観測にまつわる問題

「資源エネルギー」「国防軍(20日まで)」「警察(16日まで)」「中国」「消費(年明け)」及び「その他過去のテーマ」

とりあえずおやすみなさい

2017-12-17 00:02:24 | 日記
平沢勝栄議員の講義を受けてきました。非常に面白かったです。いろいろ書くことはありますが、纏めるのは寝て起きてからにします。予告のテーマ「警察」もその講義に関する記事を持ってとりあえず終わりとします(予告期間過ぎた上、警察関係ない話題多くて申し訳有りませんが)。最後に失礼なことして申し訳ありませんでした。

満州事変関連は後日ですね。真面目にやると時間がかかりそうなので、明日も厳しいかもしれません。
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慰安婦問題を解決していく4つのアイディア

2017-12-16 10:22:21 | 政策関連メモ
慰安婦像設置が止まらない感じですね。

比に「慰安婦像」 日本の外交力が問われている(読売社説 2017年12月15日 06時00分)

>設置されたのは、官公庁や高級ホテルが並ぶ大通り沿いの遊歩道だ。主導した団体は、日本に知られないよう、水面下で周到に準備を進めた可能性が大きいとはいえ、大使館の情報収集が不十分だったと言わざるを得ない。

新たな慰安婦碑設置へ 米ニュージャージーで区議会が全会一致で可決(産経ニュース 2017.12.15 12:34)

>韓国系団体の動きに対し、在ニューヨーク総領事館がフォートリー側に働きかけを行ったほか、現地の邦人や日系人が反対運動を展開。この日の議会でも、採決を前に、邦人が「間違った歴史が米国で広められている。地域社会には分断ではなく、結束が必要だ」などと演説した。

安倍政権はこうした動きにある程度までは対処しているようですが、中々難しいようです。関係自治体(姉妹都市への働きかけ)もやっているようですが、結果を見ると韓国の問題行動を抑止できていません(慰安婦合意の精神は守られていません)。嫌がらせをしないと死ぬのか?と思いますが、放置しているとデマが広がり大変なことになる可能性もあります。怒った日本国民(主権者です)がキレて行き過ぎる可能性もあります。そういう訳で何かないかなと考えました。使えるかどうか別にして4つアイディアがあります。

①法的には何の問題もない(戦後処理も慰安婦問題に関する処理も完了しています)ことを踏まえた上で、慰安婦に補償することが考えられます。例えば残っている文書を精査し、給与未払いの慰安婦に補償します。法的には時効でしょうが、人道的配慮の名目で補償します。これは日本人でも外国人でも構わない(半島出身者や台湾出身者をどちらとして扱うとかテクニカルな問題は扱いません)と思いますが、日本人だけだと外国人差別のように見える可能性があります。狙いは日本は政策として奴隷狩りをやったことなく、慰安婦には給与を支払っていたことを示す意図があります。デマが問題なのですから、デマを明快に打ち消す行動が有効と考えられます。事実は味方でしょう。残念ですが、自己申告は受け入れられません。そういうこともあるいは必要かもしれませんが、既にその辺はこれまでに処理したことだからです。今のところ韓国だけが堂々と蒸し返して、その韓国とは最終合意を結んでいるのですから、このアイディアは使えないかもしれませんが、あくまでひとつのアイディアとして書かせてもらいます。言いたいのは、証拠があって不当な扱いをされたと言うなら、法的には問題なくとも人道的配慮は有り得るのではないかということです。そこで法律を通そうとすると悪者になりかねません。これは外国人優遇ではなく、戦後処理の問題です。不満を言っているのは中韓ですが、助力する勢力もいますし、日本が反省しないというプロパガンダも気をつける必要があると思います。

②積極的に残っている資料を整理して公開していきます。政策としての奴隷狩りがないこと、人数の問題、名称の問題(挺身隊と読んでいることこそがプロパガンダ)を解決していくことが狙いです。軍令に反した逸脱的な慰安婦問題とされているスマラン慰安所事件の資料は2025年に開示されるようですが、これは被害者の感情に配慮してだということです。資料公開と言っても慰安婦問題で名前を出すのは(特に日本人は)難しいかもしれません。世界の記憶で韓国は「資料」を登録しようとしましたが、諦めたと見るのは早計でしょう。韓国側の資料に問題があるなら、逐一指摘せねばなりません。そのためにも日本はなるべく資料を集める必要があります。公開していれば(重要部分は訳すべきです)、この問題はこうだから、ここを見てくれと説明することができます。まぁ外務省の人が資料を持っていって説明すればいいのかもしれませんが、一般人が資料はあるよと説明できるだけでも違ってくるかもしれません。韓国や中国がこうした行動に音を上げて問題発言問題行動しなくなるなら、それで良しとします。海外で人海戦術は不可能でしょう。海外での動きが鎮静化すれば問題は抑制されます。

③韓国人が(海外で)慰安婦問題に関与する度に、慰安婦合意の精神を守ってほしいと第3者にアピールしていきます。韓国人が音を上げて消えれば、運動の核が無くなりますし、中国がやりたければ表に出てくることになります。合意を破棄したら最終的かつ完全な合意を破棄した!でアピールして新たな合意を結ばないようにします。

④定期的に慰安婦合意でお金を受け取るように呼びかけます。これは慰安婦合意の精神を守るものです。慰安婦の方の補償を受け取りたいという意志を踏みにじる工作員を炙り出す意図があります。類似の手法として挺身隊は慰安婦で無いから、団体の名称を変えるように勧める手法があります(これを名前を変えるまでやります)。余計なおせっかいかもしれませんが、誤解を招きますし、誤解されると迷惑です。(本当の)挺身隊は労働者であり数が異常に多いからです。

あまり反省していないふうかもしれませんが、筆者は悲惨な環境に耐えた慰安婦に同情はあっても、当時は皆同じだったと思っています。当時として問題なことは当時処理されるか(東京裁判など)戦後処理で解決したはずです。
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北朝鮮問題(12月16日)

2017-12-16 10:01:15 | 政策関連メモ
①中国は事前にこれをしたら石油禁輸すると通告する手法もある。例えば、核実験したら石油禁輸、挑発的なミサイル発射(定義はいろいろあるかもしれませんが)をしたら石油禁輸など。これは戦前の日本に対して行われた手法でもあり、宣戦布告に当たらないとされています。中国の言う対話に反する北朝鮮に対する制裁ですから、中国が嘘つきでなければ断る理由はないと思います。

②北朝鮮は暴発しないと考えられます。何故なら米軍は圧倒的で開戦になったら破滅することが分かっているから。中国などともある程度話がついている感じで、戦前の日本(ドイツやイタリアという同盟国と共に戦いました。経済支援は兎も角、少なくとも言葉の上では(形だけは)中国は北朝鮮を批判しています)より状況が悪いと考えられます。大体が朝鮮人というのは乱暴狼藉は働いても外国(韓国には在韓米軍がいます)に自分で本格侵攻した歴史がありません。三跪九叩頭の屈辱にも耐えています。核放棄が体制崩壊を意味すると言ってみたところで、じゃあ体制崩壊しない核放棄を話し合おうとしか思えません。悪いこと言わないから観念しろって感じですね。イランだって核開発してないって言うのに(信じるかどうかはさておき)、北朝鮮は堂々とし過ぎでしょう。北朝鮮の如きならず者に核武装させて是とする国際社会はないと知るべきだと思います。
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開戦に至る日米関係史と満州事変

2017-12-16 09:36:14 | 日記
歴史というのも勿論様々なファクターが複雑に絡み合うものであり、例えば唯物史観のような単純なものの見方をするべきではないと筆者は思いますが、それでも大づかみで何故日米が戦争に至り日本は完敗したのかを考えることは、歴史の教訓を引き出す上で無駄ではないだろうと思います。日本は真珠湾攻撃で奇襲開戦したものの、その後は健闘むなしくコテンパンにやられています。日中戦争以降、アメリカは援蒋ルートで事実上の敵国だったと思いますが、通説的な理解だと南部仏印進駐で石油禁輸が実行されたことにより、日本は対米戦を決断したという流れになります。ただ、事前に対日石油禁輸の可能性を警告され報告もされた上で、それを無視して南部仏印進駐したということですから、石油禁輸は寝耳に水の話ではなかったのではないかとも考えられなくもありません。蘭印作戦当時の蘭印の石油の年間生産量は日本の年需要量を上回っていたようです。関係悪化を口実に蘭印作戦を行い占領すれば石油禁輸をされてもお釣りがきます。こう考えると当時の日本が意外に合理的に動いたとも考えられますが、良く分からないのは何故蘭印作戦だけに止めなかったかです。蘭印だけで足りない資源があったか、日本が支配する地域(中国など占領していました)全体の需要を満たせなかったから、ジリ貧が見えていた可能性もあります(石油が無くなってから戦争を仕掛けられたらボロ負け確実です)。あるいは既にアメリカが事実上の敵国であったこと、同盟国ドイツとも大西洋の戦いなどアメリカは事実上の敵国であったことから、アメリカからの開戦が避けられないと見た可能性もあります。実際には日本が開戦を決断したのですから、日本(やドイツ)がアメリカに戦争を仕掛けなかったらアメリカの本格的参戦はあったのだろうかという疑問なしではありませんが、第一次大戦でアメリカは参戦したのだから、いずれ参戦するが当時の認識だったのかもしれません。いずれにせよ、日中戦争の時点で既にアメリカと間接的に戦争状態だったと見ることもできますから、何故そこまで険悪な状態になっていたかを見なければなりません。

日米関係史の始まりは一般にペリー来航だと思いますがそれはさておきます。アメリカのアジア進出はペリー以降もそれほどではなく、明治期アジアにおいてより存在感があったのは、イギリスだったと思います。日英同盟・日露戦争がありましたし、イギリスは中国とも戦争しています。日露戦争後にアメリカ大使館の襲撃もあったようで、それによる関係悪化も考えられますが、第一次大戦やシベリア出兵で日米は同じ陣営に属しましたから、決定的なものであったとは考えにくいところです。

やはり日中戦争を見るなら満州事変を見ないと分からないところがあると思いますが、かと言って=日本が先制攻撃で悪いと日本が見る必要はないと思います。日本には日本の言い分があります。

満州事変(ウィキペディア)

>中国は清朝時代の1902年の英清通商航海条約改正交渉より、領事裁判権の撤廃や関税自主権の回復など国権の回復に着手しており、中華民国蒋介石派は1919年7月のカラハン宣言以降、急速に共産主義勢力に接近し、国家継承における条約継承否定説を採用し、日本との過去の条約(日清間の諸条約)の無効を主張しはじめた。とくに第二次北伐に着手中の1928年7月19日には日清通商航海条約の破毀を一方的に宣言し、これに対して日本政府はその宣言の無効を主張した。

>また1915年のいわゆる対華21カ条要求をめぐる外交交渉のさい対日制裁として発布された懲弁国賊条例はこの交渉で締約した2条約13公文に完全に違背する条例であったが、1929年に強化され「土地盗売厳禁条例」「商租禁止令」などおよそ59の追加法令となり、日本人に対する土地・家屋の商租禁止と従前に貸借している土地・家屋の回収が図られた。間島や満洲各地の朝鮮系を中心とした日本人居住者は立ち退きを強要されあるいは迫害された。このことは満洲事変の大きな要因となる。

欧米との不平等条約の改正問題で穏健かつ漸進的に交渉を積み重ねた優等生的な日本と違い、中国は日本をターゲットに暴力的かつ急進的な手法で条約改正を迫りました(条約改正(ウィキペディア))(欧米列強に対抗すると結束されるから人種が違う日本をターゲットにしたのかもしれませんし、歴史的経緯から下に見ていた日本に負けた屈辱感から日本をターゲットにしたのかもしれません)。明治維新以降当初の日本のアジア主義(ウィキペディア)(>欧米列強の脅威の排除とアジアとの連帯を目指した主張)は中国・朝鮮と提携を目指していました。これが日清戦争・日露戦争の勝利を経て強い日本を盟主とする新秩序を目指すものに変わっていきます。日本としては中国や朝鮮に支援してやったという意識があったんだと思います(例えば和製漢語(ウィキペディア)>和製漢語は特に近代以降、中国に逆輸出されたものも少なくない。中国が近代化を遂げる過程で、特に日清・日露戦争前後に、中国人留学生によって日本語の書物が多く翻訳されたことが大きいともされる。中国語になった和製漢語の例として、「意識」、「右翼」、「運動」、「階級」、「共産主義」、「共和」、「左翼」、「失恋」、「進化」、「接吻」、「唯物論」など種々の語がある。中国でも自ら西洋語の翻訳を試み、華製新漢語なるものを作り出していた。しばしば和製漢語と競合するようになることもあった。>「中華人民共和国」の「人民」「共和国」も和製漢語であり、国名だけでなく中国の体制に必要不可欠な概念までも和製漢語には含まれている>こうして日本人により作られた大量の漢語が中国のなかに入ったことに対し、賛成する中国人もあれば、強烈に抵抗を唱える人もあった。>梁啓超、孫文、魯迅、毛沢東などは賛成派であった)。それが戦争で勝つことにより日本がリーダーでいいだろうという意識が強くなり、大国でかつて日本の先生だった中国のプライドを傷つけていたのかもしれません。抗日にはそうした背景があったと思います。日本としては何とか欧米列強に吞みこまれないよう必死だったし、清は改革が遅れ隣国で利害が対立する国だったから衝突しましたし、日露戦争で特には協力できた訳でもありません(日露戦争で日本側に立ったのが英米でロシア側に立ったのが仏独です。清や朝鮮は保険をかけてどちらにも協力したようです。勿論同じ人がどちらにも協力した事例はあまりないと思いますが、日和見で一部の人が見返りを求めてそれぞれ異なる外国勢力に近づいたと見るべきでしょう。これは国内事情ですが、日本でも古来武士は親兄弟分かれて異なる勢力について戦争を行うことは珍しくありませんでした。家を残すための保険です。ずっと英米と連携していたらアメリカとの開戦は無かったでしょうが、日英同盟は解消され結果的に日本と英米は戦争に至ります。ドイツとは対立が多かったですが、義和団の乱では同じ陣営でした。フランスとは第一次大戦・シベリア出兵で同じ陣営です。いずれにせよ、何処かと協力したらずっと一緒というナイーブな世界ではなかったと思います。日英同盟を継続していたらどうにかなったかもしれませんが、日米は対立することも多くなり結局は破局に至ります)。日本は歴史の自然な流れでアジアのリーダー意識を強めたと思いますが、中国・朝鮮は歴史的経緯で日本に対抗意識があり抵抗運動があったと思います。支援してやったのに(特に朝鮮には)逆らっているという意識が日本にはあるでしょう。ですが、特に日本には中国・朝鮮を差別する政策はありませんでした。日本=悪魔の図式は大体プロパガンダだと思います。日本も勿論完璧ではありませんが、当時の国際社会の中では大筋優等生的にふるまったはずです(軍人の暴走を抑えられなかったことや(結局武士の国だったのでしょう)、鉄拳制裁などの下のものに対する厳しい躾が「平等に」外国人に向いて恨まれた可能性はあると思います)。にも関わらず、自分達がやってきたことと同じことが出来ず、(日本から見て)暴走した中国に対する制裁意識が満州事変に繋がったと思えます。当時の日本人は中国・朝鮮に悪さしたとは思ってなかったでしょうし、筆者から見ても当時としては然したる問題も無かったように思えます。これは欧米列強に対してもそうでした。反省点としては、日本がアジアにおいて強くなり過ぎたことによって、欧米列強の警戒心が高まり対抗馬(中国)を支援し始めることまで計算に入れられなかったことではないかと思います。三国干渉など煮え湯を飲まされた経緯はあってそれが分からないということは無かったはずですが、それが欧米何するものぞ我々こそがと悪い方向に行ったかもしれません。結局のところ、日本は長らく武士が支配する国で明治維新も武士が起こした革命でした。島国ですし、外交・政治がそれほど得意でもなく、武士の論理に限界があったということではないかと思います。下のもの(軍人)が暴走したのも、武断的な価値観を上層部が貫徹しないできないことによる反発があって、それに同調する国民がいたからではないかと思います。国民性を言い始めることは決定論に繋がり日本は悪くなかった=無謬だったという結論になりかねません。筆者の意図はそうではなく、当時日本では主流でなかったしなれなかった場合もあるかもしれませんが、こう考えこう動くことができれば破局は防げたのではないかと想定し教訓を引き出していくことです。良いところを活かすにしても(それが保守の立場と思っています)、悪いところを改善したり学んだりすることを否定する必要はないのですから。

>1902年の日英同盟の締結を期に、ロシアは満洲から撤兵を開始するが、日本を軽視し全兵力の撤兵は行わなかった。日本では対露強硬論が噴出し、また韓国、満洲の利益に関する日露外交交渉は決裂、1904年には日露戦争が勃発し。1905年、この戦争に勝利した日本はロシアとの間にポーツマス条約を締結した。これにより、日本は、東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権、関東洲の租借権などを獲得した。この規定に基づいて、12月、日清間でロシア権益の継承に加えて併行する鉄道新設の禁止などを定めた満洲善後条約が締結され、1906年6月7日の勅令第142号をもって1906年11月26日に南満洲鉄道が設立された。以降、南満洲鉄道を柱とする満洲経営権益は日本の重大な課題となった。鉄道守備隊はのちに関東軍となった。一方で、日本は、1905年10月、満洲軍総司令官下に関東総督府を設置し軍政を敷いた。これに清が抗議し、日本の門戸閉鎖に英米が反発し、1906年3月に満洲の門戸開放を迫ったため、日本は満洲開放の方針を確認し、同年7月31日の勅令196号をもって、関東総督府が関東都督府として改組された。

一般には栄光の歴史として語られる日露戦争ですが(筆者も評価しますが)、マイナス面も意識されていいと思います。戦費は莫大でしたし、戦果はそれほどなく暴動が起きましたし、自衛と言ったところで、ロシアはある程度撤兵していて何処まで野心があったか不確かなところがあるのではないでしょうか?防衛戦の方がコスト安で守りきれた可能性があると思います。如何せん極東はロシアの本拠地から遠すぎました。満州に根拠地をつくられないよう適度に邪魔をするという戦略も有りえたように思えます。ロシアは倒れ結果的にソ連が生まれています。勿論アジアの小国日本が欧米列強の一角の大国を倒したというのは快挙でした。当時の別の大国英米の協力もありましたし、兎も角日露戦争に勝って良かったとして考えます。英米は協力しましたし、英米の反発を容れるのは分かります。それに対する国民の不満をどうにかできなかったかという考え方は有り得ると思いますが、この辺では明治維新に功があった元老支配で抑えられていたのでしょう。後に軍部が暴走し始めるのは、元老に代わる権威が政治家に無かったからだと思います。権威を言うと何か欧米で嫌われるところもある権威主義のようですが、欧米と異なり日本の借り物の民主主義には権威が無かったと思います。今でもそうした傾向は無きにしもあらずですね。米軍もいますし、暴走は有り得ないと思いますが、潜在的な体質は変わっていないところがあるようにも思えます。今から考えると、当時の事情を国民に説明していたら元老達がそう判断したようにどうにかなったと考えられなくもありませんが、戦争のマイナス面を強調したら一般国民がついてこなかった可能性が高いとも考えられます。大津事件で恐露病のイメージが当時あったはずです。戦争をするなら吞んでかかる必要はあるでしょう。大体が明治維新を成し遂げた雄藩の一方である薩摩は「議を言な」(理屈を言うな実行しろ)の国だから、説明能力を期待する方がおかしいのかもしれません。いずれにせよ、日露戦争の結果の暴動も日本は抑えてその辺は特には大過なかったようにも思えます。

>1922年、日英米仏の四国公使が中華民国政府に対し財政整理勧告を出した。1923年、鉄道において臨城事件が起こり、多数の英米人が被害を受けたため、英米を中心に列強による鉄道警備管理共同案が議論された。また、中華民国の内政全ての共同管理案も議論されていた。

>この列強による共同管理案は、中華民国広東政府をソ連へと近づけさせ第一次国共合作を始めさせたり、直隷派の北京政府にカラハン協定及び中蘇解決懸案大綱協定を結ばさせる原動力となってしまった。

この辺は第一次大戦~シベリア出兵の流れで考えるべきですね。当時の大国英米との協調はこの辺までは上手くいっていたでしょう(しつこいようですが結局のところアメリカと戦争して敗戦に至ります)。ただ、この辺も後世から見ると無謬ではないと思えます。第一次大戦の(欧州での)惨禍は凄まじく国際社会では厭戦感が広がりました(不戦条約など結ばれました)が、ドイツに対する過酷な賠償がナチズムの台頭を許し、第二次戦後は戦争に勝っても過酷な賠償を要求しないようになったと思います(ソ連との対立の問題もあったでしょう)。第一次大戦でロシアは大きなダメージを受け、景気の反動で起こったとも言われる世界恐慌に力を得て誕生したのがソ連です。当時の日本を含む列強はこれに介入しました。それがシベリア出兵ですが、ほとんど何も成果無く撤兵することになります。日本はほとんど唯一の隣接する大国として(アメリカもアラスカで隣接していると言えなくもないですが)大兵を送ったようですが、成果がでないことに納得いかなかったのか、最後まで粘って領土的野心を疑われたようです。後世から見ると、犠牲を払って成果はでないわ、欧米に疑われるわ、ソ連に恨まれるわ(恐らく)、何もいいことが無かった事件だと思います。粘り強さ・強い意志は日本の美点かもしれませんが、ここでは裏目に出ているような感じがあります。やってみないと分からないにしても、駄目だと判断したらさっと引くような合理性が感じられません。シベリア出兵に踏み切ったのが寺内内閣で、そのシベリア出兵が原因で起こった米騒動の対処に失敗した寺内内閣は倒れ、続く原内閣は英米協調路線に転じたもののシベリア撤兵を実行することはできず、高橋内閣を経て、海軍大将の加藤友三郎内閣においてシベリア出兵の中止が決まります。ここは軍人が無駄な戦争を止めたという形になりますね。後世から考えると中国がソ連に近づいたことは痛手だったかもしれません。叩かれた国の「弱者連合」ではありますが、共に大国です。いずれにせよ、当時の日本の政権は短命政権が続いてシッカリとした外交ができる状況ではありませんでした。

>関東軍は、地元の親日派軍閥長である張作霖に軍事顧問団を送り、取り込みを図った。しかし、張作霖が排日運動の高まりや欧米からの支援をとりつけようと日本との距離を置き、海外資本の提供をうけて、いわゆる満鉄の並行線を建設し始めると、両者の関係は悪化した。1928年(昭和3年)6月4日、関東軍は張作霖が乗る列車を秘密裏に爆破し、殺害した(張作霖爆殺事件)。事件を首謀した河本大作大佐は、予備役に回される軽い処分とされた。田中義一内閣はこの事件処理をめぐり昭和天皇から不興を買ったことにより、翌年7月になって総辞職に追い込まれた。

日本の失敗の最初のきっかけは張作霖爆殺事件だったかもしれません。明らかな軍の暴走でしたが軽い処分でこれが後の2.26事件など軍の暴走傾向を加速させた印象があります。支配を引き継いだ息子の張学良は柳条湖事件(日本の自演でした)に始まる満州事変で不抵抗を指示して日本の侵略をアシストした形になりますが、これは蒋介石の指示でもあったようです。日本がズルズル事態を拡大させると思わなかったんでしょう。アメリカのスティムソン談話を無視する形になって、関係はドンドンこじれていきます。結局満州国は建設され事態は拡大し、塘沽協定を持って戦争は治まることになりますが、こうした経緯で中国とアメリカを同時に敵に回したことが後の破局に繋がったとしか考えられません。国際連携も総スカンに近い形で脱退することになります。味方の少ない日本はあぶれもの同士でくっつく形になります。当時の日本はこの程度のことも分からなかったんでしょう。あまりに武に偏り過ぎている印象です。そういう意味で中国やアメリカの言い分に理解できるところはありますし、筆者も満州事変について批判的ですが、日本の言い分も(支持しませんが)分かります。

>張学良は、満鉄の付属地に柵をめぐらし、通行口には監視所を設けて、大連から入ってきた商品には輸入税を支払っているにもかかわらず、付属地から持ち出す物品には税金をとった。さらに「盗売国土懲罰令」を制定し、日本人や朝鮮人に土地を貸したり売ったりした者を、国土盗売者として処罰した。多数の朝鮮人農民が土地を奪われ、抵抗した者は監獄に入れられた。満洲事変直後、奉天監獄には530人の朝鮮人が入れられていたという。そのうえ、林業、鉱業、商業などの日本人の企業は、日露戦争後の日清善後条約で、正当な許可をえたものは、満鉄付属地外でも営業できることになっていたが、昭和5、6年には、一方的な許可取り消しや警察による事業妨害のために、経営不振が続出した。奉天総領事から遼寧省政府に交渉しても、外交権はないので南京政府の外交部に直接交渉するようにと相手にされなかった。外務省を通じて南京総領事が南京政府に交渉しても、いつまでたっても音沙汰なしであった。満洲事変前には、このような日中懸案が370件あまりあった。危機感を抱いた関東軍は、再三に渡り交渉するが聞き入れられなかった。これにより関東軍の幹部は、本国に諮ることなく、満洲の地域自決・民族自決にもとづく分離独立を計画した。

結局のところ張作霖も張学良も日本を満足させることができず、日本から見ると暴走しています。自分達の土地という意識だったのでしょうが、漢民族は新参で本来満州において余所者に過ぎません。張作霖というのも馬賊の頭目あがりで、所詮はならず者に過ぎません。満州を大きな犠牲を払ってロシアから解放したのは日本という意識が日本にはあったでしょう。中国人はほとんど指をくわえて見ていただけであがりを掠め取った存在です。当然日本が権益を確保して然るべきと思っていたでしょうが、その結果アメリカなどの軍閥支援にイラついていたと思います。そこで我慢ができなかったのが誤りだったでしょう。アメリカを説得し協調路線をとるか、あまり無茶をせず国際社会の反発を大きく招かないように行動すべきだったとしか思えません。リットン調査団の報告書も日本に配慮があったと言われますし、日本が国際社会に受け入れられる言い分で行動できればどうにかなる余地はあったのではないでしょうか?ある程度分かっていた人はいると思いますが(昭和天皇など)、如何せんそうした声は日本では小さくどうにもならなかったということになるんでしょう。やはりそうした反省を元にこれからの政治はつくられていくべきなのだと思います。

簡単に纏めると戦前に無く今も怪しいのは国際協調路線と国益の確保及び主権者の意志の尊重のバランスですね。国益の確保が無さ過ぎると何のための国だと怒る国民が当然出てきますし、国際協調がないと戦前のように国際社会に総スカン(に近い感じでした)をくらって破局に至ります。戦前の日本に国際協調が無かったとは寧ろ思わないのですが、国益への配慮が無さ過ぎたせいで国民や軍の暴走を止められなかった(その後国際協調路線を切った)のかなという印象ですね。じゃあ俺達がやろうと軍が思って国民もそれを支持した感じだったんでしょう。今の外務省も国際協調路線は寧ろ良くやっている方かもしれませんが、日本は安全保障政策をあまりにやらな過ぎた印象があります。戦前の失敗が頭をよぎるのかもしれませんが、もういいでしょう。別に依存するつもりもありませんが、戦前と違って日本だけが全てでなくなりましたし(米軍もいますし)、安全保障政策はシッカリしていく必要があると思います。軍隊がない世界という念仏を唱えても仕方がありません。隣国は小さくない軍隊を持ちせっせと周囲を侵略しているのですから。また、国民を納得させていく外交も必要でしょう。専門家(外務省)から見たら国民の議論などちゃんちゃらおかしいかもしれませんが、主権者は国民です。主権者をあまりに置き去りにすることは寧ろ危険で、それが戦前の反省でなければならなかったと思います。メンツがある国で反省も難しいかもしれませんが(筆者も納得いかないことで強制されるとイライラする性分ですが)やらなければいけないことなんだろうと思います。
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小池・小泉「脱原発」のウソ(第1~4章)

2017-12-11 22:21:39 | レビュー/感想
筆者は経済の観点からも原発の再稼動を目指していますが(事故を受けて原発が経済的ではないと喚く方々が一杯いらっしゃって、明らかに再稼動の邪魔になってきましたが、再稼動が経済的なのは誰の目にも明らかです)、フェードアウトするのではなく、将来的にはリプレースで原発(技術)を維持していくことを目指しています(ですからこの本に注目しました)。前回書きましたが、化石燃料(事実上天然ガス)依存は将来性がないですからね。資源は有限です。一度技術が失われると後で背に腹変えられないと復活させようとしても、非常に難しくなります。これはイギリスの例があります(37p)。北海油田の発見で原発を止めてみてはいいものの、油田が枯渇してきて原発を復活させようとしたら、技術が失われてしまって、結局中国の原発に頼ることになりました。安全保障上問題あるとかで迷走しましたが、結局懸念に目を瞑って中国の原発が建設されることになっています。笑えない話ですが、近視眼的に脱原発を進めれば、日本もいずれそうなるのではないでしょうか?そうなるとこういうふうにおちょくる人も出てきかねません。

核のゴミに関しては陸地から海に向かって斜めに坑道を掘る手法も考えられるようです(42p~43p)。

溶融塩炉の可能性も指摘されています(97p)。検索しましたが、トリウム熔融塩炉が次世代原発として注目されているようです。例えば、トリウム熔融塩炉は未来の原発か?(WIRED 2012.05.03 THU 12:00)>トリウム熔融塩炉を使用すれば、プルトニウムを燃やしながら新たなエネルギーを生み出すことができる・・・核拡散の問題がほとんどないようです。例えばイランなんかもトリウム熔融塩炉にしてくれれば、疑惑は少くなくなりますね。>世界中のほとんどの国で採掘できます。残念ながら日本では採れませんが、実はトリウムは、電気自動車やハイテク機器に欠かせないレアアースに含まれているもので、現在世界中で発掘されているレアアースの副産物としてすでに年間1万トンほどが採掘されています。けれども放射性物質ですから処分に困ってるわけですね。それを利用できるとなると燃料問題はおよそ片付いてしまいます。というのも、年間1万トンのトリウムで100万kWeの原子力発電所を1万基稼働できてしまうからです。・・・日本のアキレス腱資源問題が結構解決してしまうかもしれません。中国もそれを狙って開発しているようです。>爆発要因はありませんから・・・これなら心配性の人も不安解消。>そもそも軽水炉を含めた原子力発電所っていうのは、一種の「化学プラント」であって、本当は電気屋さんではなく、化学の専門家が扱うべきなんです。それはワインバーグもウィグナーも言っていたことで、日本でいち早くトリウム熔融塩炉の可能性に気づいた古川和男先生も言っていたことです。・・・こういう本質的な議論を踏まえて技術開発を進めていければいいんですけどね。まぁいろいろ事情はあったんでしょう。プルトニウムが出ないとか?(トボケ)>熔融塩炉に関して言うと、日本には熔融塩の研究者は他国と比べるとたくさんいますし、黒鉛の専門メーカーもある。そのほか鉄鋼技術や高温融体の研究なども進んでいます。つまり日本がリードできる要素技術はもっているわけですし、それを新しい産業へと発展できるんです。中国が開発に乗り出すというのなら、日本の技術力を生かすいい機会だと思いますよ。本当は原子力研究所などがやるべきなんですが、高速増殖炉と軽水炉の路線が法律で決められちゃってますからね。・・・脱原発は日本とドイツで目立ってますが、世界では別段脱原発ということもなく、途上国を中心に建設は続いています。ビジネスチャンスはあるでしょう。イメージは悪いですが、日本の耐震技術が優れていない訳ないと思いますね。原発だからこそ日本です。多分。>80億とも90億とも言われる膨大な人口増加によるエネルギー需要を賄うための現実的な方策としては、原子力以外にいま有効な手だてはありませんから、その研究・開発を止めるという選択肢はありません。・・・再生可能エネルギーって自然任せですから、本質的にダメで見込みがない電源なんですよね。優れた蓄電器が開発されないとどうしようもないこと確実でしょうが、それも中々難しいのでは?まぁポンとブレイクスルーしてしまう可能性も無くもないでしょうから、いろいろな技術を開発すればいいと思いますが、電気を貯める難しさを考えるとあんまり経済的な話にならないだろうと思います。ただ、資源の節約にはなるでしょうね。それと気候変動問題対策にもなるでしょう。だから(好みではないですが)ビジネスチャンスにならないとは言いません。それは兎も角、トリウム熔融塩炉はもっと真剣に検討してみるべきでしょうね。日本が開発した(先行した)技術を何時の間にか中韓が使って(追いついて)日本の(コスト面から強力な)ライバルとして現れるの類の話はもうたくさんです。

脱原発派の人に声を大にして問いたいのが、再稼動しないことで年間幾ら掛かっているか?です。何でも年間3兆円支払っているとのこと(104p)。原発は建設費は高いですが、燃料費が安いので、ランニングコストが低いんですね(高い金出して買ったハイブリッド車(プリウスとか)を事故起きたとかで眠らせ、燃費が悪い昔の車を運転するようなものでしょうか?それで年3兆円吹き飛んでいるのだから世話ないです。勿論安全は重要ですが、どうにも脱原発の空気で何となく何も考えず(特に安全も考えず)グズグズしているように見えなくもありません。だってみんな脱原発を言ったところで、何をすれば安全かとか安全に関する政策とかほとんど何も知りませんよね。何となく危ないでただ抵抗しているだけだったりして。脱原発だけに。幾らお金かかってもいい、将来(特に子供や孫)のことなどどうでもいい(有限の資源が厳しくなったらどうなるでしょう?世界の人口は増えているのに)というなら、それもひとつの見識ですが、脱原発の人はそういうことには目を瞑ります。そっちの方が危なかったりして。廃炉も大変ですよ。貿易収支が近年(2011年以降)赤字なのは、原発が止まっている要因が大きいでしょうね(第1節エネルギーコストの状況(資源エネルギー庁)【第131-1-11】)。

※この記事はここまで。4章纏めてやりました。10分割宣言は無かったことに。注目点そのものは10分割できる量あったのですが、いざ書いてみるとあまり面白くないネタも多く、思い切って割愛しました。出来れば今週で終わらせたいですね。
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差別用語を自ら名乗る例

2017-12-11 01:35:52 | 日記
今日の保守速の本スレ(やコメント欄)で、自らネトウヨと名乗る奴はいないと決め付ける投稿を見かけたので、自分のことが言われているような気がして(コメント欄では実際言われたw)、(ここで)反証しておきます。

曰く自らパヨクと名乗る奴はいないという主張らしいですが、なるほど自らパヨクと名乗る奴はいない気がします。どうだか知りませんが。でもネトウヨと名乗ったことがある奴はいます。自分です。保守速の住人的には(自分も結構見ていますし投稿していますが)、ネトウヨを言う朝鮮人だから自分をネトウヨと名乗ったことになるようです。自分の中では説得力ゼロですが(自分が朝鮮人ではないことを知っているので)、事実をそのまま説明できないとくやしいので(そういう性格です)、どう説明すれば分かるか考えました。自分以外の実例など挙げて反証します。

「腐女子だけど」で検索してみてください。グーグルだと約 1,140,000 件Hitして、上位からゾロゾロ自ら腐女子と名乗っている事例が出てくるはずです。

腐女子(ウィキペディア)

>もともとはホモセクシャルな要素を含まない作品の男性(的)キャラクターを同性愛的視点で捉えてしまう自らの思考や発想を、自嘲的(じちょうてき)に「腐っているから」と称したことから生まれたといわれる。使われ始めた当時はへりくだったニュアンスとして、自身の特殊な趣向に対する防衛線の役割を果たしていた。多摩美術大学の溝口彰子は、「マスコミがねつ造したネガティヴなヤオイ愛好家像のステレオタイプに対するレッテルとして、ヤオイ愛好家たちは抵抗を示していた」が、現在は多くの愛好家が自称として使うようになっていると述べている。

>社会学者の上野千鶴子によれば、自らのことを腐女子と表現する背景には、相手から「腐ったような女子」といわれる前に自分からそれを表明して侮蔑を回避するという「居直りのレトリック」があるという。ライターの松谷創一郎は、自分自身を相対視して自虐的に表現するだけの余裕ができたという点において、この言葉の発生はやおい文化の成熟を意味していると述べている。

ネトウヨは明らかな差別用語(らしい)ですから、自ら名乗った(と言われる)腐女子とは違う部分もあると思いますが、そのレッテルに抵抗感を示していたようでもあり(腐っていると言われて通常喜ぶ人はいません)、まぁ似たようなものではないかと思います。ちなみに筆者が2chまとめブログを見だしたのはそれほど昔には遡りませんから、使われだした当初からの状況を知っている古株の人とは、ネトウヨという言葉に対するイメージが違うのだと思います。またコメント欄に沸いている左翼工作員(?)も特に相手にはしていません。触りにいく人の心理も分かるような気はしますが(10数年前だったら自分も自治しにいったでしょう)、実際のところネトウヨという言葉にそれほど(自治しているような人ほど)拘っていないというか、差別用語であることは分かるがさして気にしていないというのが本当のところです。あまりに使われすぎて腐女子は市民権をえつつある印象もありますが、字面を見れば分かるように褒め言葉では勿論ありません。

筆者の性別は男ですが、自ら腐女子と名乗る人の心理は分かります。居直りで言われる前に言ってしまえという感覚がありますよね(自分の記憶では保守でフリーター(無職)を説明しなければならなかった機会に一回だけです)。自嘲的・自虐的な気分の時もあってポロっと言うこともあるでしょう(「自虐 日本」で検索すると 624,000件Hitします。分からない人は参考にしてみてください)(自分の記憶ではこれも保守速のコメント欄で一回だけですが、その時叩かれたから覚えているだけの可能性もあります)。漫画を読む趣味もあります。

他にないのか?あります。「社畜ですが」で検索してみてください。約 703,000 件Hitします。腐女子ほどは自ら名乗っていないようですが、わざわざ自分で社畜と言っている方々が少なからず見つかるはずです。ものすごく居直っている感じがします。勿論社畜は褒め言葉ではありません。

「デブだけど」は、約 955,000 件 Hitします。デブは勿論侮蔑用語です。

「ハゲだけど」は、約 1,020,000 件 Hit。こちらはハゲだけどかっこいいみたいな他人からの指摘も多いですが、結構自らハゲを名乗っている人も見つかります。ハゲは勿論侮蔑用語です。

え?人種差別でそれはないだろって?筆者はネトウヨを人種差別のニュアンスで使っていませんが(そうイメージする人が多いことに気付いたので、これから気をつけていきたいと思いますが)、人種差別用語を自ら名乗るケースも有り得ます。日本ではかなりメジャーなバンドですが(コンビニで有線が流れていた時代に流行ったバンドです。その年代なら誰でも知っています)、THE YELLOW MONKEYなるバンドがありますよね(筆者も結構好きで、歌えないのにカラオケで歌ったものです)。イエローモンキー(ウィキペディア)>黄色人種(東アジア人)に対する蔑称である。人種差別も参照。>THE YELLOW MONKEYは、日本のロックバンド。

日本人こそ、自分を自嘲的に差別用語・侮蔑用語で紹介してしまうのかもしれません。その感覚が絶対に分からない人こそ外人の可能性があります(笑)。どうです?以上反証でした。ブログだとこうやって説明できますが、中々コメント欄など即興でやるのは難しいですね。ネトウヨと自ら名乗る奴はいないと頑張ってた人に、この記事を見せて顔を見てみたい(笑)。

筆者は自虐史観(ウィキペディア)を目指していませんので、そこは誤解無きよう。考えてみれば、ああいうのも日本的な現象なのかもしれません。この辺でも筆者は賛同しながら(つくる会とかいいねと思ったものです)、やや距離を置いているところがあるかもしれません(東京裁判を無かったことにしようとはしないが、パール判事分かるわ~ぐらいの感覚です)。日本の場合(自分を守る)自衛隊ハンタ~イもありましたね。こちらは全く理解できません。当事者じゃないからだと思いますが。
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「議員は国民の代表」を貫徹したらどうでしょう?

2017-12-10 13:36:37 | 政治システム・理論
議員は国民の代表って、まぁその通りと思いますが、議員が国民の代表を言うのは違和感あるんですよね。例えば、半年前の記事になりますが、石破発言です。

自民・石破茂氏「野党の向こうに国民いること忘れずに」と安倍首相答弁姿勢に苦言(産経ニュース 2017.6.25 21:59)

>自民党の石破茂前地方創生担当相は25日放送のラジオ日本番組で、共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法に関する安倍晋三首相の国会答弁について「野党を論破するのはテクニックとして一つのやり方だが、野党議員の向こうには国民がいるということを忘れてはいけない」と苦言を呈した。

「議員=国民の代表だから自重しろ」という主張だと思いますが、これは安倍首相も議員で国民の代表であり、その意味で対等関係にあるということを忘れていると思います。国民の代表を論破したらダメと主張しているように見えますが、論破したらダメだとすると、議論のしようがありません。例えば、党首討論とはあくまで党首同士が討論する場なのであって、別に野党による一方的な首相追及の場ではないはずです。こんなことを身内から言われてしまうようでは、首相も党首討論やりたくないなと思ってしまうでしょう(実際に首相が党首討論についてどう考えているかは知りません)。野党も予算委員会で(予算について議論しろっていう話ですが)一方的に追及していた方が居心地がいいのかもしれません。今年党首討論は行われず、本日の読売社説で今年一度も党首討論が行われなかったことが指摘されていますが、蓮舫代表は党首討論から逃げたとネットで揶揄されています。前原代表は直ぐに選挙になってそれどころじゃなかったかもしれませんが、枝野代表が党首討論をやるかどうかは、確かに次の政治の論点のひとつではあると思います。ただ、なんでも反対を彷彿させる立憲民主の枝野代表が、何処まで自分のビジョンを提示して首相と対等に議論できるかに筆者は疑問を持っています。※朝の党首討論の社説が頭に残ってたのだと思いますが、無理に繋げて石破氏が言ってないことを批判しています。ワラ人形叩きという奴です。申し訳ありません。訂正しておきます。→これは国会答弁ですが、論破したら駄目だとすると、党首討論もおちおちできません。野党が素直な一般人で質問に論破したなら不味いですが、野党はひっかけ粗探しのオンパレードで論破できるならしたくもなると思います。要は文脈でしょう。・・・以上です。以下そのまま。

>石破氏は「野党だって国を滅ぼそうと思って言っているわけでも、荒唐無稽なことを言っているわけでもない。彼らも全国民の代表者で、取り入れるべき主張は取り入れ、取り入れられない点はなぜかということを分かりやすく話すことが大事だ」と語り、首相に丁寧な説明を求めた。

滅ぼそうとは思ってないかもしれませんが、例えば今北朝鮮問題を議論するより、何とか首相や自民党の粗探しで失点させて政権を手に入れるという自らのビジョンに固執しているように見えます。荒唐無稽なことは言ってないかもしれませんが、揚げ足取り・問題の摩り替えの類は日常茶飯事です。取り入れるべき主張は取り入れるなどと言ったところで、安倍政権を倒すためだで、吞めない主張を条件にしてこれが対案だと主張し、拒否されたら結局反対に回ります。

>改正法の国会答弁に加え、首相が意欲を示す憲法改正も絡めて「安倍さんは『政治は結果だ。結果が出なければ意味がない』とよく言う」と指摘した。その上で「結果が出ればプロセスはどうでもいいのかというと、そうはならない。プロセスと結果の2つとも政治が目指さなければいけない」と述べた。

筆者は目指すべきプロセスとは議員同士が対等だと自覚することからしか始まらないのではないかと思います。例えば何が問題か提示できずに「納得できない」とか延々と「追及」した政党がありましたよね。現実世界でそんなことを「追及」をする人物は凡そまともと思われません。完全に粗探しの類です。でも、日本は敬語がある国で、上下関係は社会に割合遍くありますから、自分が上の立場だと認識すると、そういう無茶な追及も問題ないと正当化されるところがあります。政治においては野党が与党と対等ではなく、国民の代表だから(そして相手は何故か(権力だから?)国民の代表ではないから)自分が上位だと誤認して、対等関係だったら絶対に通らない無茶な「追及」をしてしまうのではないでしょうか?

議員を追及してはならないと言っている訳ではありません。条件さえクリアすれば証人喚問などのシステムがあるでしょう。何でもかんでも針小棒大に解釈して粗探しで追及するなら、凡そまともな議論が期待できるとは思えません。筆者の贔屓目かもしれませんが、こういう勘違いは左翼の方に多いのではないでしょうか?国民主権を強く意識しているのはいいとしても、何故か相手も国民の代表だと忘れてしまうのは、相手が権力だから批判的に見るのが当然と強く意識している左翼の方ではないかと睨んでいます。批判的に見るのと下に見るのとでは紙一重のところがあると思います。少なくとも日本では。自分が上だと認識すると、相手の理屈は見なくなるんですね。

ですから全ての議員が議員なら自分と同じという認識の上にしか、まともな議論(自分を聖域にして他人だけ追及するようなことはしない議論、人の話を聞く議論)は成立しないと考えられます。恐らくこれは特に敬語がある文化では普遍的に通用する見方ではないでしょうか?

別に与党議員が総裁を立てるとか、大臣が首相を立てるとか、そのぐらいまでなら文脈も分かりますし、問題ないだろうという認識ですが、与野党議員の間に上下関係を持ち込んでいることが、日本の政治議論がまともにならないひとつの原因かと思って指摘した次第です。
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日中戦争開戦に纏わる誤解

2017-12-09 16:07:30 | 日記
Newsweek12月12日号「「歴史」とは何か、「記憶」とは何か」「「開戦」の歴史と向き合わずに和解はできない」を読みました。

アメリカは開戦に注目し、日本は終戦に注目するという指摘はなるほどそうかなと思いますが、まぁ申し訳ないんですが、日本の議論をよく知らないなという印象がなくもないですね。アメリカの見方として参考になると思いましたので、取り上げます。もっとも誤解だと思うのは日本の開戦時期についてです。

グラック教授は先の大戦の開戦を37年(7月7日)盧溝橋事件、中国においてであると主張しますが、筆者は端的に誤りだと思います。別に1941年の真珠湾攻撃が先の大戦の始まりだから、中国は関係ないと主張したい訳ではありません。アメリカとの開戦を始まりと見るか中国との開戦を始まりと見るかは、どちらでも可能だと思います。確かにアメリカは中国を影ながら支援していましたから、中国との戦いを始まりと見ることに無理はありませんが、そう考えると先に手を出したのは日本との関係ではアメリカという見方も可能です。当時米中軍事同盟があった訳ではありません(少なくともそんな話は聞いたこともありません)から、日本はアメリカには手を出していないという前提で、真珠湾攻撃が日本の奇襲開戦だという話が成立しています。ですから、アメリカに負けて終戦したなら、開始を日本の対アメリカ攻撃に見ることも決して誤りではないでしょう。1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされましたが、(準備はしていたかもしれませんが)これは真珠湾攻撃の後です。日本がアメリカと戦う意図なく中国と戦争を始めたということを意味すると思います。アメリカから見たら中国に手を出していることが自国に対する挑戦だと思えたのかもしれません。この辺は(筆者の知る範囲では)満州の権益争いで日米関係が拗れたことが原因だろうと認識しています(近現代史に詳しくないので誤っている可能性もあります)。その辺はさておき、筆者が指摘したいのは、事実として日中戦争は盧溝橋事件で開戦していないだろうということです。

支那事変(ウィキペディア)

>支那事変(しなじへん)とは、1937年(昭和12年)に日本と中華民国(支那)の間で始まった、長期間かつ大規模な戦闘である。なお、盧溝橋事件(1937年7月7日)は、4日後の松井-秦徳純協定により収拾している。その後の中国共産党の国共合作による徹底抗戦の呼びかけ(7月15日)、及び蒋介石の「最後の関頭」談話における徹底抗戦の決意の表明(7月17日)により、中国軍の日本軍及び日本人居留民に対する攻撃、第二次上海事変が連続し、戦闘が本格化した。したがって、日中戦争(支那事変)の端緒を、盧溝橋事件と考えるか、国共合作による抗戦の呼びかけ・最後の関頭談話と考えるかにより、同戦争の歴史的な評価は大きく変わることになる

>1941年(昭和16年)12月までは、双方とも宣戦布告や最後通牒を行わず、戦争という体裁を望まなかった。戦争が開始された場合、第三国には戦時国際法上の中立義務が生じ、交戦国に対する軍事的支援は、これに反する敵対行動となるためである。国際的孤立を避けたい日本側にとっても、外国の支援なしに戦闘を継続できない蒋介石側にとっても不利とされたのである。

>特に中国にとっては、アメリカの国内法である中立法の適用を避けたかったことも大きい。中立法は1935年に制定された法律で、外国間が戦争状態にあるとき、もしくは内乱が重大化した場合に、交戦国や内乱国へ、アメリカが武器および軍需物資を輸出する事を禁止するものであった。当時、アメリカでは日本に対し中立法の適用を検討したが、中国に多量の武器を輸出していた事もあって発動は見送られた。

支那事変=日中戦争だと考えると、盧溝橋事件で開戦という見方が当たっているように見えなくもありません。ですが、盧溝橋事件は、4日後の松井-秦徳純協定により収拾しているのですから、盧溝橋事件をスタートと見るのは事実として誤りと断定せざるを得ません。終わったのに終わってないというのは形容矛盾です。終わったものを誰かが開始したから、停戦協定後に治まった状況が動いた訳です。他に解釈のしようがあるでしょうか?停戦協定の嘘を真実と認めたら、停戦協定を結べる道理がなくなります。停戦協定が必ず守られると考えるのはナイーブですが、停戦協定をやぶったものを停戦協定をやぶって戦争を開始したと見ない限り、本当のところは分からないはずでしょう。盧溝橋事件はすぐ終わった(同様の事件はその後もあった)。そして何ものかが日中戦争を開始した。これが歴史的事実です。盧溝橋事件とは所詮は小競り合いに過ぎません。まぁ小競り合いが大規模戦争に繋がる可能性も否定できませんが、少なくとも日本は事態不拡大に努めていたようです。

日中戦争をどちらが開始したかですが、これは中国が開始しました。何でそう言い切れるかと言えば、中国自身が戦争(徹底抗戦)を呼びかけて攻撃を開始しているからです。抗戦という言葉に誤魔化されてはなりません。日本が攻撃を開始した訳では明らかにありませんから、抗戦もクソもない訳です。中国が日本の進出に不満を持って追い出したいと思っていたであろうことは理解しますが、事実は事実。如何に中国の見方で中国に大義名分があろうとも、先に手を出したのは中国です。日本にはABCD包囲網などアメリカの圧力が開戦の原因だという主張があって、一定程度の説得力はありますが、開戦したのはどう見ても日本です。それでも開戦させられたと言いたがる人は保守派(右派)には結構多いです。中国も同じでしょう。どう見ても中国から手を出したのですが、日本を追い出すためだったから仕方が無いで(理解はします)、先に手を出すというのは不味いですから、誤魔化そうとしているんでしょうね。日本がそこで徹底的に中国が戦争を仕掛けてきたと宣伝すれば良かったはずですが、何故かそうしていません。当時も説明力が無かったんだろうなという気がしますが、その辺は良く分かりません。国際的孤立を避けたいとか言っても、結局全然避けられていませんし、事変だと日本が誤魔化したのは、戦争が起こってないことにしてアメリカの支援を得たい中国を利するだけだったではないでしょうか?戦争だと宣言して日本がアメリカに中立法を適用されたとしても、交戦国(中国)にも適用しなければならかったはずです。まぁ新しい立法もできますし、米中関係・日米関係を考えれば、戦争が始まったら、日本だけが一方的に制裁されるというのが当時の見方だったのかもしれませんが、中国の攻撃の出だしから批判すべきは批判していればどうなっただろうなと思わなくもないんですよね。青いのかもしれませんが。この辺は中国の開戦をアメリカが事前にどの程度知っていたのかにもよります。

もっと詳しく見るために第二次上海事変(ウィキペディア)を参照します。

>中華民国に駐在していたドイツ軍事顧問団団長ファルケンハウゼンは、「中国の敵は日本が第一、共産党を第二」と考え、1935年10月1日、漢口と上海にある租界の日本軍に対する奇襲を提案し、1936年4月1日、「今こそ対日戦に踏み切るべきだ」と蒋介石に進言し、北海事件後の9月12日には河北の日本軍を攻撃するよう進言した。

>1935年冬、国民政府は、南京・上海方面の「抗戦工事」(陣地)の準備を張治中に密かに命令し、優勢なる兵力をもって奇襲し上海の日本軍を殲滅しこれを占領し、日本の増援を不可能にしようと企図した。このため、上海の各要地に密かに堅固な陣地を築き、大軍の集中を援護させ、常熟、呉県で洋澄湖、澱山湖(中国語版)を利用し、主陣地帯 (呉福陣地: 呉県と福山(中国語版)の間)と後方陣地帯 (錫澄陣地: 江陰と無錫の間)、淞滬線: 呉淞と竜華の間、呉県から嘉興を通って乍浦鎮の間(呉福延伸線)にトーチカ群が設置された。阿羅によれば、呉福陣地や錫澄陣地は、「ヒンデンブルク・ライン」と総称された、という。

中国(国民党政府)が日本を追い出そうとドイツの顧問の意見を参考に戦争準備を着々と行ってきたのは間違いない歴史的事実でしょう。ただし、この時は決断できていないようです。

>7月7日に起きた盧溝橋での日中両軍の衝突は停戦協定で収まるかにみえたが、その後も中国各地で日本軍への抵抗は続いた。直後の7月10日蒋介石は蘆山会議を経て、徐州付近に駐屯していた中央軍4個師団に11日夜明けからの河南省の境への進撃準備を命じた。7月16日には中国北部地域に移動した中国軍兵力は平時兵力を含めて約30個師団に達している。アメリカはこの行動を非難し、地方的解決をもとめている。一方、日本軍は日本政府の事態の不拡大政策に基づき事態の沈静化に努め、8月3日には天津治安維持委員会の高委員長に被災した天津のための救済資金十万元を伝達している。

抵抗と言いますが、日本軍が攻撃してきたとは書いていません。中国軍が抵抗と称して攻撃してきたからです。抵抗と言うのは日本を追い出すことが大義名分になると思っていたからであって、日本が手を出したことに対する直接の反撃を意味する訳ではありません。仇討ちにやや近い感じで、日本が進出した後になって、それを不服とする中国から襲撃してきたと見るのが客観的と思います。いずれにせよ、日本は中国のこうした挑発にのりませんでした。ヒンデンブルグラインとかどう見ても中国がやる気満々で戦争を求める中国に挑発されたからといって、大義名分(日本から先制攻撃)をくれてやって戦争を始める気は無かったんだと思います。しかし指導部は分かっていたでしょうが、国民に我慢を強いたことが後の南京事件に繋がった可能性はあると思います。いずれにせよ、中国のこうした行動は当時の国際社会は承知していてアメリカも中国を非難したようですし、日本は明らかに事態の不拡大政策をとっています。問題は盧溝橋事件の類が日本からの開戦を意図した中国(コミンテルンの謀略だと言う人もいます)の謀略か、偶発的な事件かということです。この辺は個別の事件を丹念に見るしかないでしょうが、その辺は学者・研究者の仕事でしょうね。ちなみに舞台となった上海には上海租界(ウィキペディア)があって、かつての香港のように中国の統治が及ばない国際都市でした。東洋のパリとも言われ、かなり繁栄したようです。

>1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件を発端に、同月28日に至り日中両軍は華北において衝突状態に入った(北支事変)。

停戦したり事件が起こったり派兵したり一触即発の状態でしたが、本格的な攻撃の開始は中国が始めています。日本は事態の不拡大の政府方針通りだったと見ていいでしょう。挑発にのらない日本に痺れを切らした中国がついに決断したのではないかと思います。それでも中国は宣戦布告などしていませんし、宣戦布告なしの開戦を認めた訳でもありません。

>8月12日未明、中国正規軍本隊が上海まで前進、中国軍の屈指の精鋭部隊である第87師、第88師などの約3万人が国際共同租界の日本人区域を包囲した。日本軍の上陸に備えて揚子江の呉淞鎮と宝山にも約1千名を配置した。

>対する日本軍は、上海陸戦隊2200、漢口から引き揚げてきた特別陸戦隊300、呉と佐世保から送られた特別陸戦隊1200、出雲の陸戦隊200、他320の計4千人あまりであった。

>8月19日以降も中国軍の激しい攻撃は続いたが、特別陸戦隊は10倍ほどの精鋭を相手に、大損害を出しながらも、租界の日本側の拠点を死守した。蒋介石は後日、「緒戦の1週目、全力で上海の敵軍を消滅することができなかった」と悔やんだ。

戦争を仕掛ける側が圧倒的に有利な状況にあるのは当然のことです。当然真珠湾攻撃そのものは成功しましたが、日本はアメリカにボコボコにされています。中国は圧倒的に優位な状況で戦争を仕掛けたにも関わらず緒戦から敗北してしまいます(だからウッカリすると日本が攻撃したとか、どっちもどっち式のデマが流れることになります)。ですが、最終的には中国は日本に勝ったことになります。日本がアメリカに負けたことによる棚ボタではありますが、日本が広い国土を攻め切れなかったというのもあります。ドイツもソ連を落とせませんでしたが、広い国は厄介なところがあります。中国は援蒋ルートで英米ソの支援もありました。ソ連もアメリカの支援を受けていたようです。アメリカは今も強いですが、当時も滅茶苦茶強かったということでもあります。戦争中に自分から参戦できなかったのですから、もしも日独が中ソを落とせていれば、アメリカから開戦することは無かったような気がしないでもありません。

>937年8月31日の『ニューヨーク・タイムズ』では一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員によって報じた。1937年10月7日の『シドニー・モーニング・ヘラルド』は「(居留民を)保護するための日本軍は増援を含めて4千だけであった。…ドイツの訓練を受けた部隊から徴用された2~3万の中国軍と向かい合って攻勢を開くだろうとは信じ難い」とする。 また、『ニューヨーク・ヘラルドトリビューン(英語版)』は9月16日に「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じた。

別に歴史を修正する意図はありません。寧ろ当時日本が戦争を仕掛けたと見る外国勢は(恐らく)いなかったのであって、中国がこうした過去の歴史を修正しているように見えます。日中戦争で戦争を停止する試みもあったようですが、この記事の目的と異なりますので、深入りはしません。結局は日本は事態の不拡大方針にも関わらず戦争を止められず、泥沼に入ってアメリカと戦い終戦を迎えます。アジアにおける第二次世界大戦のスタートを中国に見るなら、開戦を決断し実行したのは中国であると事実を指摘するのみです。日本がその辺に気を使わず事態を曖昧にしてきたことも悪いのですが、盧溝橋事件のような取るに足りない小さな事件に着目して、歴史の大きな流れを見失うべきではありません。

中国は最近こういうことに気付いてきたフシがあります。

「抗日戦争は満州事変から」 中国教育省が教材改訂指示(朝日新聞 2017年1月12日00時24分)

どうしても日本から攻撃してきたことにしたいようですが、満州事変は満州国の建国を持って切れているので、無理がある見方だと思います。まぁ近現代において、「中国人の土地」に先に進入したのは日本かもしれませんが、満州は歴史的に満州人の土地で、漢民族が入ったのは清代以降(それも長年移住は禁止されてきた)に過ぎません。人口の問題もあって、漢民族の土地になったていもありますが、中国人自身も含めて少しでも東アジアの知識がある人であそこが漢民族の土地だったと思っている人はいないと思います。そもそも中国に進出したのは欧米列強も同じで、日本は欧米列強の侵略を何とか跳ね返しましたが、そういう複雑な事情が当時にはあります。いずれにせよ、広く戦争をとろうと思えば広くとれると思いますが、満州事変(1931~32年33年)と支那事変(1937年~)を一緒にするのは無理があると思いますから、中東戦争よろしく、第一次抗日戦争、第二次抗日戦争ぐらいにするべきでしょうね。そして二次の方は自分から開戦したのですから、歴史を修正しないでもらいたい。歴史は勝者がつくると言いますが、中国だけが勝者なのかもう一度考えてみるべきかもしれません。

中国が最近言い出したところの抗日戦争の発端満州事変は、日本の謀略による侵略と思います。アメリカもトンキン湾事件を捏造して、ベトナム戦争を仕掛けたということがあったような気がします。まぁ中国には中国の言い分があると思いますが、嘘をついたらいけません。国際社会を騙そうとするのは止めて欲しいですね。アメリカという国も分かってか分からいでか、アジアを良く知らずに中国(韓国)に騙されるところがあるんじゃないですか。戦前日本は台頭するアメリカファクターを重視することが出来ず、敗戦に至ったような気がしますが、中国(韓国)並みといかないまでも、アメリカ世論を軽視して、同様の敗北を繰り返さないで欲しいですね。別に自分の歴史を都合よく解釈しろとも言いませんが、相手の主張で当時の文脈と違うものは資料を見れば分かるでしょうから、相手の修正を止めさせることぐらいは敗戦国でもできるんじゃないでしょうかね。歴史資料(ウィキペディア)を歴史学における資料批判を通じて常識的な解釈をしていただければ、少なくとも筆者が文句を言うことはありません。聞いてますか?中国さん、韓国さん(笑)。

今度は中国の台頭だろと思うそこのあなた!筆者とは相容れない見解のようですね。健闘を祈ります(笑)。

※なお、日中戦争が中国の開戦だというのは筆者が独自に考えたアイディアではありません。筆者が知る範囲では一度だけ会ったことがあるある人(分かる人は分かると思いますが、事情があって名前はあえて出さないでおきます)が言い出したことです。あの国のその筋の人の間では結構周知の事実なのかどうかは知りません。この記事はその着想を元に筆者がNewsweek記事を読んで独自に肉付けしたものです。
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中国よ、おまえもか

2017-12-09 14:49:30 | 日記
Newsweek12月12日号「中国人の命は空気よりも軽い」(李小牧)を読みました。

何でも中国人女子留学生が東京都内で中国人の男に刺殺された事件が中国で話題をさらっているのだそうです(事件自体は1年と少し前に起こっています)。事件については検索したら出てきたので貼り付けて起きます。

友人を守ろうとして殺害された中国人女子留学生の悲劇…「生きる希望失った」母親の慟哭(産経ニュース 2016.12.10 16:00)

李氏によると、殺害された江歌さんは小さい頃に父親を亡くし、母親が女手一つで育て上げた一人っ子で、中国は長年一人っ子政策で来て自分の子供が亡くなったらという不安を抱えているので、(共感して)この事件でヒートアップしてしまうということのようです。江歌さんの母親が犯人に試験を求め、日本で署名運動まで始めているようで、それが中国での炎上の原因になっているようです。日本の司法では初犯で1人を殺しても死刑になるのは極めてまれだが、社会感情や政治状況次第で判決基準が変わるのが当たり前の中国人にそのことは納得し難いとの指摘です。

中国よ、おまえもかって思いますね。何処かお隣に情治国家を嘯き、法律より国民感情を優先してしまう国がありますが、さすが宗主国様といった趣があります。

人口が中国の4分の1のアメリカは死刑執行は年間20人ですが、国際人権団体によると(中国は死刑執行数を公開していません)、中国の死刑執行は1000人を超すとの指摘もあります。李氏が指摘するように、中国人民の命と人権を中国指導者が軽く見ているのは間違いないと思いますが、中国人民自身は一人っ子政策の影響もあって、やや異なる見解があるような気がしないでもありません。例えば中国軍は戦える組織なんでしょうか?(中国軍 一人っ子の若手将兵で惰弱なポテチ族蔓延に危機感も NEWSポストセブン 2015.04.11 07:00)北の某国の人質になるぐらいしか使い道が無かったりして(笑)。アメリカも別に中国人民軍など恐れてはいないと思いますが、まぁ中国と開戦する訳にはいかないというのは分かります(北の某国みたいになりたくなければ、世界の独裁者さん達止めてくださいね?)。幾らメンツを潰されても中々中国ってキツイお仕置きを決断しませんよね。韓国も形の上では一応手打ちしましたし。メンツ重視とは何だったのか?

李氏によれば、中国最高検の機関紙、検察日報は「犯人が中国に帰ったら中国の法律で処罰できる!」と煽っているのだそうです。日本も元検察政治家が他人になりすまして投稿した記事を紹介して流行語大賞をとったり(一応疑惑ですからセーフなようです)、病気の妻から夫を略奪したり、ガソリンプリカで地球5周したり、やりたい放題で背筋が寒くなったものですが(てか、おまえこそ氏ね)、1人の問題行動と組織の問題行動は比べるまでもないような気はしますが、政治家ですからね・・・。理論上は首相になる可能性があるのが恐ろしいところです。

事件そのものに関しては、痴情のもつれで巻き込み殺人ですがら、それほど再犯の可能性無いですし、やはりそこまで重い量刑にはならないような気はします。金のためとか快楽のために殺人を繰り返すとかしたら日本でもアウトかと思いますが。これは殺人未遂であって殺人罪ではありませんが、殺人に関する量刑の基準に関して殺人未遂における量刑の相場|量刑の加重減軽を決める基準(刑事事件弁護士ナビ)を参考にしました。犯人は黙秘していますし、あまり反省の色もなさそうですから、それほど情状酌量はないかもしれませんが、死刑相当とは思いませんね。筆者も日本の殺人に対する刑罰は若干軽いような気がしますが(素人の感想です)、殺意が無ければ(証明も難しいと思いますが)、死刑は重すぎる印象です。当人と話し合おうとして邪魔され激高して暴力をふるったということなんでしょうか?良く分かりませんが、日本の司法は精査して妥当な判決を出すのではないかと思います。犯人は協力的ではないようですけどね。こういう人物について報復が怖いですから、被害者が本当のことを何処まで言えるかの疑問は無くもありません。そう考えると中国の判断が妥当に思えるかもしれませんが、この程度(?)で死刑判決を出していたら、中国人自身から見ても、死刑が年間1000人では足りなくなるんじゃないだろうかと思わなくもないですね。やっぱり炎上したからパフォーマンスで殺そう(しかも検察当局が自ら関与)という危険なにおいを感じます。
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中国軍駐留で金正恩政権の安全を再保証する案の検討

2017-12-09 13:53:46 | 政策関連メモ
Newsweek12月12日号の「中国軍駐留で北の非核化を」(オルトン・フライ米外交問題評議会名誉研究員)の記事を読みました。

何でも中国軍が北朝鮮に駐留して金正恩政権の安全を再保障する案があるのだそうです。これは冷戦の時のヨーロッパや東アジアでも成功した戦略で、ソ連は東欧の国々を衛星国として再保障し、アメリカは西欧の国々を再保障して、欧州での熱い戦争を防いできました。英仏は核武装していましたが、国連の常任理事国です。北朝鮮は後ろ盾の中露を含めて国際社会一致して非難される存在ですし、勿論核武装が有り得ないことは言うまでもありません。

一見なるほどと思うアイディアですが、やはり問題もあります。中国はそうしたことを行った経験が無く中国自身にこれまでの主張を修正させることもそうですが、何より北朝鮮が中国を信用するのかという問題があるでしょう。筆者もこれまでの経緯(中国にパイプがあった正恩の叔父で当時の北朝鮮No2は一族郎党を含めて処刑されました/中国は自身で北朝鮮に対して影響力が無いと再三主張しています)から、中国軍の北朝鮮進出を北朝鮮が認めるか怪しく思っていますが、最近でもムガベ排除にパトロンの中国が関わっていたのではないかと疑惑があります。チベットやウイグルでの行動を見ていても、中国に進出させると乗っ取ってくるのではないかという印象が先行すると思うんですよね。東シナ海・南シナ海・インド国境での行動を見ても、陰険なサラミ戦術を行使しますし、クーデターなどやられたら堪ったものではありません。絶対無い案とも言えませんし、北朝鮮が核を放棄するなら何でもいいところはあると思いますが、実現には高いハードルを幾つも越えないといけないと思います。いずれにせよ、北朝鮮は最大の支援国中国とも真摯に話してみるべきなんでしょう。

ロシアファクターも考えなければなりません。ロシアが北朝鮮を中国の衛星国にすることに同意しないと状況を掻き乱してくる恐れがあります。最終的には旧ソ連(中央アジア)にロシアが進出して、北朝鮮には中国でいいと思いますが、後ろ盾が2つあると天秤をかけて北朝鮮が自身に有利な立ち回りをしようとして話が進まない恐れがあると思います。順当にロシアに手を引いてもらえるようロシアに対して働きかけたり、必要なら仲介するなど中国とロシアの手打ちを促す必要があるのではないかと思います。まぁあの二国が結託して北朝鮮を支えるという最悪のケースも考えられます。そうなった場合もどうすべきか考えなければなりません。

中国自身の人権状況が悪いですから、あんまり拉致問題が進展しそうな案ではありませんが、兎にも角にも北朝鮮が核を放棄して話し合う環境ができれば、ある程度は何とかなる可能性もあります。それでも何も進まないよりマシと考えるより他ないのではないでしょうか?

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