雲に位置するキン肉星からやって来たキン肉マンは、由緒あるキン肉王国の第一王子であります。

今を去る事20年前、キン肉大王とその奥方が、生まれたばかりの王子を連れて地球へ旅行にやってきました。ところが、帰り道キン肉マンを子ブタと間違えて宇宙船から外に放り出してしまったのです。

こうして日本に舞い落ちたキン肉マンは数奇な運命をたどることになったのですが・・・ドジなキン肉マンにも出番が遣って来ました。

超人ヒーロー・オリンピックが開催される事に成り、前チャンピオン、ロビンマスクの友情に依り、日本代表に選ばれたキン肉マンは勇躍出場、持ち前の強靭な身体とスピーディな動きで八面六臂の大活躍を開始します。


テリーマンやラーメンマンといった正義超人たちとのリングファイトの中キン肉マンは正義と友情にめざめ、一流の超人へと成長していくのです。

幸福とは

2009-05-30 22:56:39 | Weblog
「幸福」とは自分でつかむべき個人的な問題でしょうか。否、しあわせ(幸福)とは、共有されるべきものなのです。先人たちも語っています。

自分の利益だけ求めるものは、幸福ではありえない。みずからのために生きんと欲するならば、他人のために生きよ。(セネカ)

まことの善人、友愛的存在の世界に住み、その各員の幸福を自分の幸福とするものだ。(ショーペンハウエル)

幸福は、分かち合うようにつくられているようだ。(ラシーヌ)

幸福は発見するものだし、客観的に見る眼があって可能になるのです。自己中心の眼は不平ばかりを見出すのです。これこそが不幸の正体なのです。
だから愛の世界、慈悲の世界に生き、自他の差別、対立を超えた、自他一如の境地に立って生きようではありませんか。

人は何処(いずこ)へ

2009-05-30 22:06:43 | Weblog
今日も無難な一日が何事もなく平凡に過ぎていく。

嗚呼 僕は何処から来て、何処へ帰るのだろう。

ゆっくり歩いたり、早足だったり、時には一回転したり。

無闇に怒ったり、涙したり、そのまま眠ったり。

僕は何者なんだろう。

鏡を覗くと、そこに僕らしい男がいる・・・確証はない。


タバコ屋のおじさんは何処へ行ったのだろう?

たばこを1カートンかごに載せ

自転車で走っていったあのおじさんは

何処へ帰ったのだろう。

1200年ぶり 天台宗と真言宗の和解

2009-05-29 23:08:06 | Weblog
 天台宗(総本山・比叡山延暦寺、大津市)の半田孝淳・天台座主が、6月15日に高野山真言宗総本山の金剛峯寺(和歌山県高野町、松長有慶座主)で営まれる「宗祖降誕会(ごうたんえ)」に参列します。

 天台座主が高野山へ赴いた公式記録はなく、平安時代の両宗開宗以来初めて。ともに「相互理解を深めるきっかけに」と期待しています。

 半田、松長両座主はトップ就任後、法要などで同席する機会が増え、昨年夏頃から、「一度高野山へお参りしたい」「季節の良い頃にぜひ」などと話が進展しました。高野山側が開祖・空海の誕生日を祝う年間最大の法要への参列を打診したのです。

 空海と、天台宗の開祖・最澄はともに唐で仏教を学んで親密に交流。最澄は空海から密教を学んだが、晩年は教えの違いや経典の貸し借りなどを巡って対立したと言われています。

 2005年10月に天台開宗1200年の法要が延暦寺であった際、当時の資延敏雄・金剛峯寺座主が法要に参加しましたが、天台座主が高野山へ行くのは、比叡山の公式記録「天台座主記」などにも記述がないといいます。

 金剛峯寺によると、半田座主は宗祖降誕会の法要に参列後に空海の御廟を参拝し、松長座主と会談する予定です。

 天台宗務庁は「世間で言われる確執は、現代はなく、交流を深める契機になれば」とし、高野山真言宗宗務所も「手を携えて、『救い』など共通の課題に取り組む礎に」と歓迎しています。

黒田清輝 湖畔

2009-05-28 21:33:50 | Weblog


箱根の芦ノ湖と彼岸の山を背景にして涼をとるこの麗人の像は、現在では《湖畔》の題名でひろく知られていますが、明治30(1897)年の第2回白馬会展では《避暑》の題で出品され、1900年のパリ万国博に《智・感・情》などとともに出品されたものです。
 明治30年夏、黒田は照子夫人を伴って箱根に避暑のため滞在、そのときに描かれたものです。のち、夫人はその時のことを回想して、「私の二十三歳の時で、良人が湖畔で制作しているのを見に行きますと、其処の石に腰かけてみてくれと申しますので、そう致しますと、よし明日からそれを勉強するぞと申しました。・・・・雨や霧の日があって、結局一ヶ月ぐらいかかりました」と語っています。日本の夏の高地のくすんだ風景、湿潤な大気を淡い色調と平滑な筆致により、スナップショット的な構図のなかに見事に描きだしています。


音声菩薩(おんじょうぼさつ)

2009-05-28 21:10:14 | Weblog

昭和41年6月20日発行の「音声菩薩」を意匠とする200円の郵便切手です。
「奈良の大仏」で知られる東大寺大仏殿前にある金銅八角燈籠は音声菩薩その他の透彫があり、天平時代の工芸品として国宝に指定されています。




実際の東大寺 、大仏殿の音声菩薩です。風になびく衣の表現が巧みです。


芥川龍之介の手紙見つかる

2009-05-28 19:38:12 | Weblog
 


 日本近代文学を代表する小説家、芥川龍之介(1892~1927年)が、作家志望の青年にあてた手紙が見つかりました。毛筆でしたためられた長文の手紙からは、芥川の実直で義理堅い一面がうかがえられます。今後の芥川研究にとって、貴重な資料となりそうです。

 あて先は東京・神谷町の「中村眞雄様」。遺品を整理中の親族が発見しました。手紙は縦18センチ、長さ約120センチの和紙に書かれ、1919年3月8日の日付があります。中村さんは当時21歳の学生で、作家を志していたといいます。

 手紙では、他の作家が同人誌に書いた作品、リルケら有名作家の名を挙げながら、<人道主義的な感激とが互にエフエクトを強め合つてゐます>など作品の長所と短所を懇切丁寧に指摘。親身になってアドバイスしています。

 芥川は当時27歳。横須賀の海軍機関学校に教師として勤務していました。「地獄変」や「邪宗門」を発表した直後で、新鋭作家として数多くの原稿依頼をこなしていたとみられます。この年の4月から学校を辞め、大阪毎日新聞の正式な社員となりました。

 文芸評論家の川村湊さんは「芥川は夏目漱石に『鼻』を読んでもらったことがきっかけになって、見いだされました。自分も若い人たちには丁寧に応対しようと思っていたのでしょう。芥川の人柄を再確認できる発見だ」と話します。

 芥川龍之介の研究で知られる都留文科大名誉教授の関口安義さんの話・・・ いかにも律義な芥川らしい書簡と言えよう。彼は一読者に対してもへりくだって便りを出すのが常であった。謙虚さが伝わってくる。当時、芥川は原稿の締め切りに追われ、2年4カ月ほど勤めた海軍機関学校を辞めるため、自分の身の始末だけでも大わらわであったのに、無名の青年への手紙をおろそかにしない。芥川の側面がよく分かる書簡として貴重である。