福神漬は、非発酵型の漬物の一種で、ダイコン、ナス、ナタマメ(鉈豆)、レンコン、キュウリ、シソの実、シイタケまたは白ゴマなどの7種の野菜類を細かく刻み、醤油と砂糖やみりんで作った調味液で漬けたものです。
寛文12年(1672年)、出羽国雄勝郡八幡村(現秋田県湯沢市)出身の了翁道覚が、上野寛永寺に勧学寮を建立しました。勧学寮では寮生に食事が出され、与えられたものは質素なものでありましたが、おかずとしては、了翁が考案したといわれる漬物が出されました。大根、なす、きゅうりなど野菜の切れ端の残り物をよく干して漬物にしたもので、輪王寺宮がこれを美味とし「福神漬」と命名、巷間に広まったとされています。
そして、明治時代初頭、東京・上野の漬物店「酒悦」第15代野田清右衛門が、自分の経営する茶店で売り出したところ評判となり、日本全国に広まっていきました。いろいろな野菜が入っていること、また店が上野不忍池の弁才天近くにあったこと、更には「ご飯のお供にこれさえあれば他におかずは要らず、食費が抑えられ金がたまる(=家に七福神がやってきたかのような幸福感)」という解釈で、作家の梅亭金鵞が名付けたという説もあります。
酒悦の福神漬
寛文12年(1672年)、出羽国雄勝郡八幡村(現秋田県湯沢市)出身の了翁道覚が、上野寛永寺に勧学寮を建立しました。勧学寮では寮生に食事が出され、与えられたものは質素なものでありましたが、おかずとしては、了翁が考案したといわれる漬物が出されました。大根、なす、きゅうりなど野菜の切れ端の残り物をよく干して漬物にしたもので、輪王寺宮がこれを美味とし「福神漬」と命名、巷間に広まったとされています。
そして、明治時代初頭、東京・上野の漬物店「酒悦」第15代野田清右衛門が、自分の経営する茶店で売り出したところ評判となり、日本全国に広まっていきました。いろいろな野菜が入っていること、また店が上野不忍池の弁才天近くにあったこと、更には「ご飯のお供にこれさえあれば他におかずは要らず、食費が抑えられ金がたまる(=家に七福神がやってきたかのような幸福感)」という解釈で、作家の梅亭金鵞が名付けたという説もあります。
酒悦の福神漬
















