日常

過去の人々の同時代性を感じる事

2008-12-06 09:52:18 | 映画
「私は貝になりたい」のIs氏へのコメントに、呼応して書いてたら、ドンドン長くなって発展してきちゃったので。別のトピックに分けちゃった。

■同時代の気分

映画も小説もそうだけど、どういう終わり方が好きか
っていうのは、個人的な趣味趣向ってあると思う。
たとえば、よしもとばななは『TUGUMI(つぐみ)』 (中公文庫)
のインタビューで、
P244
********************************
------------それでは、ばななさんは、必ずしも人生について肯定的ではないんだ。
吉本:ええ、むしろ否定的です。あまりにも否定しているので、せめて小説ではそれを救うようなものを書きたいと思っているんです。・・・・自分もそういう意味では、ある種のハッピーエンドを絶対書くと決めているんです。
********************************
2008-08-25にこのブログで書いた)


って言っていて、そこはすごく共感できる。
この女性的感覚こそ、よしもとばなな好きだなーって思ったもの。


無理やりハッピーエンドにしろーってなわけじゃなくて、
この世界はどう解釈してどう捉えていくかは自由なわけで、
物語として語るときに、何かしらのハッピーエンドっていいなーって思うのよね。
ワルイものをイイって言う必要はなくて、イイものをイイと。
安易で安っぽいのは逆効果だとも思うけどね。



『私は貝になりたい』も、どういう終わり方を求めるかってのは、人ぞれぞれ違うかも。
でも、あの終わり方を見ると、単なる『戦争反対!』のプロパガンダに使用される映画ではないなぁーって改めて思った。(CMで黒柳徹子がそういう文脈で語ってて違和感覚えた)
きっと、当時の時代の気分を象徴してるんだと思う。
もう戦争とか、殺戮とか、そういう辛い現実から逃げたくて、もう直視したくない!考えたくない!っていう当時の気分じゃないかなぁ。それは、戦犯の刑を減刑にする陳情書の署名がなかなか集まらなかったのと同じことなのかも。
貝になりたい!っていう当時の気分?

『私は貝になりたい』の時代の気分ってのは、原作のフランキー堺がやっていた1958-1959年の50年前!の終戦15年後くらいの気分なのだろうと思う。
そう思えば相当昔の作品のリバイバルな気もしてきた。

だから、今の2008年の時代で見ると、少し感覚が違うと、わしも思う。

俺らの世代は、寧ろ戦争時代から何らかの教訓というか、
何か次の時代につながるものを見出そうとしている世代だから。
結構希望を込めながら、あの絶望的な時代を見ているところがある。

当時は絶望の真っただ中の人が多くて、その層に救いの手を差し伸べた作品なのかもしれん。
だから、Is氏も感じただろうし、俺も感じたんだけど、あの映画のラストの違和感ってのはそういう同時代性にあるんだと思いますねー。


カッコーの巣の上で」も同じ?
あれは1975年の作品。ベトナム戦争が1960-1975年だから、終戦直後の殺し合いの果ての空しく空虚で・・・という当時のアメリカの気分を相当に反映しているんじゃなかろうか。
どちらも、主体性とかを個人っていうのを、国とかどうしようもないレベルから圧倒的な暴力性で抑圧されていた時代。

逆に、今見ると当時の時代の気分と、
現在の時代の気分が違うこともよくわかる。
そういう漠然とした同時代の気分って間違いなくあるんだろうね!


『バイオの黙示録』、これは2008年の作品!まさしく同時代。
諸星大二郎で名作と誉れ高い<暗黒神話><孔子暗黒伝>とかは1970年台後半だし30年前だし。

バイオの黙示録は、多様性とか、自由とか、教訓じみてないとことか、
自然に伸び伸びと何の抑圧も受けず自由に漫画を書いているとことか、
すでに同時代の今の気分に組み込まれてるのかもしれんね。


■当時の時代性を思いながらの感じ方

『私は貝になりたい(原作1958年→2008年)』
『カッコーの巣の上で(1975年)』
『バイオの黙示録(2008年)(諸星大二郎)』
 cf,『暗黒神話・孔子暗黒伝(1976-1977年)(諸星大二郎)』
どれもわしにとって一級のいい作品。

自分が生まれた年とか、自分の親の青春の時代とか、
祖父母の時代とか、その辺と絡めて楽しむとまた深みが増すんだと思う。


たとえば、井上陽水、ビートルズはうちの親の青春。
わしの父親は無骨で頑固で九州男児で、音楽なんて全く聞かない人なんだけど、
井上陽水とビートルズは、1970年始めの時期、
涙流しながら一日中レコード聴いてたっていうし。

その同時代って何なんだろう。1970年の日本。
フォークブームで心情に訴えるアコースティックギターが語る音色に時代が響いた時。あの優しい音色と優しい叙情的な歌詞。そして、時には攻撃的で破壊的な歌詞や歌。
・・・親のことを知るには親が生きていた同時代を知りたくなってきた。数十年前の彼らの青春だもんね。僕らにも青春ってある。色褪せないものとして、時には原色で時には灰色のお先真っ暗で、時には無色で・・・。


こうやって、ドンドン思いが発展していくこと自体、人と呼応していかないと届かなかった地平。
人と呼応してくことって予測不能なことがドンドンおきて面白いね。
その辺は個人で到達できない壁で限界です。自分一人の限界を知って次に進めるものです。



■ある時代の横軸で眺めること

つくづく。時間とか時代の概念って面白い。

1970年、1980年、1990年、2000年・・とか、
横の時代で切っていくと、その同時代に何が起きてて、
当時の人はどういう文脈で見たのかなーってのは面白い。

みんなが当時のイマを感じながら同時代を生きてたかってのを身に染みて感じる。

なんか、29年生きてきて、やっと歴史とか勉強したいって思い出しましたし。
今までは全然無知だし興味なかった。
全然自分にとって切実な問題じゃなかった。わしの過去の感受性では、歴史学者の教訓じみた言説にしか感じ取れなかった。

中学生のとき、山川出版社の歴史教科書なんて、足尾銅山鉱毒事件の田中正造がいかりや長介に似てるなーとか、歴史の偉人に落書きしたりとか、そんなことしか興味わかんかったけれども笑
・・・・・・・・・・・・
脱線。
ここのHP見ると、やっぱ田中正造っていかりや長介に似てるわー。)
脱線終わり。
・・・・・・・・・・・・


今の時代の気分・・・。色々考えてみると面白いね。
インターネット、携帯文化、ネットカフェ難民、金融危機、医療崩壊、アニメ・漫画文化、秋葉原・コスプレ文化、お笑いブーム、首相がコロコロ変わる、・・・なんか、ごちゃ混ぜのごった煮だけど笑


このブログを読んでる、同時代に生きてる皆さんとも、この辺は一緒に話したいなぁー。
また会う機会があれば、みなさん話しましょう!
一期一会の機会を、同時代に生きていること共に大切にしていきたいもんですわ。
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4 コメント

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脱線しまくりで。 (Is)
2008-12-07 00:25:31
そっか、
ぼくが苦手な作品は、描かれた当時が絶望的時代
良いなと思ったのは、それなりに豊かな時代のもの。
やっぱり、同じような時代の空気に呼応するのかな?

ぼくは、かつて村上春樹、心底ハマって
(思えば、その当時は、絶望状態だった!)
それで、村上春樹を総括して、
彼の描こうとしてたものを一言で言うと
「人は決して分かり合えない」
ってことを言おうとしてたのかな?なんて、思って
(ちなみに、村上春樹論も、ものすごく呼んだけど
ピカイチは、加藤典洋さんの『イエローページ』です。
ちなみのちなみに、イエローページはシリーズになっていて、よしもとばななのも秀逸。)
いたけれど、次第に離れだして、
それは、
僕は決して孤独ではないし、
人は一人で生まれ一人で死んでいくのでは…ない!
という実感の方が鮮やかになってきたから
…それ以降は、村上春樹から保坂和志へ
文学の力点が移ってきた気がする
(…といっても、やはり今でも春樹は
大好きです。新作・超楽しみ。年始めくらいには出版されるかな?今死んだら、絶対化けて出て、
みんな寝静まってからの夜中の本屋で呼んでるともう(笑))

だんだん、脱線か本線かが分からなくなりつつ…、
僕も、昨今、「歴史」超テーマです。
いわゆる、大河ドラマが好きになって来ちゃう年になってきました。(ニヤリッ)

横軸いいよねー。
明治維新の頃に、マルクスの資本論が出てたりとか、
そういうの凄く感動!
ちなみに、
東京ディズニーランドとファミリーコンピュータが
共に1983年ってのも感動!
こういう感動で歴史語れば、いいのにね。

追伸1:安室ちゃんのライブ、行ってきました。
あー、つくづく、ホント心の底から、安室ちゃん好きです。
もう、メロメロ、溶けちゃう。
中学生に戻ったような純な恋心。
12/4の「2項対立の長所と短所」に絡めて言うと、
安室は、つくづく、境界的な存在が魅力なのだと思った。
まず、国籍みたいなものが、ちょっとボーダー的。日本人であるけど、アジアへの普遍性みたいな感じあるし。
あと、性別も。ものすごく綺麗で女性的だけど、やっぱり、安室を形容すると、「カッコイイ」で男性的。
あと、年齢、すごく年上のお姉様に見えるかと思うと、年下のかわいい男の子みたいにも見える。
とにかく、素晴らしい。同世代人であることを誇りに思います。
(客層は8:2くらいで女性多し。うれしいようなかなしいような)

追伸2:朝日の夕刊に、レヴィストロースが100歳の誕生日って記事が出てました。
http://blog.livedoor.jp/daiyoji/archives/65033366.html
かつて、見田宗介が70歳を迎えて、もう30年仕事するつもりでいるとあったが、まんざら不可能な話じゃないのね。
つくづく、人生は長距離レースです。
30歳はやはり卵ですね。40でヒヨコかな?50で小学生くらい?60が成人くらいかな?70で一人前で、80でようやく、けっこうがんばったねって感じ?90でなかなかやるじゃーん。100なら、ようやく誉めてもらえるかな?
孔子が伝えようとしていた事 (いなば)
2008-12-07 18:33:14
絶望とか困惑とか希望とか・・・。
その時の個人の心理状況と、世界の状況。
この二つは知らないうちにすごく影響与えてそうな気がするよね。
でも、その中でも時代を越えて読みつがれたり上演されたりするものってのは、その作品により自分がどういう心理状況かがわかるのかもしれん。

それって自分にとってある軸を作っていくプロセス。

ジョンレノンの音楽がいまいちよく聞こえなかったり、手塚作品とまともに向き合えないときって、ふと冷静になる必要あるなーって、過去の経験からも感じ取ります。


「歴史」とかって、ほんと昔は一切興味なかったんだけど、イマの密度が濃くなればなるほど、緩やかに連続した過去とか歴史とかって概念がすごく気になりだしたんだよねー。
どんどん過去とイマが連続性を帯びてくるし、時間と共にいろんなものが複雑に絡み合ってるのがよくわかるし・・。

まあ、こうやって本当に自分が学びたいと思い出して学ぶのが一番だと思うから、小中学生には「無理に勉強せんでいいよー。でも、いつ始めてもぜんぜん遅くないんだよー」っていうメッセージは伝えたいとこだよ。

自分が古典とか神話に興味持つなんて、学生時代は夢にも思わんかったけど。
でも、当時の若いときに特に理由もなく見たテレビドラマとか漫画とか芝居とか踊りとか音楽とか・・そういうのがベースにあるんだなぁってのも改めて思うね。

この世はゴッタ煮だから、順番とかどうでもよくて、自分の興味赴くままに、自分の感性信じてやっていけばいいんだなぁって改めて思う。自分の感性を信じぬくには、よき理解者の他者に囲まれることもすごく大事だよね。



安室ちゃん、Is氏ほどじゃないけど(笑)、俺も好きよ。
ていうか、あのスタイルの良さ(顔と全体のバランス)は人間はなれしとるよね。歌も踊りも巧いし。

スーパーモンキーズの「Try Me」辺りから世に出だした覚えがあるけど、なんかどこかで一つ飛び出た瞬間があったんだろうけど、俺は大ファンなわけじゃないから、どのタイミングなんか知らないんだけど、どの辺だったんだろうか?(Is氏だったら、その辺勝手に分析してそうだけど笑)


そういうボーダーレスな感じ。境界線上の感じが魅力なんだろうねー。誰にでも当てはまるけど、誰にでも当てはまらない感じ、っていう不思議な領域なんでしょう。


*********************
30歳はやはり卵ですね。40でヒヨコかな?50で小学生くらい?60が成人くらいかな?70で一人前で、80でようやく、けっこうがんばったねって感じ?90でなかなかやるじゃーん。100なら、ようやく誉めてもらえるかな?
*********************
これ面白い!たぶん高校生くらいのときに見ると全然グッとこないんだけど、29歳の俺としてはすごく実感できる。

この文章で、ふと昔国語の教科書に出てた孔子の言葉思い出して、当時はまったく意味不明というか、なんで孔子おじさんはそんなこと言ってるんだろう?っていう気しかしなかったけど、ネットで検索して読んでみると、イマになって初めてわかる!やっぱあの文章は高校時代とかに、リアルに感じるのは無理なんだろうね。でも、こうやって29くらいになってふと思い出すために、そういう種を蒔いてくれたのかな?って思うと、それはそれで嬉しい。過去の自分と未来の自分が、少し成長して一本の線でつながった気がして。成長が実感できる感じ?


<「論語・為政第二」より>
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「吾十有五而志于学、三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲 不踰矩」

「吾十有五にして学に志し(志学)、三十にして立ち(而立)、四十にして惑わず(不惑)、五十にして天命を知る(知命)。六十にして耳順(したが)い(耳順)、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず(従心)」

「私は、十五の時に学問で身を立てようと決心しました。
三十の時に、学問などの基礎がきちっとして、独り立ちができるようになりました。
四十の時に、狭い見方に捕らわれることなく、心の迷いがなくなりました。
五十の時に、天が自分自身に与えた使命を自覚しました。
六十の時に、何を聞いても素直に受け入れることができるようになりました。
七十の時に、自分がしたいと思う言動をしても、人の道を踏み外すことがなくなりました。」


10代→「志学(しがく)」
30代→「而立(じりつ)」
40代→「不惑(ふわく)」
50代→「知命(ちめい)」
60代→「耳順(じじゅん)」
70代→「従心(じゅうしん)」
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●

これを高校生のとき分かれ!ってのは無理だよねー。俺は意味不明だなーって当時思ったもんねー。

でも、イマは素直に心に響く。
30台でやっと、イマまでわけもえわからずいろんなもの見たり経験したりして、インプットしまくっていたのがある飽和状態に達してきた。今後はアウトプットの出口を探している時期だし。


当時と違って、イマは100歳まで生きることができたし、論語を踏まえてIs氏みたいな新しいの作らないといかんかもね。

俺もIs氏真似して作ってみようっと。
*********************
10代は外で遊ぼう。
20代はコタツでダラダラしよう。
30代は外に出て人に会いに行こう。
40代は出会った人に感謝しよう。
50代はそろそろ自分で何かし始めよう。
60代は世界に自分の全てを放出しちゃおう。
70代は仲間と今までを振り返ろう。
80代は30代の会いに来た人に得たものを伝えよう。
90代は最後の一踏ん張りしよう。
100代はお疲れ様!って頭をなでてもらおう。
*********************

こんな感じでやっていこうかな。笑

添付しようとしたら (Is)
2008-12-07 23:52:49
面白い!
10代、20代、30代は、
生きてるだけに、すごく納得。
ものすごい編集力!

で、これに影響されて、
自身のblogに記事書こうと思ったら、
わたしの方のlivedoor blogには、
添付ファイルができないのね?
(エクセルで人生の表をつけようと思ったのに…)
クヤシ。

gooの方って、添付ファイルとかって出来るの?
雑食で。 (いなば)
2008-12-08 00:33:45
人生焦ってもしょうがないから、ノンビリと丁寧にいきたいね。
雑食で、いろんなもの食べて、不味いのはおなか下すまえに吐き出して、おいしいのはモグモグ味わいながら食べればいいし。
おいしいのはみんなに紹介すればいいし。

そういう意味で、ささやかな自分の人生を100年スパンで考えると心に余裕できるわー。


・・・・・・・・・
gooも添付ファイルはできないよ。
どこかの共有フォルダみたいなとこにUPしてLinkするしかないかもね。

俺もエクセルとかで同時代のオリジナル年表作ろうかなー。
現代だと松本人志、手塚治虫、岡本太郎、ファミコン辺りが軸になるかなぁ。

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