日常

『「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として』

2012-11-26 21:14:13 | 
エンデの「モモ」関連本を読む過程で、
子安美知子さんの『「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として』朝日文庫(1991/01)も読みました。かなり前に古本屋で100円で購入したのを記憶の片隅に覚えていて、本棚奥深くから引っ張り出したのです。

<参考>
○感想:エンデ「モモ」(2012-11-18)
○感想:「闇の考古学 画家エドガー・エンデを語る」(2012-11-21)


シュタイナーは、すごい人です。計り知れないところがあります。
「霊学」として、不可視の世界を可能な限り論理的に表現しようとした人。
シュタイナーの文章は明晰で論理的で、ただものじゃないことを醸し出します。(シュタイナーの地球の進化とかアカシャ年代記辺りの話(人間が何度も輪廻転生してきたように、地球も輪廻転生をしていて、過去は土星紀、太陽紀、月紀があって、未来には木星紀、金星紀、ヴルカン星紀へと進化していく・・・、今の段階ではよく理解できていません。)は、自分の能力ではまだ追いつけていませんが・・)


いづれ自分の理解能力(CPU)が向上すれば分かるようになるかも、とおもい、古本屋で見つけるとシュタイナーの本はコツコツと買いためています。
<参考>
○感想:シュタイナー「魂について」(2012-04-05)


シュタイナーはあまりに霊的な力がすごく、当時のヒトラーにおそれられ毒殺された、という説があるくらいです。(Wikipediaなどより)



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エンデ
『父エドガーは、物理的可視的世界の対象物を描くことよりも、不可視の精神世界になみなみならぬ関心をもっていました。
東西の神秘思想を読み漁り、シュタイナーの講義ノートを友人から借りるなどして、「天使も悪魔も実在する」という確信で絵を描きました。』
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子安美知子さん
『シュタイナーはテオゾフィー(神智学)の運動から離れ、1913年に新しくアントロポゾフィー(人智学)協会を作りました。
アントロポゾフィー(人智学)に変わった決定的な新しさは、神秘修行において個的な自我を尊重し、さめわたった現代的意識で超感覚界の認識を得るという点にあります。』
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子安美知子さん
『アントロポゾフィー(人智学)には非常に内的な秘教の面と明白に外に現れる実践面とが、わかちがたく一体化している特徴があります。
それは目に見える物質界の背後に、物質界と同じ客観性を持ったガイスト(精神)の世界があるという世界観から来るのです。』
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→子安さんによると、エンデはシュタイナー学校に通っていた時期もあり、父エドガーはシュタイナーの文献を精読していたということもあり、絵画を通してシュタイナーと同じ世界を感じる、と書かれています。
シュタイナーへの造詣が深い子安さんが、シュタイナーの窓からエンデのモモを読み解いているのがこの本。
文庫のあとがきには自分が大大尊敬するあの河合隼雄先生!が書いています。ありがたやー。





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シュタイナー「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」より
(他人の語る言葉に耳を傾けるあり方)
『自分自身の内なるものが完全に沈黙するようになる習慣が身に付かなければいけない。
・・・・
ひとつの練習として、ある期間自分と正反対の考えに耳を傾け、一切の賛成、とくに一切の否定的判断を完全に沈黙させる行をみずから課する。
一切の合理的な判断が静まるばかりではなく、嫌悪、拒絶、いや賛成の気持ちも、いっさい沈黙することが大切である。
特に本当に注意深く自己観察をする必要があるのは、そうした感情がたとえ意識の表面にはのぼらないようでも、自分の心の奥深いところにひそんではしないだろうか、という点である。』
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→これには驚きました。自分が臨床の現場で学んだことと全く同じことを言っていましたから!
「モモ」の感想の中で、『聞き手は一切の理性的判断を捨てる。心の内で批判的に聞いたり、心の内であれこれの解釈をしながら聞くことをすべて放棄する』ことが相手の話を聞くことの本質にある、と書いていたのでした。

シュタイナーは障害時教育にも力を入れていて、そのことがシュタイナー学校につながった、とようです。
そういう一筋縄でいかない現場知識と、人間の魂(ガイスト、ゼーレ、スピリット・・・)との対話を最重要課題にしているシュタイナーの霊学の知識が連結すると、同じような見解に到達。驚いたとともにそこに何か普遍的なものを感じます。



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子安美知子さん
『世界は物質界と精神界のふたつから成り立ち、ふたつはどちらも確固たる現実だ。
ふたつの世界の相違は、ひとえに肉眼で見ることができるかできないかにかかっている。
けれども、その見えない世界も、ひとは修行にとって徐徐に知覚できるようになる、というのがシュタイナーとエンデの共通前提であり、アントロポゾフィー(人智学)の道でもあります。
「より高次の世界」とは、目に見える物理世界を最下層とした場合の、上層にある不可視の諸世界のことです。』
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→現代物理学でも宇宙の構成物質は3%しかわかってなくて、97%はなんだかよくわからんもの(ダークマター(暗黒物質)+ダークエネルギー(暗黒エネルギー))で占められていると言います。

この宇宙を含む自然界では、ほとんどのことが分からないし目に見えない。宇宙は真っ暗です。
だからこそ、目に見えないものに大事なのものが含まれているし、目に見えるものだけにひっぱられると、それは大いなる偏見を生み出します。
偏見は「偏った見方」と書きますし、見えるものや見えないものをどう見るか、そこには慎重でありたいものです。



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エンデ
「モモの人の話に聞き入る力、その秘密は自分をまったくからにすることにあります。
それによって自分の中に他者を迎える空席ができます。
そして、相手をこの空間に入れてあげます。モモは、そうやって彼女の中に入って来るものが、良いものか悪いものかと問う事をしません。」
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シュタイナー
『こうして人間は、自分をまったく無にして他者の言葉を聞けるようになる。
自分のこと、自分の意見や感じ方を完全に排除して、自分と正反対の意見が出されるとき、いや「およそひどいこと」がまかり通る時ですら、没批判的に聞き入る練習をしていくと、次第に、そのひとは他者の本質と完全に溶けあい、すっかりこれと合体する。相手の言葉を聞くことによって、相手の魂の中に入り込む。』
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『その音が自分の魂の外に存在するなにものかを告げている、という事実に全注意力を集中し、自分と異質なそのもののなかに沈滞する。』
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→「聞く」ことに実践的な説明がなされています。

物語はファンタジー・メルヘンという非現実的な世界で閉じることも可能ですが、エンデはこの現実世界に立ち向かうために、メルヘンという開かれた不可視の世界を構築しているかのようです。



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子安美知子さん
『意識ということが、非常に欠かせない事なのです。
自分を無にする、空にする、と言っても、その自己への意識が目覚めていなければなりません。』
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『シュタイナーの説く修行は、まず毎日の中に日常とは全く異なる事柄のための時間を確保することから始まります。
その時間内は、自己を完全に日常生活から隔離するのです。
夜眠りに着く前に、1日に自分が体験したことを山の上からふもとを見下ろすような具合に、つまりより客観的に眺め直す習慣をつけます。』
『この能力が備わって来ると、人間が本質的なものと非本質的なものを選り分ける習慣ができてきます。』
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『どの人間もその日常人間のほかに、もうひとりの高次人間を内部に持っているのです。』
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→自分にとって、読書体験が同じような意味を持つ気がします。
どんなに日常の仕事が忙しくても、<日常とは全く異なる時間>を作り出して読書世界に没入する。ふと、日常の自分がした行為を反省し、改善できることを改めながら明日へと生かしていく。
だからこそ、読む文学作品、見る芸術作品、聞く音楽作品は、この世の喧騒から遥か彼方へと離れた、異次元のような世界観が好きなのです。
日常を表面的になぞるような作品は、もう日常そのものでお腹いっぱい、ということで。




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子安美知子さん
『シュタイナー自身はアントロポゾフィー(人智学)を定義づける必要がある時、「人間自身が人間であると意識すること」だと言い、「人間の中のガイスト(精神性)を宇宙のガイスト(精神性)に導いていくこと」だとも述べています。』
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『人間は三重の存在です。
身体(Leibライブ)、魂(Seeleゼーレ)、精神(Geistガイスト)です。
Seele(ゼーレ)は主観的なもので、Geist(ガイスト)は客観的なものです。』
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『身体界で死んだ人間には、ガイスト(精神)界での生が始まる、というのです。
ガイスト界での生がしばらく続くと、人間は再び地上の物理空間におりてきます。こんどはガイスト界での死であり、身体界での誕生なのです。
シュタイナーは、どの人間もこうした転生を過去においてすでに無数に繰り返し、未来にもまた果てしなく繰り返すのだ、と言います。』
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→人間は3つの要素から成る。
日本語だと、からだ・こころ・たましい(肉体・精神・魂)と表現する事が多いですが、エンデではそれに対応して身体(Leibライブ)、魂(Seeleゼーレ)、精神(Geistガイスト)という言葉を使っています。
いづれにしても、身体(Leibライブ)、魂(Seeleゼーレ)をつなげて生命を与えるものが精神(Geistガイスト)
二つの対立しているように見えるものがあるとき、必ずそれをつなげている不可視のものが存在していると思います。それは常に注意しないと見落としてしまう重要なもの。当たり前であるほど、認識の前提から外れやすいものなのです。

死は生のはじまり。生は死のはじまり。
すべてのものにおいて、始まりもなければ終わりもない、というのが真実なのでしょう。
はじまりや終わりは、常に人間の脳の解釈が作り出す便宜的なものです。
そうして万物はバランスや調和がとれているようです。



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子安美知子さん
『自我は地上生の繰り返しと、その中間のガイスト(精神)界での生を通じて、発展ないし成長していきます。
ひとりひとりの自我に様々な成長の段階や多様性が伴ってきます。

それは、ガイスト(精神)界から自我が下りていくとき、まず魂の衣を身に着け、それから地上の身体と言う住み家に受肉するわけですが、その地上生のありかたが、ひとりひとり全く異なって来るのは必然の成り行きです。

ガイスト(精神)界は純粋に客観的な世界で、そこにとどまる限りの自我は、その世界が究極の目標としているところに向けて、何のしがらみもなじく純粋に生きていられるはずですが、魂の衣をつけると、共感、反感の要素による主観の作用をみずからに生じさせます。
しかもそこにはカルマの法則が働いていて、前生までのあらゆる地上生の結果が、今度の魂に引き継がれていく、という仕組みになっています。』
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『一瞬一瞬のあらちゆる行為や言動が「運命の預金口座」のように将来残されていくという意味でカルマは逃れられないものではありますが、これを因果応報という暗い感じで受け止めない方がいいでしょう。

プラスもマイナスも決して単純ではない形で織り合わされ、それがとにかく過去生から今生へ、そしてまた未来生へとつながっている、ということです。
今のこの生のつながり目を少しでも見通して方向づけていくことが、今の一瞬先からは可能になる。
そこに人間の自由の問題が出てきます。

つまり、複雑なカルマに埋め込まれたマイナスの因子を解きほどいてプラスに転換するきっかけは、生の一瞬一瞬に常に与えられている、と考えることのできるのが、アントロポゾフィー(人智学)でのカルマの強い積極性になっているのです。』
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『そのカルマが定める課題に取り組む自我は、より成長しているとも言えるのです。』
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→「カルマ(業)」というのはなかなかやっかいな概念で、良くも悪くも誤解されます。
輪廻(死んだら何かに生まれ変わる)があるとしたとき、そこでは「業」が共に循環していると考えます。
「業」とは、いいことも悪いことも含め、思ったこと、考えたこと、行ったこと・・・そういうすべての総体です。

前世の自分が借金や預金としてのカルマを残したら、現世や来世の自分がその借りを果たさないといけないと考えます。
「自分がまいた種は、自分で刈り取らなければいけない」と。
そこは通常の時間感覚ではなく、宇宙的な時間感覚で、人間個人の感覚ではなく、ヒトという種全体の感覚として、考えないといけないのでしょう。
「輪廻」や「業」で循環するという発想自体が、生も死も個人も時間も超えた宇宙的な概念なのですから、そういう巨視的な感覚で考えざるを得ません。そこが分かりにくい処なのだとおもいます。どうしても、僕らは閉じられたごくプライベートな感情で物事を捉えようとしてしまいますから。





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シュタイナー
『ガイスト(精神)界での修行者は、何であれ好奇心と言うものを捨てる必要がある。
自分の個人的な知識を見たしたいだけの理由で知りたい事柄については、できるだけ問う習慣をなくしていくべきなのだ。
人間の進化に沿って自己の本質を完成させる方向に役立つ可能性がある場合だけ、問いをしてよい。』
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エンデ
『鏡とは私たちの意識のことだと思ってください。
死とはつまり、いつか突然一時に起こるのではなく、生涯に渡って起こりつづけているものです。
つまり、意識がそれ自体発展するために、ひとは肉体の死のプロセスに入らなければいけない、と言えます。
その結果、ついにひとは向こう側、彼岸に再び生まれ出る。
そのときに、肉体を支えとしない意識を発展させうる状態になります。
この永遠の意識は、もはや死を頼らないでももてるわけですが、しかしそれを獲得するためには死の門をくぐらなければいけません。
こう見てくると、死は人間に与えられた最大の恩寵です。』
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→エンデの死と生の捉え方は循環的で連続的です。それは対立概念ではなく相補的な概念でもあります。



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モモ
『世の中の不幸と言うものはすべて、みんながやたらとうそをつくことから生まれている、それもわざとついたうそばかりではない、せっかちすぎたり、正しくものを見極めずにうっかり口にしたりするうそのせいなのだ、というのです。』
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シュタイナー
『私が返事をしなければいけないとき、今自分が言えると思う事柄以上に、他者の意見や感性や、いや彼の偏見にすらも敬意をはらう努力をしなければいけない。
他者の意見に対して自分の意見を別にする時、それが当の相手にとってどこまで意味をもつものなのか、見通せている必要がある。』
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『私が相手と違う意見を持っている事が重要なのではない。私の方から何を付け加えたら、相手が自分から正しい答えを見つけるだろうかと考え抜く必要があるのだ。』
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→聞き上手で話し上手。シュタイナーは極めて神秘的な文章(まるでマンダラのような文章なのです)も多いのですが、こうした現実的で実践的な文章も同じくらい多い。そこがシュタイナーの射程距離の広さです。



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子安美知子さん
『いわゆる前生の記憶などについて、うかつに口にすることは強く戒められています。
およそ超感覚的事実というのは、常に幻覚や白昼夢や恣意的なイメージと取り違えられる危険性にさらされているのだ、ということを徹頭徹尾わきまえておかなければいけません。
五感に閉じられている世界を確かなものとして把握していく道には、いつも明瞭な意識が伴っていなければいけない、とシュタイナーは繰り返します。』
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シュタイナー
『ある事柄を知らされた時、まず自分の違う意見を言うのではなく、静かな尊重と献身で対するのです。
相手が理解できない場合は、これを否定的に評価してしまうよりも、むしろまったく判断しない事である。そうやって、理解を将来に残しておくのがいい。』
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→このことは、精神世界(スピリチュアル)全般に言えることなのかもしれませんね。前世が見えるとか、守護霊や悪霊が見えるとか・・・。
元々日常語ではないわけですし、それは元々にして共有しにくい概念なのは当然なわけですから、そういう発言にはそれなりの注意や慎ましさが大事なのだと思います。

いづれにせよ、よくわからないことはあまり断定せずに(それが時に偏見を生むことにつながるわけですから)、よくわからない、としてそのままにしておくのも重要なことです。
自分のシュタイナーに対する態度も、同じようなものです。




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子安美知子さん
『ガイスト(精神)の目で見ると、すべての感情も思考も物理世界と同じような現実性を持って作用するのですから恐ろしいとも言えますが、逆に人生の一瞬一瞬に意味があることに気づき、たったひとつの言動とて無意味、無作用に終わるものはない、と勇気が湧いてきます。』
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『ゼーレ(魂)がガイスト(精神)とたえず対話することは必要なのです。』
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『ほんとうの「聞く力」は、「事実そのものに語らせる」ことになり、すべてを見抜く力になります。』
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→ここでも「本当に聞く」ことのポイントが出てきます。
僕らは自己主張ばかり学ぶ傾向にありますが、そんな個人的な考えより、人の話を聞く力を鍛える方が、重要な気がします。

話を聞くこと。声を聞くこと。耳をすますこと。
それは、人間だけではなくすべての生物を、ひいては無生物や宇宙全体の声を聞くことにつながりますから。



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エンデ
『人間は人間だけですべてをつくる必要はない。世界にはいろんな力がはたらいている。それらが助けの手をさしのべてくれたり、必要な条件を整えてくれたりする。』
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エンデ
『宇宙の広がりの中には、人間以外の存在(andere Wesen)がじつにおびただしい数でいるという事 ‐昔は、それらの存在を神や天使と呼ぶこともあった。いや、どう名づけるかは対して重要ではない。
とにかく人間より高いところに、様々な位階(ヒエラルキー)を持った叡智的存在(インテリゲンツェン)がいます。
それらの手が、私たち人間することに共に力を貸してくれている。
彼らは、世界のための共同作業者たちです。』
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エンデ
『(天使の羽根や人魚の姿に言及して)
現代と言うか、ここ数百年の私たちは、これらの存在を知覚する能力を失っているだけなのです。
それはあきらかに、私たちの通常の知覚行為ではとらえられない性質の存在だからです。』
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→この辺りは、「闇の考古学 画家エドガー・エンデを語る」の中で相当に深く書かれていました。父エドガー・エンデの絵自体が、まさにそういう世界を描いた世界ですから。



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エンデ
『『モモ』では、限界の向こうに何があるかを暗示している。
マイスター・ホラのところでは、外的な日常の現実を超えて、超越的で形而上的でシュルレアルな領域にうつっている。
モモは時間の花の池のところで、これまでとは違った形で自分が人間であることを知る。
精神的で物理的な宇宙の子供なんだと気づく。
宇宙全体の働きかけがあって、モモはその人生の1時間、1時間を授けられる。』
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『マイスター・ホラは、私たちにこの地上の性のための時間を、死の彼方から賦与する力を統べています。
私たちの1時間、1時間は、全宇宙が、太陽も月もはるかな星星も、すべてが作用しあって贈ってくれるものなのです。』
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→モモに秘められた創作の秘密が余すことなく語られます。
自分も読後に直感したように、エンデの世界観は宇宙的(コズミック)です。
だからこそ、僕らの奥深くへと自然に染み渡るのでしょう。


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子安美知子さん
『死‐それはガイスト(精神)界への里帰り、宇宙音楽への再参加だ、と。』
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『シュタイナーは、人間認識の最高段階を、さらにイントゥイツィーオン(→直感・直観)と名付けて、これは「ガイスト(精神)存在そのもの自体の中に入り込むこと」、そして同時に自身の「真の自我」と出会う事だとしています。』
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『ゲーテの詩に出てくる言葉で、「死して成れ!」という表現があります。』
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エンデ
『音楽に理解はいらない。そこには体験しかない。
シェークスピアの芝居を見に行ったとする、そのときもです。私は決して利口になって帰るわけではありません。何事かを体験したんです。すべての芸術に言えることです。
本物の芸術では、人は教訓など受けないものです。前より利口になったわけではない。より豊かになったのです。私の中の何かが健康になったのだ、秩序をもたらされたのです。
およそ現代文学で見落とされてしまうのは、芸術が何よりも治癒の課題を負っている、という点です。』
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→「治癒」というのは自分の生涯のテーマです。
人はどのようにして治癒され、何によって生きる力を得ているのか。
個人が持つ治癒力、人との相互作用で働く治癒力、自然と人間とで働く治癒力。
芸術作品での感動は、そうした深い治癒のはたらきを持ちます。

自分も、そうした「治癒」の深い泉にまで到達できるよう、医学を学び続けたいと考えています。それは現代西洋医学の大きな課題です。




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子安美知子さん
『他の力が働いているからと言って、人間がそれをあてにするだけで自分はなにもしないでいい、ということでは決してない。
どこまでも人間と他の力との共同作業なのであって、人間が共同作業からおちこぼれているわけではないことを、モモでは書かれています。』
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『そうして、私たちが1日に1度だけでも星の時間に気付き行動するようになったら、私たちの意識は、今よりどれほど目覚めたものになっているでしょう。』
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『私たちの意識は眠っている、弱まっている、とエンデはあらゆる機会に言っています。作品を通じて、ひとびとの意識が強烈に覚醒させられる作用を送ってきます。』
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『『鏡の中の鏡』の発表後、現代に絶望したエンデ、という批評に対して、エンデは「私は絶望などしていません」とはっきり答えています。
彼はもともと文学やすべての芸術の課題は、人間を健康にすること、つまり内面の治癒(ハイルンク(Heilung))である、と言い続けている作家です。』
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エンデの語る言葉はとても力強く、希望が満ちています。

シュタイナーからもエンデからも、偏見をなくして静かに耳をすませば多くのことを学べます。
耳をすます小さな行為の積み重ねは、あまりに微小な作業なので、そのプロセスで得たものは目に見えません。
ただ、目には見えずとも、何かが確実に血肉となっているのを感じます。
そんな日々で新しい意識を獲得し、そのことが未来につながると思うわけです。

読書や芸術による深い内的体験は、目に見えない自分のゼーレ(魂)やガイスト(精神)の領域を育むための重要な儀式なのだと、日々感じています。

4 コメント

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こちらも (shi)
2012-11-26 23:42:58
すごく興味を惹かれました。

シュタイナー教育の本はいろいろと読んだことがあるので、エンデと関連付けた作品があるなんて読んでみたいです!

あとあとわたしも河合隼雄さん好きなのでこれは絶対読まなきゃですね^^
返信する
シュタイナー教育 (いなば)
2012-11-27 02:58:07
>>shi様
コメントありがとうございます。
シュタイナーの本はつまみ食いしているのですが、シュタイナー教育の本はあまり読んでいません。
『治療教育講義 (ちくま学芸文庫) 』くらいでしょうか。シュタイナー教育に関しては、シュタイナー本人よりもそれ以外の方々が多く本を書かれていますよね。自分もシュタイナーには興味をもったので、読んでみようかと思います。
シュタイナーの「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」という本も、タイトルがものものしいですが、書いてあることはかなり硬派な内容ですし、最後の辺りの守護霊(ガーディアンエンジェル)の話の辺りは背筋がゾクゾクするリアリティーを感じました。
エドガーエンデも、天使や悪魔は、実在するものとして描いていますしね。


この『「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として』は、古本屋で買うよりもAmazon中古で買う方がワンクリックで早いかもしれません。
Amazonの評価は意外に低いですが、自分はとてもいい本だと思いました。もし読まれて感想などありましたら、是非お教えください。
返信する
感動ふたたび (amyjumy)
2012-11-29 12:32:56
先生の “ ご本紹介 ” は、ホントに人を元気にしてくださる!感激~!
自分の読んだ本がブログに登場したりする場合は、尚更です。

・ Richard Gerber (原著), 上野 圭一 (翻訳), 真鍋 太史郎 (翻訳)
「バイブレーショナル・メディスン ―いのちを癒す「エネルギー医学」の全体像」

・ シュタイナー 「 魂について 」

忘れられぬ2冊です。

漢方・経絡・アロマ・音・フラワーエッセンス・ホメオパシー・オーラソーマ・・・
ヨガ・瞑想・風水・石・宇宙・ダウジング。
聖書や仏教や神道やシバ・ガネーシャや。

これらの持つパワーはホントみたい。
特に物質を希釈震盪すると、その精神に達するというのは
昔から知っていた(覚えていたような?)気がします。
仕事では使用しないにしても、これらにはまり密かに突進するんですけど。

バーバラ・ブレナンや「リコネクション」、「シータヒーリング」
「マトリックス・エナジェティクス」
等々に影響は受けつつも、コレさえすればにならなくて。
探し求めてるつもりでも、現実世界では実に飽きっぽい自分を自責しつつ。

でも、バイブレーショナル・メディスン読んだとき
今まで興味持ったこと全部 『 波動 』 でくくれるやんっ!
と気づかせていただきました。
あれもちがう、これも違う・・・と節操無くさまよってきた経路が
ひとつのライン上に見えてきて嬉しかった本でもあります。
俯瞰してみたら、同じ平面の上に乗ってた感じでした。

上記2冊には、自分なりに探してきたことの答えみたいなものも書いてありましたし。
シュタイナーの人間一人ひとりの人生が “ 種 ” にあたるというくだりは
長年のナゾに一縷の光。とても救われました。

『 そうなのよ!言いたいのはこういうことなの! 』 と、
読む傍から、その辺にいる人にふれ回りたいような衝動に駆られたのを覚えています。
(肉体の接する範囲では残念ながらいなかったので・・・グッとこらえた(泣))

感動ふたたびだわ~。
例えば西洋医学の手技のコツをつかんだ時のような、手ごたえ探しの旅。
このエネルギーでまた先へ進めます。いつかスッキリ氷解するのを求めて。

シュタイナー関連は、パラパラと読んできたのですが
子安美知子さん
「「モモ」を読む―シュタイナーの世界観を地下水として」は未読。
早速、アマゾンに注文デス!
読む前から、ゾクゾクいたします。
返信する
統合の時代へ (いなば)
2012-11-30 01:53:46
>>amyjumy様
こんにちは。当直中です。

その通りですね。おっしゃる通り、自分は代替医療と言われているもの全般にかなり興味があります。
西洋医学はそれなりに勉強してきて、成長曲線もそれなりになってきました。

西洋医学は治療に重点があたっていますが、代替医療は健康や予防に重点があります。
西洋医学は急性期治療には有効ですが、慢性期には無力な点が多い。

10年後くらいには、本格的にこの2大潮流が合流してくると確信しています。
どちらも相補的な関係性にあると思いますし。

やはり、「分離は悪、統合は善」 今後はいろんなものが統合されていってほしいものです。自分も、そんな人類の歩みに、少しでも貢献したいものです。


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◆志賀直哉『ナイルの水の一滴』
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人間が出来て、何千万年になるか知らないが、
その間に数え切れない人間が生れ、生き、死んで行った。
私もその一人として生れ、今生きているのだが、
例えて云えば悠悠流れるナイルの水の一滴のようなもので、
その一滴は後にも前にもこの私だけで、
何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。
しかも尚その私は大河の水の一滴に過ぎない。
それで差し支えないのだ。
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ガンジーやマザーテレサやナイチンゲールがすごいのと同じくらい、エドガー・ケーシー、ハリーエドワード、シュタイナーはすごい。
これは偏見をなくし、その人が書いたもの、なしたことをたどればわかるはずだと思いますねぇ。


子安美知子さんの「「モモ」を読む―シュタイナーの世界観を地下水として」は、エンデへ直接行ったインタビューなどから発言を持ってきていて、とても信頼がおけると思いました。単に作者の妄想でエンドのことを語っているわけではなく、本人が語っていることを下敷きにしていますからね。


子安美知子さんは、他にもエンデ関連で
○「ミヒャエル・エンデ―物語の始まり」ペーター ボカリウス、Peter Boccarius、 子安 美知子(1993/3)
○「エンデと語る―作品・半生・世界観 (朝日選書)」子安 美知子
○「エンデの贈りもの」堀内美江、 子安 美知子 (1999/12)
○「パン屋のお金とカジノのお金はどう違う?―ミヒャエル・エンデの夢見た経済・社会」 広田 裕之、 子安 美知子 (2001/7)
○「いのちの樹の下で―エンデとカーソンの道を継ぐ」子安 美知子、 上遠 恵子 (2001/6)
なども出されていて興味は尽きません。
こうしてネットで検索できるのがすごいところですね。
昔はとにかく古本屋で足でかせぐしかなかったわけですから。。。
でも、なおさら、古本屋で偶然見つけたときの感動も大きいものです。


他に興味深い本として、
○「モモも禅を語る (こころの本)」重松 宗育 (1991/6)
っていうのもあります。


シュタイナー&エンデ、という組み合わせは本当に興味深いですが、確かに父親のエドガーエンデという補助線を一本ひくだけで、その深いつながりはとてもよくわかります。

本、読みだすと止まりませんね。
仕事がはかどりません・・・(^^;
返信する