小学生の時、城北中央公園でみた透明の蝉の事だ。
透明な蝉が砂利道の上に落ちていた。おもちゃだったのかもしれないけど、そのとき私は呼ばれていて、急いでいた。
断片的な夏の記憶。
あれは脱皮したての本体だったのか、あるいは全く別のモノで勘違いなのか。
気になって現場に戻ってみると跡形もなかった。
それでも脳内のセミの映像は今でも残っている。
夏は何か思い出すことが多い。
暑いし、脳の活動が低下しているからか、あるいは肉体の限界が近付いているのか、ありえないほど高く青いそらと、絵に書いたみたいな雲とセットで、スイカを食ったりセミと戯れた思い出が脳内に残っている。
脳には「夏の思い出置き場」という物があるのかもしれない。
それにしても、そこには大事な公式も歴史の年号も英語の冷蔵庫の綴りも入っていない。
ただ無闇にべとついて、無駄に暑い夏のぼんやりした記憶があるだけだ。
40年以上生きてわかったのは、人間の記憶なんて多かれ少なかれこんな物なのだということだ。
今年の夏はちょっと意味が変わってしまった。
スイカについて、味以外の部分を考える必要があるなんて、オレの夏休みの宿題にはなかったけどなぁ。
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