僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

夏目漱石 『それから』について

2017-06-16 17:58:18 | 文学
 谷崎潤一郎は、漱石の「それから」について以下のように評している。

書かうと思ふものゝ為に事件の発展を都合よくすることは作者のアートである、大切なことである。

しかし「三千代の子」を殺したことは書かうと思ふことを色こく出す為に損な気がする。

又平岡をして放蕩させたのも、社会の為に圧迫されるものゝ荒んだ心を顕はすのに適当ではあらうが、代助

と三千代を接近させることに猶ほ適当であることが、事実らしくあるにも係らず自分にはつくり物のやうな

気がして、作の力を弱くしはしないかと思つた。

(「それから」に就て」)


代助の意識が再び三千代に向かうには、拵えた筋が必要なのは自明の理だろう。

もし、三千代の子が死なず、三千代自身が病弱にならなかったら、代助の三千代への思慕は
永遠に胸にしまっておいたはずだ。

三千代を平岡に斡旋したのは、確かに若い代助自身の義侠心が勝っていたから。

けれど、親友の平岡が三千代を粗末に扱ったとしたら、心から愛していなかったとしたら、
代助は彼を許しはしまい。姦通罪のあった明治時代において命がけの告白に違いなかった。

すべてを捨てる覚悟で三千代を譲るよう、平岡に頼み込んだ。

実家から仕送りを受けている身ながら、他人をちょっと馬鹿にして俯瞰している高等遊民の
代助が、本当の真人間の自分を取り戻す瞬間である。

そして愈々、父親、兄に勘当され職探しが急務になった代助は、電車で仕事を探しに出かける。

(原文から)
仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりとほのおの息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行ゆこうと決心した。
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