観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「(理系人材と)GX」「北方領土」を考察・纏め予定。放置気味ですが、忘れた訳ではありません。

島根(出雲大社・石見銀山・宍道湖)

2017-08-19 14:15:46 | 日記
さて、予告していた島根・広島・愛媛・高知の記事ですが、ひとまず島根から始めます。

島根と言えば、筆者的には出雲大社(ウィキペディア)ですね。

山陰地方というのは、残念ながら歴史時代以降はほとんど目立った活躍が無い場所だと思いますが(申し訳ありません)(今は近畿とされる山陰道但馬の守護でもあった山名宗全(ウィキペディア)(>宗全は出石此隅山城に各国から集結した西軍を率いて挙兵し、京都へ進軍する。)は応仁の乱(ウィキペディア)(戦国時代の原因とも言われる重要な戦です)の西軍の総大将で、全国的に少し日が当たったかという程度のように見えますが)、神話時代(歴史以前)の出雲(島根東部)の重要性というのは傑出しているところがあると思います。

>二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受している。また、宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。

大国主(ウィキペディア)やスサノオ(ウィキペディア)は出雲とゆかりが深いですが、日本神話(ウィキペディア)では皇祖神
天照大神に並ぶ活躍をします。説話が残る出雲国風土記(ウィキペディア)は現存する五つの風土記(ウィキペディア)の内、ほぼ完本で残る唯一の風土記で、やはりそれだけ貴重だと見られ特に残されてきたものなのでしょう。

出雲大社の独特の地位は非常に特色があってその価値は明らかだと思います。

>1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された。神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日 - 17日)。出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではない。

>そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様としてあらわれるほどに、全国的な信仰をあつめるようになった。

祭神の大国主大神は神在月(※神無月(ウィキペディア)の説話や縁結びでも著名ですね。広く信仰を集めた神社です。

>玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されている。本殿内北西には御客座五神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神)が祀られている。大国主大神の御神座は本殿内北東にあり、正面である南側ではなく西側を向いている。これは本殿が古代の高床式住居とほぼ同じ構造になっているため、高床式住居における入口と最上席の配置と向きの関係から、御神座は西側を向くことになるためと考えられる。天井には7つの雲の絵が描かれている。現在の本殿は1744年(延享元年)に建てられたもので、高さは8丈(およそ24m)と、神社としては破格の大きさである。

高床式住居における入口と最上席の配置と向きの関係というのも良く分かりませんが、何か理由があるのでしょう。正面を向いていないという理由を考察するのも面白いですね。高床式倉庫(ウィキペディア)は湿気対策やネズミ対策で世界で広く建てられ、日本でも縄文の三内丸山でも祭殿の遺構が見つかっています。高床式倉庫から神社の建築様式神明造(ウィキペディア)が派生したとされますが、穀物を納める代わりに神宝を納めるようになったようです。技術の何故を考察するのも面白いですね。

>本居宣長が『玉勝間』に引いたところによれば、かつての本殿は現状の倍ほどもあり、中古(平安時代)には16丈 (48m)、さらに上古(神の時代の後、平安より前)には32丈(およそ96m)であった、という伝承があるとされる。同じ出典にある、「金輪造営図」と併せて想定される姿は大変不思議なもので、空に向かって延びた何本もの柱の上に社が建つというものになる。

この辺は伝説みたいですけどね。お話の虚実を検討するのも知的探究心を刺激するところはあるでしょう。

出雲大社
出雲大社(特集記事)|出雲観光ガイド【出雲観光協会公式ホームページ】

両ページとも日本語のみですから、世界から観光客を集めるつもりも特にないのでしょう。そっとしておいてほしいのかもしれませんが、日本人観光客は積極的に呼んでいる訳ですし、元々広く信仰を集めた神社です。ポテンシャルがあるのにもったいないなという印象があります。明らかに日本固有の神話・宗教の重要な一翼を担っていますからね。まぁ目だって○○○どもに油とかかけられたらブッ殺すしかないですもんね。文化財の損壊の厳罰化が求められるでしょう。アメリカじゃないですが(コーヒーこぼしただけでこんなに?懲罰的損害賠償(ウィキペディア))、一罰百戒で痛めつけるしかないと思います。企業じゃない個人がそんなにお金を持っているとも思いませんが、ムショに何年も入れられるとなったら抑止効果はあると思います。カ○コ○とかいう国は即刻現代の明白なドロボウを引き渡すか厳罰に処するべきです。応じなかったら最低ライン二度と犯罪者を立ち入らせてはなりません。某国が協力しなければ犯罪者輸出国と認定し断交も有り得ると思います。

宗教建築は信仰の場ではあるのですが、世界でも結構観光地化していますよね。お蔭参り(ウィキペディア)の庶民の旅行にかける情熱は相当なものがあると思います(現代の日本の本屋でも国内旅行誌のコーナーは結構広いですよね)。宗教施設の観光も当施設の意向によりますが、出雲大社は日本人観光客は十分とっているのでしょうが、ポテンシャルは相当なものがありますから、こういうところこそとは思いますね。

僻地出雲(お許しを。筆者も僻地四国伊予の出ですから)出雲大社が特異な地位を得るに至った経緯は不明だと思いますが、鉄の歴史は関係がありそうです。鉄の歴史 | とりねつ 鳥取県金属熱処理協業組合 古代には鉄は権力の象徴でした。出雲では他に荒神谷遺跡 - 荒神谷博物館も大量の青銅器を出土していますね。あるいは当時の地域超大国中国に隣接する朝鮮半島と直接交易を行い、かなり栄えていたのだと思います。古今東西貿易の窓口は栄えるところがありますからね。この辺も日本語のみでの紹介ですね。

世界遺産である石見銀山(ウィキペディア)にも言及します。※石見は島根西部

>石見銀山(いわみぎんざん)は、島根県大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山(現在は閉山)である。上述の最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。

石見銀山が世界遺産に登録された背景には幕末の通貨問題(ウィキペディア)があると思います。幕末の通貨問題は>日米和親条約締結後に決められた日本貨幣と海外貨幣の交換比率に関する問題。日本と諸外国の金銀交換比率が異なったため、日本から大量の金が流出した。・・・とされる問題で、最近では結構重大視されすぎてきたという結論のようですが、黒船ペリーが関わる最初の日米関係の一幕でもあるんですね。日本では銀がとれすぎ(石見銀山のおかげで)銀安状態で銀を輸出して金を輸入していたようです(>戦国時代末、日本では金銀ともにその生産・流通が増加したが、特に銀の生産が増加したために天正年間には金銀比価は1:10、慶長年間には1:12程度と外国に比べて「銀安」状態にあった。このため、日本から銀が中国やヨーロッパに輸出され、逆に日本へは金が流入する構造が、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて成立した。日本では鎖国の実施後も暫く金銀の輸出が行われた影響によって17世紀前半には東アジア全域で金銀比価の平準化が進み、一旦は1:13前後に収束していく傾向が見られた。)。鎖国と言われる状況下でも経済は世界と繋がっていた証拠はあるということでしょう。一方で鎖国・開国で論争があって(貿易は出島に長く限られてきました)政権が倒れた訳で、鎖国という用語が意味を成さないという訳でもないんですが、誤解を招くところはあります。銀山というのも地味ですから、こういう経済問題もあわせて学べると面白いかもしれませんね。

石見銀山世界遺産センター(島根県大田市大森町) / Iwami Ginzan World ... 日本で経済小説が売れるという話は外国人が驚くポイントと何かで読みましたがそれはともかく、産業遺産(ウィキペディア)も掘れば可能性はあるのかもしれませんね。「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」では○○○どもの因縁が日本を怒らせたところがありますが(徴用の意味も歴史も知らずに因縁だけつける○○○どもよ!)、「富岡製糸場と絹産業遺産群」もありますが、ド真面目に研究するのはそれはそれで重要ですが、体験観光をやったり(日本人が経済小説を好むのは自分を投影して体験しているのかもしれません)(欧米の観光客は体験型を好むといいますがなぜ日本へ? モノからコト、体験型観光の需要拡大から読み解く訪日観光 ...(Ys AND PARTNERS)、日本人も可能性はあるでしょう)、大きな話に繋げたりするのがいいのではないかと思います。明治期の産業遺産で言えば、やはり栄光の明治維新みたいなイメージは保持していいでしょうね。中国人・韓国人はイライラするんでしょうが。まぁ例えが大きすぎますが、イギリスの産業革命の話みたいなものでしょう。負の側面もありますが、そんなもんを好んで直視する人もいないでしょうね。必要ではあるんでしょうが。

さて日本の鉱物資源と言えば、銀というよりも金の方が有名だと思うのですが(黄金の国ジパング諸説ありますが、平泉の金色堂が脚色されたとも言いますね。>マルコ・ポーロが伝え聞いたジパングの話は、平安時代末期に奥州藤原氏によって平安京に次ぐ日本第二の都市として栄えた奥州平泉の中尊寺金色堂がモデルになっているとされる。当時の奥州は莫大な金を産出し、これらの財力が奥州藤原氏の栄華の源泉となった。 マルコポーロが元王朝に仕えていた13世紀頃、奥州地方の豪族安東氏は十三湖畔にあった十三湊経由で独自に中国と交易を行っていたとされ、そこからこの金色堂の話が伝わったものとされる。・・・また、戦国時代の武田の金山、佐渡の金山も有名です)、その辺の事情を検索してみたら、興味深い記事が見つかりました(グーグル先生は最強だな!)。

日本の金、銀は枯れたの?(教えて!goo)

>金鉱脈がどう生成されるかに付いては色々な意見が有ります。最近有力な説は次の様なものです。マントルの高熱で地下深くに閉じ込められた水が高温高圧になり、それにイオン化した金が溶け出す。この金イオンを含む高温高圧熱水が地層中の割れ目を通り地上に出る過程で減圧冷却され、金として岩石中に析出し、金鉱脈が生成される。

>火山国で地震国である日本には、当然金鉱脈が多く、それも比較的地表に近い所にあります。見つけ易い所にあるわけです。これを探して採掘していたのが、戦国時代から江戸時代末までの状況です。当時の技術で見つけることができ、掘り起こせる範囲の金はほぼ取りつくされてしまいました。あらゆる大名が自領地を掘ったわけですから。

>現在は金鉱脈生成の過程も解明され、地質学的知見も深まり、探索技術も進歩し、世界的な金鉱脈が日本で続々と発見されています。一番有名なのは、鹿児島の菱刈鉱山(住友金属鉱山)ですが、大分県九重、山形県大峠、北海道東部(釧路周辺)にも金鉱脈が
発見されています。下記URLの【黄金の国ジパングは復活するか】を見てください。http://www.iforum.jp/okuchika/t5713.html

>菱刈鉱山の金品位は世界屈指ですが、他の鉱脈もそれに劣らないと言われています。

>さて、これ程の金鉱脈を持ちながら日本での生産は何故菱刈だけなのかは次の理由からです。掘って生産量を挙げても金相場が下がるだけで住友金属鉱山には投資に合うメリットは無いのだそうです。それで現在の菱刈が枯れたら次の鉱区を開発する予定だそうです(直接聞いた話)。金鉱脈発見ラッシュから20年以上も経つのに、菱刈はまだ枯れそうもありません。

世界の主要金産出国と国別産出量の推移
(Let's GOld)

>なお、世界全体で年間3000トンペースで金が産出された場合、現在把握されている地球上の金鉱山に埋蔵される金は、あと19年で枯渇する計算になります。

貯め殺しが問題の日本ですが、世界が掘り尽くした後にシメシメで金を輸出する作戦なんでしょうね。中国は埋蔵量がない(9位4%)のに掘り過ぎ(1位15%)ワロタ。間違っても日本に掘りに来るなよ!投資要らないからな!豊かな鉱物資源がある南アフリカなんかでは鉱山の投資規制があるようですね(外資に関する規制 | 南アフリカ共和国 - アフリカ - 国・地域別に見る - ジェトロ)。日本はお金は必要な資源ではなく、投資先・雇用が決定的な問題でしょう。先進国病の症状ですね。

最後にもうひとつ。宍道湖です。

宍道湖

>底質は沿岸部の100~200mが砂や砂質泥、それ以外は大部分が泥である。透明度は1.0mと悪く富栄養化が進んでいる。湖内に位置する島は、嫁ヶ島だけである。

>宍道湖の周辺湖岸にはヨシが生育しているほか、アオノリ等の海藻も生育している。宍道湖は有数の水鳥の渡来地であり、240種以上の鳥類が生息しており、特にガン・カモ類は毎年40,000羽を超え、なかでもキンクロハジロが20,000羽以上、スズガモが5,000羽以上が確認されている。さらに、マガン、キンクロハジロ、スズガモについては、全世界の水鳥の一種の個体数の1%以上を支えている。それら鳥類の餌となるスズキ、ボラ、シラウオ、ワカサギ等の魚類やヤマトシジミ、イシマキガイ、カワザンショウガイ等の貝類が生息している。宍道湖では、これまでに68種の甲殻類が報告されている。稀少種としてシンジコハゼが生息する。

>2005年(平成17年)11月1日に宍道湖国指定鳥獣保護区(集団渡来地)に指定され(面積7,851ha、うち特別保護地区7,652ha)、同年11月8日に、近接する中海と共にラムサール条約に登録された。

>宍道湖は湖内の漁獲量の約9割を占めるシジミ漁で有名である。シジミの種類はヤマトシジミ。

>1970年代が最盛期とされ、1991年(平成3年)から2010年(平成22年)まで当地を含む島根県がシジミの漁獲高で日本一となっていた。 その間の「農林水産省 漁業・養殖業生産統計年報 平成12年度」では、全国のシジミ漁獲量1万9295トン中、約39%の7500トンが宍道湖とされていた。

>ところが、塩分濃度の低下やアオコの発生などの問題によるシジミの大量死が起きるなどしたため、漁獲高が急速に減少し、2013年(平成25年)島根県全体でも2000tを切る状況となった。

>そのため、稚貝を栽培して放流したり、禁漁日を増やすなどの対策を進め、2014年(平成26年)のシジミの漁獲高は、当地は湖沼別で、島根県は都道府県別で、各々日本一を奪回した。

>このほか、汽水湖のために魚種も豊富で、スズキ、モロゲエビ(ヨシエビ)、ウナギ、アマサギ(ワカサギ)、シジミ、コイ、シラウオが宍道湖七珍と呼ばれている。それぞれの頭一文字をとって「スモウアシコシ」として覚える。

シジミと水質の関係はこちら(ヤマトシジミを用いた水質浄化に関する研究 道上隆文)。汽水域でのヤマトシジミと水質の関係に関しては多くの論文があるようです。

>仮に水中に溶存態として存在する窒素、燐等の物質を含めた浄化効果を期待する場合には、ヤマトシジミと比べ浄化速度、季節変動に差があるが、これらの物質を吸収する植物を利用することにより、お互いの能力を補い合っ浄化システムが構築可能であると考えられる。

シジミの生産と水質浄化の関係性が筆者にはよく分かりませんが(水を綺麗にしすぎたら死んでしまったりして)、シジミ漁と観光を両立した水質改善策があるといいですね。また、禁漁をすることである程度の数があれば資源量は回復することを示しているとも思います。湖だから禁漁が徹底し易いんでしょうが。海だと他所から来る可能性もありますし、回遊魚は上流で獲られる可能性があります。数があまりに減ると数は中々増えないんで、そうなる前の保護が重要です。ラムサール条約(ウィキペディア)は湿地を守りますが、これは渡り鳥を保護することが大きな目的のひとつでしょう。ある国で湿地がなくなったら、その湿地を利用している渡り鳥が困ってしまいますからね。必ずしも一国だけの問題ではありません。日本の壮大な湿原と言えば釧路湿原(環境省)ですね。大規模農業は十勝に任せるなどしてあまり開発し過ぎない方がいいんじゃないかと思います。日本国内では唯一無二でしょう。

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